Vol.0271 「NZ・生活編」 〜癒しの大地・慰めの緑 その2〜

「あなたは誰なの?」 今の家に引っ越してきた初日から、私は心の中で語りかけていました。しかし、裏庭に枝を張る巨木は黙ったままでした。堅く握ったこぶしのような枝を8月の寒空に突き上げ、じっとしているばかり。身を切るような北風が吹きすさぶ中、「果たしてこの木に芽が出たり、花が咲いたりする日が来るんだろうか?」と思いながら、毎日のように米のとぎ汁を根元にかけ、服の前を掻き合わせながら見上げていたものでした。                                (9月→) 

そんな無言の木にも、春の訪れとともに表情が出てきました。10月に入るといつの間にかこぶしの先が膨らみ、ブロッコリーのような小枝とも若葉とも見分けがつかないものがたくさん出てきました。まるで堅いさなぎから、にわかには同じ生き物とは信じがたい柔らかで鮮やかな蝶が出て来たかのような眺めでした。ブロッコリーはあれよあれよという間に伸びていき、始めは点だったものが線になり、気がつけば見上げた視界いっぱいに広がる面になっていました。(←10月)

11月にはピンクの花をいっせいに咲かせ、空を覆うほどの若葉と満開の花は、重みで枝をしならせるほどでした。何重にもなった花と葉は、陽射しの強い日には日傘代わりに、雨の日には雨傘代わりになって、外遊びをする子どもたちを高いところから包んでくれました。しかし、ひと雨、ひと風ごとに花は散り、12月に入ると葉桜さながらに。今では風雨にさらされると若葉のついた小枝ごと落ちてくるようになり、夜中に風が吹いた日などは、翌朝ほうきで掃き出さなくてはならないほどです。                 (→11月)

5ヶ月一緒にいて、木とはずい分親しくなりました。気がつくと、私はこの寡黙な隣人に盛んに語りかけていました。「ずい分、葉っぱをつけるのねー」「もうちょっとゆっくり、順番に咲いてくれないかなぁ」「雨が降ってよかったね。お腹いっぱい?」「幹のこけがきれいね。一緒だと気持ちいいの?」などなど。もちろん、応えはありません。しかし、それはあくまで耳で聞こえるもの、目で見えるものがないというだけです。仰天されるかもしれませんが、心ではなんとなく通じ合っているような気がします。

「知り合いがいない異国の地で暮らし始め、とうとう木まで相手にするようになったか?」と思うと、我ながら可笑しくもあります。しかし、それぐらい"彼"には親しみを感じています。濃い緑に囲まれた生活のせいか、「"彼ら"にも意思がある」と、真剣に考えるようになりました。「意思がある以上、それを疎通させることもできるのではないか?」とも。

この場合、もちろん人間同士のそれとは大いに異なります。人には人の語りかけが、木には木の語りかけがあるのではないかと思っています。私は声に出したり、頭に思い描いたりすることしかできませんが、木は木のやり方で何かを伝えてくれているような気がしてなりません。「そんなバカな」と一笑に付されればそれまでですが、口をきかない飼い猫とのコミュニケーションで、言葉を介さずに想いを伝えることに多少なりとも手応えを感じるうちに、対話の対象が動物から植物にまで広がってきました。(←12月)

意志の疎通が図れているかどうかは別にしても、私がこうした緑に大いに慰められているのは事実です。ただの物質のようだった無骨な枝から新芽や若葉が日増しに伸びていく様は、生を目いっぱい謳歌する力強さと、明日を信じる揺るぎない力に溢れていました。見上げれば、不慣れな土地での暮らしに追われている私を、包むように守るように注がれる視線さえ、感じる気がしました。

「ごらん、春は必ず来る。こうやってまた芽吹く。花盛りの季節もちゃんと来る。寒くなる前に落とせるものはみんな落として、厳しい季節は一番身を小さくして乗り切るのさ。大丈夫、何があっても季節は巡る。簡単に枯れたりしないよ。」 "彼"は自らの姿をメッセージに代え、そんな風に語りかけてくれます。キッチンから朝に夕にその姿を眺めながら、私は日々メッセージを受け取り、感謝の念にたえません。

「ありがとう。昨日を慈しみ、明日を夢見ながら、今日の日を丁寧に生きてみるわ。1日たりとも無駄にせず、生きていることに感謝しながらやっていくわね。厳しい寒さも、辛い暑さも、雨も風もみんな必要なものなのだと、あなたから習ったわ。そう思うと、寒さにも雨にもそうそう文句はないわ。水は天の恵みよね。あなたは私を慰め、私はあなたに水を贈るわ。何があっても明日は来る。いつまでもここに留まっていてね。」

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「マヨネーズ」 ニュージーランドはあと丸2日で2005年を迎えます。今年は3年来の夢だった移住という夢がかない、本当に幸せな年でした。来年は受け入れられた感謝の気持ちをかたちに代え、何らかのかたちでニュージーランドに返していける最初の年となるよう、心から願っています。もちろんこの国への感謝は、一生続くことでしょう。

昨年はこの場で「イラクやアフガニスタンでは日々の生活さえままならない人たちが大勢いて、イランの大地震では死者が4〜5万人にも達しようとしています」と書きましたが、今年もまたスマトラ沖地震で犠牲者が執筆時で5万人を超え、7〜10万人にも上ろうとしています。失われたたくさんの命がインド洋のきらめく水蒸気となって空に帰っていく様がまぶたの奥に広がるようです。彼らの冥福を祈って止みません。自然への畏敬の念と生かされていることへの感謝の念を新たに、厳粛な気持ちで新年を迎えることにします。

西蘭みこと