Vol.0174 「ビーズ・生活編」 〜自由な指〜

クリスマス前という時節柄、ビーズアクセサリー作りが佳境に入っています。デザインが決まるまでは細かい粒や部品相手にあれこれ試行錯誤が続きますが、デザインさえ固まってしまえば指先だけの"自動操縦"に入れますので、無意識のうちにいろいろなことを考えているようです。先日、ふと思ったのが、「そうか!私にとっては"ビーズ"と"メルマガ"は同義語だったんだ!」ということです。「そんなものが同じ訳ないだろう!」と突っこまれそうですが、私に限ってはそうなのです。

どちらも、@カネにならない、A創作活動の一環、B職業ではない、C飽きない、D家で一人でできる、Eニュージーランド移住後は更に本格化しそうな気配、という共通点があり、Fいずれも「趣味以上ビジネス未満」です。違う点は@ビーズにはコストがかかる(多少の収入になることもあり金銭が動く)、Aメルマガは読者の方とのお付き合いが広がる、といった点が挙げられます。ビーズのコストはモノ作りの中では非常に低額な部類でしょう。

この二つが同義なものとして出会った背景には、私が職を辞したことがあります。働いている限り、私には職業・役職というものがありました。そのためカネを稼ぐ「仕事」以外のことは、すべて一括りに「趣味」だったのです。いくら連日寝ずにビーズに励もうが、それはたまに出かける「食べ歩き」や「映画鑑賞」と変わらない地位だったのです。しかし、退職したことで、「ビーズ」や「メルマガ」を「趣味」という二番手に封じ込めていたものがなくなり、これらが「食べ歩き」や「映画鑑賞」を突き放して急浮上してきました。等しくカネにならないのであれば、時間と情熱を傾けているものが真っ先に来るからです。

私はこんな転換を今年が始まったばかりの1時間目に、ほのかに予感していました。忘れもしない拙宅での年越しパーティー。カウントダウンの直後、ミュージシャンである、友人のご主人が新年にちなんでピアノのアドリブ演奏を披露してくれたのです。まるで羽が生えているように軽く滑らかな"自由な指"を見つめているうちに、知らず知らずのうちに長年着込んできた重く硬い鎧が、一枚一枚身体から剥がれていくような錯覚を覚えました。演奏が終わった時、本当に身軽になっている自分に気付き、密かに驚いたものです。

「彼のピアノを聴きながら、"何かをクリエイトできるって本当に貴い"と、つくづく思いました。本当に何かの啓示のようです。願わくは、自分でも何かをクリエイトできるよう、時間を切り売りする今の生活に見切りをつけ、"クリエイトというアウトプットを可能にする、豊かなインプットのある生活に切り替えなくては・・・"と、真剣に思いました。一年の計は元旦にあり。是非、実現させるよう努力していきます。」これは、今年元旦に書いた「日記」です。あの時の錯覚は啓示だったのです。実際、私は4月をもって"時間を切り売りする生活"に見切りをつけ、"豊かなインプットのある"とはいい難いものの子供との充実した毎日に突入しました。

今度は、「何を呑気なことを。夫の扶養家族になっただけじゃないか!」と言われそうですね。確かに今の西蘭家は夫に収入があってこそ成り立っています。しかし、私が家庭に入ったことで世帯収入は半減したので、影響は小さくありません。世間では「ボーナスなし」、「給与3割カット」でも大騒ぎなのですから。香港の収入は社会保障への拠出がないに等しく、税金の天引きもないので日本と比べて一般的に多く見えますが、家賃、外国人としての教育費は日本の比ではありません。小学校に通わせるだけで私立大学の学費並みにかかります。ですから、私の退職は奥様稼業への転身と言った優雅な話ではありませんでした。

それでも、何かをクリエイトする方向に生活を切り替えようという想いが念頭にありました。同時に、生活の経済規模を半分に絞りこむことにも興味がありました。今までの暮らしは極端に燃費が悪い、ブームが過ぎれば不恰好でしかない大きなアメ車のようなものでした。時間がたてば懐かしくもなるでしょうが、取り戻そうとは思いません。やっと手にしたこざっぱりとした生活。あとは元旦に見せてもらった美しい"自由な指"の啓示通り、何かを生み出していければと思います。

その際に一番大切なことは、カネを生まないことにひるまないということです。自分がしたことに対価を求めようとするのは、貨幣経済がここまで浸透している以上無理からぬことなのかもしれませんが、夫に収入があり一家として何とかやっていける以上、現実に感謝しつつ収入にはこだわらないことにしました。対価を求めれば、"自由な指"は受けを意識しては電卓も弾く、"不自由な指"になりかねません。それが進むと、「どうせなら高く売れるものを・・」と、再びアメ車を頂点とするヒエラルキーに戻ってしまいます。それは今、望むところではありません。2003年の終わりに当たり、いつの日か振り返った時にこの年が何かの起点になっていることを願いながら、今日も夜なべをしましょうか。

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「マヨネーズ」 以前香港で大変お世話になった日本人の方の、東京在住の娘さんから電話がありました。「香港で働きたい」とのことで、喜んでお手伝いすることにしました。彼女のことは中学生だった頃から知っていますが、すでに立派な社会人となり、いろいろ考えた挙句に香港での生活を再開することを決めたそうです。お世話になった方に、ささやかながらも恩返しができる機会に恵まれ、つくづく嬉しく思いました。

そんな折、冬支度に子供たちの布団を布団カバーに入れていた時、ふとそのカバーが何年も前に譲り受けた就活中の彼女のものであることに気付きました。縁の深さに「きっといい仕事が見つかるな〜」というひらめきを覚え、穏やかな午後に温かな気持ちに包まれました。

西蘭みこと