Vol.0283 生活編 〜ピュア〜

誕生日を迎え43歳になりました。去年の今頃はメルマガ「42年目の空」で、"ここに来て再び上を見始めた気がします。(中略)抽象的に言えば「より良く生きるための上昇」です。具体的にはカネや社会的地位といった世俗的なものとはまったく関係なく、他者や社会に対して自分がどこまでかかわり、貢献していけるのか、それによって人生がどれぐらい豊かになるのかを問うものとでも言いましょうか?」と書きました。

今の生活は"カネや社会的地位"には見事に無関係で(笑)、他者や社会とのかかわりは、ニュージーランドに来て日が浅いことからまだまだ未熟なものですが、目は常に外側へ外側へと向いています。それは同時に、周囲とのかかわりの中で自分の新しい居場所を確認する作業ともなり、自身の内側を深めることにもつながりそうです。香港の、もっと遡れば結婚以来の安定した生活を捨て、新天地への移住、起業という破天荒な展開に出て半年。思うところはいろいろですが、特にこの農暦正月(今年は2月9日)の年頭に当たり強く感じていることは、「ピュア(pure)」ということです。

「純粋」「正直」「まっすぐ」「透明」「単純」「一生懸命」「生粋」「清らか」「澄んだ」・・・その一言はいかようにも意訳できましょうが、思うところは「ピュア」という一語にギュッと詰まっています。NZでの暮らしを通じ、「生半可な気持ちでは前に進めない」という思いを強くしました。もちろん、そこまで意気込まなくても普段の生活はそこそこ過ぎて行きます。所詮、どこに行っても何をしていても人間、生きていけるものです。ただし、「ここまでやってきた意義を追求し、受け入れられた感謝をかたちにしたい」と真剣に望むのであれば、自分の生活がつつがなく送れるだけでは足りないと感じています。

もちろん、こうした壮大なテーマが一朝一夕に実現するわけはなく、そんなにお手軽なものでは意味をなさないと心得ていますが、最終目的地が違えば最初から心構えも違ってくるものです。同じ山歩きでも、裏庭と冬のアルプスとではまったく準備が違うはずです。目指すものが大きい分、気構えも大きくなります。その中で、「生半可な気持ち」がお荷物どころか障害になると実感し始めました。

具体的に言うと、普段の生活でも、仕事でも、付き合いでも、「これぐらいやっていればいいだろう」という、高をくくった気持ち。見知らぬ場所の生活や習慣をそれ以上知ろうともせず、自分の心の中に線を引き、その中に立てこもろうとする生半可。面倒でも、英語での不備を感じながらも、「郷にいれば郷に従え」を肝に銘じ、ここのやり方を謙虚に学び、その上で自分なりの落としどころを捜すよう、もう一歩踏み込む必要性を感じています。

他にも、よく言われる「生活の質を落としたくない」という考え方。「いくら夢がかなって移住してきても、ここまで来て苦労したり貧乏したりしたくない」という趣旨のことを、いろいろなところで見聞してきました。新移民にある程度共通する思いなのかもしれません。ここでいう「生活の質」は往々にして金銭に置き換えられるもので、それ以外では住環境を例に挙げるまでもなく、かなり高いものが提供されていると思います。私の中では金銭に置き換えられるものへの執着は非常に希薄だと思っていますが、気づかないところでまだ生半可な価値観を引きずっているかもしれず、注意してみる必要がありそうです。

得るものがあれば失うものがあるのは仕方ないと思っています。新たに得たものに、より価値を見出すのであれば、代わりに失っていくものに愛惜を感じても未練はありません。常々思っているように、「二つの生は同時に生きられない」からです。今年は、嘘はもちろん、見栄、奢り、媚び、お世辞、背伸び、虚栄、不必要な妥協や謙り・・・こうした事実を少しでも歪めることを徹底的に洗い出し、高下駄やヒールを脱いで裸足になろう、自分たちの本当の身の丈を知り、等身大の人生を生きていこう、と思っています。それこそが生半可を越えて前へ進む力になると信じています。

一点の曇りもない真摯な想いが、今の気持ち、「ピュア」なのです。これはまた徹頭徹尾、個人的なものでもあります。友人知人がどう思おうが、ましてや得体の知れない"世間"などというものがどう言おうが、人に迷惑をかけない限り知ったことではありません。真剣であればあるほど他者を意識する隙間などなく、彼らの視線を気にすることもウケを狙う必要もなくなります。向き合うのは自分とその延長である家族まで。あとは十把一絡げで他者です。誰にへつらうことなく自分で自身の人生を生き、夢をかなえていくだけです。

こう言い切ってしまうと、一般的な日本人にはずい分横柄で身勝手に聞こえるかもしれません。しかし、キウイの視線は温かです。はっきりとした自己主張は、意味のない曖昧な微笑みよりも歓迎されます。「私たちはあなたたちのような移民を歓迎します。」 彼らにこう言われる時が、今の私には一番嬉しい瞬間です。口約束や社交辞令ではなく、いつの日か彼らの温かい言葉に目に見えるかたちで応えていけるまで、「移民」という看板を掲げつつ、コツコツとやっていこうと思います。素足の、素直な、素顔で・・・。

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「マヨネーズ」 「旧正月は何日休むの?」 いつも行くグレン・イネスの魚屋で中国は福建省から来た店主に声をかけると、「休み?1日もないさ。いつも通りだよ」と苦笑されました。中国人が農暦正月を祝わないなんて、西洋人からクリスマスを取り上げるようなものです。「ホント?1日も?」「あぁ、ここの連中には関係ないからね」と、再び苦笑い。「まったく正月気分のかけらもないよなぁ」と、人のいい小父さんが言い、レジの奥さん、魚を提げた私も力なく笑って「じゃ、また来週」と言って別れました。今日はその元旦です。
(←香港時代、毎年初詣に行っていた「天后廟」)

西蘭みこと