Vol.0261 「生活編」 〜ミセス・ダレカ その2〜

留守のはずのミセス・ダレカの家に足を踏み入れたとたん、誰かに手招きされているような、不思議な感覚を味わいました。「こっち、こっち。こっちへおいでよ!」「ほらほら、こっち!」「きれいでしょう?暖かいでしょう?」と、声ではない何かが直接脳に囁きかけているような気さえしました。「なんなんだろう、ここって?」と首を傾げつつ、私は導きに誘(いざな)われるまま、奥に進んで行きました。

そして突き当たりのキッチンに立った時、頭の中の電球にパチンと電気が灯りました。今までの人生でこれが灯った時は必ず従うようにしてきました。ただならぬ縁があることが、はっきりと示されているからです。そこに理屈はありません。「そうか、ここが私たちの家なのか!誘ってくれたのは家そのものなんだ。」 私は他人事のようにそう思い、粋な計らいに微笑みながら振り向くと、すぐ後に夫が立っていました。「いいね。」「決まりだな。」 ここから先は「レモンの木のある家」の通りです。

そうです、ミセス・ダレカは私たちが越してくる前日まで、私たちの家に住んでいた"誰か"なのです。引っ越しまでに、ここを2回訪れました。1回目はこれまで述べて来た初めて不動産屋に部屋を見せてもらった時。2回目は契約を決めた後、家具や家電を事前に買っておくために、間取りを測らせてもらった時です。いずれの時も彼女は家を空けておいてくれたので、こちらは気兼ねなく見せてもらうことができました。作り付けの家具も収納スペースの大きさを確認するためすべて開けてみましたが、どこもインテリア雑誌の写真のように、ほんの少しのものがきれいに並んでいるばかりでした。

「なんという家!なんという人!」 見れば見るほど、知れば知るほど、彼女の御技(みわざ)に感嘆しました、「子なしならいざ知らず、小さい子が二人もいて、どうやったらここまで家に手間をかけられるんだろう?」 主婦業も2年目に入ってくれば、この水準を維持するためにどれだけの家事をこなさなければならないか、察しもつきます。庭の手入れを夫に任せたとしても、膨大な労力です。しかし、彼女は事もなげにやってのけているのです。家のどこにも私たちのために急きょ片付けたような痕跡はなく、散らかっていたものがキャビネットに押し込まれているようなこともありませんでした。

オーブンの中も換気扇も、掃除したてのように見えます。本来、電子レンジを置くようにしつらえた場所が、使いこなした料理の本でびっしり埋まっているところを見ると、彼女はよほど料理をする人のようです。ところが、キッチンのどこにも油染みたところがなく、あろうことかCDラジカセまで置いてあります。油っぽくなった日には掃除のしにくい、厄介極まりない代物です。安っぽく、古くさく見えてもおかしくないステンレスのシンクは、丁寧に磨かれているためにメタリックな家電と上手くコーディネートされ、退屈なキッチン周りをクールに引き立てています。もちろん仕事を完璧にするために、何の変哲もない水道の蛇口までピカピカなのは言うまでもありません。

「さぁ、どこでもお好きなところを見ていってちょうだいね」と微笑む、彼女の声が聞こえてきそうでした。それは自信に満ちたものというより、余裕に満ちたものでした。彼女は普段からこうして暮らしているのです。どこをつつかれても、痛くも痒くもないのです。人目のあるなしにかかわらず、彼女自身の意思で家を磨き、慈しんで毎日を送っているのです。磨きと慈しみは家だけに留まらず、食事や持ち物、もちろん夫や子ども、ペットにも惜しげもなく注がれているはずです。息づく家全体に幸せの香りが満ちていました。
(←ミセス・ダレカのリビング)

「彼女に続こう。この家を引き継ぐ者として、彼女が吹き込んだ息吹を逃がしてしまわないように。どこまでできるかわからないけど、精一杯やってみよう。」 彼女と同じようにすることが、どれだけの負担になるのか想像もつきませんでした。しかし、「愛せば、この家は応えてくれる」という実感が、私の決心を支えていました。「本当はこの家だけじゃなく、心から慈しめばすべてのモノに魂を見出すことができるのかもしれない。ただ私たち人間がそれを信じていないだけなのでは?」 私の思考はそこまで行っていました。とんでもない飛躍のようですが、常々漠然と考えていたことでしたが、この家を知ってそれが確信に変わっていきました。

人生で一度しか出会うチャンスがなく、その時に既成概念をためらいもなく捨てさせてくれる人を、私は「神様のお遣い」だと信じています。「いつかやろう」「そのうち考えよう」とのらりくらりしている私に、ガツンと一発お見舞いしてくれるか、それまで考えてもみなかったようなことをパッと見せてくれるか、方法やタイミングはさまざまです。しかし、彼らに共通していることは必ず一期一会で、2回目がないことです。出会った時にメッセージが読めないと、「その次」はないのです。ミセス・ダレカはまさに「お遣い」でした。直接お目にかかる機会もないまま、これだけの啓示を与えられたのですから、いかに貴重な出会いだったことか。それゆえに、彼女が教えてくれたことの深さと大きさに、心から感謝しています。(つづく)

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「マヨネーズ」 実は引っ越し前にもう一度、この家を訪ねていました。冷蔵庫を置く場所の寸法を間違えて測っていた私は、それを再確認したく不動産屋にも告げず直接ドアをたたきました。日曜の午前中だったので在宅の可能性は高いと踏んでいましたが、留守でした。「神様のお遣いだもんねー、そんな簡単に姿なんか見せられっこないか・・・」と、ニヤニヤしながら木戸を締めて家を後にしたものです。

西蘭みこと