Vol.0237 「NZ・生活編」 〜マルガリータ・カクガリータ その2〜

彼は店の奥の小さなテーブルに座っていました。洗いざらした青いつなぎは、アイロンでもかかっているのかのようにきちんと見えました。ブルーカラーの彼を代弁する正装です。金髪は三分ぐらいの丸刈りで、年齢の割にかなり後退した額の際は、あるがままにゆるやかで知的な曲線を描いていました。ジンジャー・ビールを飲みながら、食事が運ばれて来るのを待っているところでした。昼時だというのに食前酒を愉しみつつ後に続く晩餐を待つようなくつろいだ雰囲気で、これは午前中を目いっぱい働いた者だけに許されるゆとりなのでしょうか?

グレン・イネス。この地名を口にするたびに、誰からも「あそこは治安が良くないから気をつけて」と言われる町。ところが私たち夫婦はどういうわけかこの町が気に入り、自宅からクルマで10分ほどで行けることもあり、週に何回も訪れています。古くから庶民に親しまれてきた下町というよりは、不慣れな新参者や行きずりの人も数多く混じる場所に見受けられますが、場末と形容すべきほど暗くも鄙びてもいません。広場の周りにこぢんまりとした店が並び、買い物をする人がそぞろ歩いています。

歩いてみると、非白人比率が一気に高くなっているのを感じます。アジア人も店番をしている店主やアルバイトばかりで、行き交う人は褐色の肌の、マオリか南太平洋の島々からやってきたアイランダーらしき人たちが圧倒的に多くなります。捨てられたゴミが気まぐれな風に舞い、駐車しているクルマは古い年式のものが目立つようになります。しかし、マオリ語らしき言葉を話す人たちに初めて会ったのもここなら、中東風やインド風などさまざまな民族衣装を目にする機会が多いのもこの町です。

その一角のトルコ料理の店に彼はいました。よく来ているのか、なんとなく店になじんで見えたものの、かと言ってお店の人と親しそうに話すでもなく、きちんとテーブルにつき一人で飲んでいました。フランス・サッカーのスーパースターであるジダンは、イタリアのユベントスにいた時、毎日同じレストランの同じ席に座り、同じ料理を注文していたそうですが、彼を見た時、ふと「ジダンはきっとこんな風だったんじゃないだろうか?」と思ってしまいました。端正にしてストイック、その上筋の入った職人気質を匂わす雰囲気がこんな突拍子もない想像の引き金となったのかもしれません。

そのうち食事とコーヒーが運ばれて来ました。ライスの上にこくのある辛めのグレビーソースを絡めた賽の目切りの肉が乗り、黄色のソースによく映える白いガーリックマヨネーズ・ソースもかかっています。私も同じものを食べ終えたところで、食欲をそそる香ばしい香りと色合いがはっきりと脳裏に残っていました。彼はライスの丘を脇から崩していきます。干潟に潮が満ちてくるように、食べ物が五臓六腑に広がっていくのが感じられるほど、気持ちのよい食欲でした。食後にはゆっくりとコーヒーを愉しみ、ひと時を満喫しながら午後への英気を養っているかのようです。

私は少し離れたテーブルから対面の夫とおしゃべりをしつつも、一部始終を見ていました。最初は、今まで身近にブルーカラーの人がほとんどおらず、職業はともあれ常にネクタイを締めたホワイトカラーに囲まれていたせいか、彼が珍しく思えました。そのうち、興味を引いたのが、一般的なブルーカラーのイメージと異なるあまりにもきちんとした印象のせいだと気づきました。そして、彼が醸し出す簡潔で芯の太い、優雅さ、上品さという意外なサプライズから、目が離せなくなってしまったのだと悟りました。

彼の仕事が何なのか知る由もありませんが、手を使い身体を動かし、何かを作る人であることには違いがないでしょう。それがガスの配管であっても、瓦屋根を葺くことであっても、最終的に何かを完成させていくことに変りありません。作るなり、直すなりしてモノに息吹を吹き込んでは客の期待に応え、それに対し報酬を受け取っているという自負が、彼をこんなにも堂々と優美に見せているのかもしれません。ため息の出るようなパスを出し、華麗なシュートを決めては観客の期待に応えるジダンと、やはりダブります。

雑誌から飛び出してきたような隙のない格好で決めたカクガリータが、好景気という上げ潮のそのまた上澄みを泳いでいるような印象であったとすれば、年季の入ったつなぎ姿のマルガリータは景気が良くても悪くても目の前の仕事を黙々と片付けていくような、地に足の着いた印象がありました。金融業界に長らく身を置いてきたこともあり、私の回りはカクガリータの価値観一色でした。常に時間やライバルと戦いながら、"上手くやること"がすなわち成功でした。雨が降っただけで仕事がなくなり、おまけに汚れたり怪我をするかもしれないマルガリータの暮らしなど、誰も見向きもしませんでした。

「彼らの近くで暮らしていこう。」移住という3年来の夢がかなった今、これからの生き方に迷いもためらいも、ましてや見栄などひとかけらもありません。繰り返し繰り返し思い描いてきた人生を、まっすぐに生きるだけです。汗を流し、身体を動かしながらも自信と誇りを失わず、ちっぽけなカネに妥協などせず、頭(こうべ)を上げて前を見据えながら、しっかりと丁寧に生きていこう。そしていつか、マルガリータのように芯の太い優雅さや上品さが醸し出せたら、こんなに幸せなことはありません。

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「マヨネーズ」 グレン・イネスのことを話し始めたら、今の時点でもメルマガが10本ぐらい書けそうです(笑) 今日のところはグッと抑えて、サラ〜と触れるに抑えました。マルガリータに会ったトルコ料理店にはせっせと通ってます。

西蘭みこと