Vol.0234 「NZ・生活編」 〜ロード・オブ・ザ・鍋−鍋物語〜

「やっば〜い!」モーテルの狭いキッチンで今しがた炊けたばかりの芳しいご飯の香りに包まれながら、私は呆然と立っていました。少し焦げた匂いさえする、完璧な炊き具合とは裏腹に、コンロの上のセラミック鍋にはくっきりとヒビが入っています。すでに炊けているので夕食には支障ないものの、モーテルの備品が壊れた事は由々しき問題です。意を決して調理を中断し、レセプションに走りました。

すぐに夜の当番らしい、若い中国人の男女三人がやってきました。三人ともモーテルの裏手に寄宿し、ここでアルバイトをしながら学校に通っているようです。はっきりとわかるヒビを見て、誰かが「どうする?」と中国語で言いました。後の二人が「弁償じゃない?」「明日、彼女に言わなきゃね。」と口々に言っています。彼らが日本人の私に悟られないよう中国語で話している以上、私はその会話を理解したことは告げずに、「料理をしていたらいきなり音がして割れたの。不注意で割ったのではないことを見といてもらおうと思って来てもらったの。なので、その辺よろしく」と英語で言うと、彼らは曖昧に微笑みながらゾロゾロと帰って行きました。

"彼女"と呼ばれていたのは、モーテルを仕切っている上海人の中年女性でした。オーナーなのか、絶大な権限を与えられた使用人なのか判然としませんでしたが、いつもレセプションの奥の部屋にいました。鍋が割れた数日後、洗濯をするつもりでレセプションに行くと彼女が出てきました。「あの鍋は弁償してもらわないとね。」商売人風な愛想笑いの目が笑っていませんでした。「どうして?」いきなりの一言に聞き返すのが精一杯でした。

「モーテルの物を壊したんだから当然でしょう?」、愛想笑いが消え語気が強くなっています。「だいたいね、あれはあたしの鍋なのよ。私物なのよ。あの日、夜みんなで鍋をしようと思ったら鍋がなくて、さんざん探し回ったんだから。重宝してたのに、壊すなんて。」「壊した?壊れたのよ。突然、ヒビが入ったのよ。ご飯が炊けたところだったからいいようなものの、昼にパスタを茹でていた時だったら大変なことになったわ。」二人の会話はとっくに中国語になっていて、すでにケンカ腰でした。ニュージーランドはガスの代わりに電気コンロを使います。真っ赤な電熱線に3、4リットルの熱湯が流れ出すのを想像しただけで、身震いがしそうでした。

「あんた、あの鍋をコンロにかけたの?」「そうよ。いけない?」「信じられない!あんた、女でしょう?あの鍋が電子レンジ用だってわからないの?あっきれた!あんなものをコンロにかけるなんて!」これには私も目が点になりそうでした。私にとってセラミック鍋は火にかけるもので、現に引越し荷物の中にも、結婚記念にもらった十年来使い込んでいるのが一つ入っています。それより何より、直径30センチ近くある鍋で、電子レンジで鍋物をするという方がまったく信じられないことでした。テーブルにレンジを置いてみんなで囲み、何か具を足すたびに入れたり出したりし、チーンと鳴るのをワクワクしながら待っているのを想像したとたん、可笑しくなって思わず笑ってしまいました。

それが彼女には不敵に見えたのか、更に声のトーンが上がりました。「とにかく、壊したんだから絶対弁償してもらうわよ。高かったんだから。」いつもはこの手のケンカは買わない方ですが、あの時ばかりは買うことにしました。「そんなの知らないわよ。私物を貸して欲しいなんて言った覚えはないわ。パスタを茹でたいと言ったらスタッフがあれを持ってきたのよ。その鍋がコンロにかけられないって、どういうこと? まさかパスタまでチンするわけじゃないでしょう?電子レンジ用だなんてまったく説明されなかったわ。」「見ればわかるじゃない!だいたいあの男は頭が少しおかしいのよ。役立たずで、ひとの私物を勝手に持ち出して・・・」と、今度は矛先が身内に向かい、いかにも憎々し気です。

鍋を持ってきてくれた"あの男"とは長靴を履いた朴訥そうな中年の白人男性で、いかにも使用人風情でした。後日彼女が彼に向かって、"You are Maneger.You should know this!"とイライラした口調で声を荒げているのを聞いたことがあり、二人はしょっちゅう衝突していたのかもしれません。ともあれ、従業員の頭の良し悪しは宿泊客の知ったことではありません。「何の説明もなかったんだから、あの鍋は"壊した"のではなく、"壊れた"のよ。弁償するつもりはないわ。」とぴしゃりと言うと、彼女がキーッとなっているのがよくわかりました。この辺は中華圏に20年近くもいたおかげで相当場数を踏んでいます。大声&早口でまくしたてられても、けっこう平気です。

「どうせチェックアウトをするのは夫。後は彼の判断に任せよう。」私は言いたいことだけ言うと、大きな洗濯物の袋を抱えて部屋に戻りました。NZでの初ゲンカは意外にも中国語で、上海人とでした。その後、鍋物語は更に意外な展開を遂げるのでした。(つづく)

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「マヨネーズ」 車社会のNZで暮らしていくことを決めた以上、いつまでも助手席のペーパードライバーを決め込んでいるわけにもいきません。せっかく香港から夫の愛車も届いたことだし、彼に付き合ってもらって運転の練習をしてみることにしました。

近所を1時間くらいかけて回りましたが、対向車は4台あったかなかったか(そのうちの1台は本物の教習車)。道幅も広く、歩行者もなく、車道と歩道の間には芝の植わった緑地帯まで設けられており、狭くクネクネした道に、二階建てバスや大型ベンツ、BMWなど、間違っても当てられない高級車がひしめく香港の環境とは大違い。これならなんとかなるかも♪ でも、やっぱりカメラ片手に歩く方が断然好きです♪
(←歩いてこその眺め。子供の通学路からのシティービュー)

西蘭みこと