Vol.0260 「生活編」 〜ミセス・ダレカ〜

彼女の名前はミセス・ダレカ。9ヶ月ほど前に、一家でイギリスからニュージーランドへ引っ越してきました。夫は食品関係の会社のエグゼクティブ。子どもは小学生の女の子と幼稚園に通っている男の子。ペットのネコはちょっと太目のロシアンブルー。家には四季折々の花が咲き、きちんと手入れされた芝が瑞々しく輝く庭があり、うららかな日にはテラスでお茶を飲みながらゆったりと過ごします。

お料理は大好きで、腕もなかなかのものです。電子レンジは使わず、パンやパイは生地から作ります。そのため長年愛用してきた、ちょうどいい高さと大きさの生地こね台、麺棒、秤はイギリスから持ち込みました。彼女はキッチンをとても大切にしています。ダイニングやリビング、外のテラスに続く家の要であるばかりか、裏庭で遊ぶ子どもたちがよく見え、彼らを取り巻く色とりどりの花が目を楽しませてくれる場所でもあります。ここで一日のかなりの時間を過ごすことも、珍しくありません。

家の中はいつもこざっぱりと清潔で、小さな子がいるとは思えないほど片付いています。あまり物を持たないようにしているので、散らかるのはおもちゃくらいです。クローゼットやキャビネットはどこを開けても、きちんと整頓されています。子どもの指の跡などどこにもなく、ドアのノブや家具までピカピカです。ベージュのカーペットにはシミひとつなく、電気のスイッチの回りがうっすらと汚れていることも、バスタブやシンクが曇っていることもありません。

特に大切にしているキッチンは完璧です。料理をする時以外は、メタリックなジューサー、トースター、ワインスタンド、それらに合わせたメタルのカトラリースタンドや鍋敷きが出ているくらいで、他のものは一切出しません。ゴミ箱も布きんもキャビネットの中に上手く納めています。汚れた食器はどんどん食器洗い機に入れてしまうので、人目に付くことはありません。キッチンは一度表に出すことを許してしまうと、便利さに流れて、あっという間にもので埋まってしまう場所。しかも、どんなものも瞬く間に油染みてしまうので、収納してしまうに限ります。彼女はその辺を十二分に心得ており、ストイックでスタイリッシュなキッチンを守り続けています。
(↑ミセス・ダレカのキッチン)

その一方で、みんなが集まるリビングは、生花あり大輪のドライフラワーあり、家族の写真あり、油絵あり、アンティークの置時計ありと、たくさんのお気に入りに囲まれた場所で、キッチンとは対照的です。ほとんどはイギリスから持ってきた長年慣れ親しんだもので、非常にパーソナルな空間です。身体が沈むほどの重厚なソファーは油絵同様、このリビングにはそぐわない大きさで、彼女のイギリスの家がここより遥かに大きかったことをうかがわせます。

寝室はどこも、くつろぎのための部屋です。ベッドメークには人目を意識した"造り"がなく、カバーをめくって潜りこんだら朝のぬくもりが残っていそうなほど温かみが感じられます。レースのカーテン越しに柔らかな光が差し込み、揺られてみたくなるような古いロッキングチェアでネコが昼寝をしているのも、絵になります。子ども部屋は、小さな頃からそれぞれの個室で眠る西洋人らしく、一人の時間を愉しめる造りになっています。

窓はどれも磨きこまれ、サッシではなく掃除のしにくい木の窓枠であるにもかかわらず、外と部屋が一体となるような透明度です。きっと彼女の心もこの窓のように澄んでいるのでしょう。それはまた、彼女がいかに窓の外の眺めを愛でているかを物語っているようです。家に居ながらにして目の前に庭が広がるよう、家の中に外が入り込んでくるよう、微妙な仕掛けが施されているのです。その延長でテラスには鳥のフン一つなく、吹き溜まりに枯葉が積もっていることもありません。

もちろん、風に翻るカーテンが薄汚れていることも、リネンが湿っていることもありません。彼女は乾燥機を使わずに南半球の強い陽射しを上手く使い、衣類を色あせさせずに、その中に陽の温かさを取り込む方法を心得ています。キャビネットにはふかふかのタオルやきちんとたたまれたリネン類が見事に納まっています。その一方で、ランドリールームにはアイロンと掃除機が無造作に出し放しになっており、彼女がいかに小まめにアイロンをあてたり、掃除機をかけたりしているかをうかがわせます。

家のどこに目を向けても、折り目正しさの中に生き生きとした営みがあり、訪れる者をホッとさせます。どの一角にも彼女に愛されている自信と誇りが宿っており、家全体が息づいているのです。掃除や手入れというよりも、心を込めて磨かれた家。その気持ちに応える家。ただの物質が魂を吹き込まれ、有機的な存在になる奇跡のようなからくり。それをあっさりとやってのけ、魂を宿した家に包まれ、守られて暮らす彼女。「すごい人!すごい家!」 私はまだ見ぬ、いいえ、結局のところ一度も会うことのなかった彼女に驚嘆しつつ、自分の中で既成の概念が心地よく崩壊していくのを感じていました。(つづく)

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「マヨネーズ」 今日から7歳の善が2泊3日でスカウトのキャンプに行きました。寝袋持参で制服を着て、格好だけはいっちょ前です。善が家を空けたのは温と一緒に友だちの家にお泊りに行った時ぐらい。なので見送りの時には家族全員が、「善がんばってね!」と力を込めて言ってしまいました。オムツをはいてよちよち歩いていた日が遠のいていきます。

西蘭みこと