Vol.0306 生活編 〜90秒〜

「この列車はやや遅れており、90秒の遅れを取り戻すために通常よりスピードを上げていたとみられます。次も日本人犠牲者のニュースです。パリで日本人を乗せた観光バスが高速道路から転落し・・・」 4月26日の夜。ニュージーランドのニュース番組でも、海外のトップニュースは前日の尼崎の列車脱線事故でした。有名女性キャスターが、「90秒」と読み上げる時、「ナインティー」をややゆっくり、「セカンド」を「セッカンド」と心持ち強調していたのが印象的でした。

感情をあらわにしないのがお約束のニュースで、これは最大の意思表示でしょう。彼女が「90秒」という事実に驚愕していたのは明らかです。すでにインターネット経由で細かい経緯を知っていた私でさえ、彼女の「ナインティー・セッカンド」を聞いて、心にさざなみが立ちました。日本の報道も盛んに「1分半の遅れ」と報じていましたが、英語的に「90秒」と指摘されると、同じ時間がより短く聞こえたのです。

個人的感覚なのかもしれませんが、より大きな単位の分刻みで言われると、「1分半」は「2分」や「5分」により近く、「90秒」と秒単位になると、より短く、刹那的にさえ思えました。彼女のアクセントは私の気持ちにピタリときました。「本当に"90秒の遅れ"を挽回することが事故の根底だったとしたら・・・」 足元にひたひたと虚しさが忍び寄ってくるようでした。

日本ほど緻密かつ正確なダイヤを持つ鉄道システムが、世界のどこにもない以上、日本人(もしくは日本で長く暮らしたことのある外国人)以外の人たちが、「90秒の遅れ」を実感することは難しいでしょう。遅れとして認識されることすらないでしょう。NZの鉄道は5分、10分の遅れは当たり前です。渋滞を走る日本のバスの方が、よほど時間に正確ではないかと思います。しかし、ここの鉄道はそれで回っています。乗客は待っている電車が来なければ、無人駅の専用電話からオペレーターに電話をし、乗ろうとしている電車がすでに行ってしまったのか、ただ遅れているのかを確認するだけです。ここには根本的に、日本を除く世界の国々同様、90秒を「遅れ」と認識する文化がありません。                         
    (まぁ、電車と言ってもこんなディーゼル車ですけど・・・笑↑)

なぜ日本ではそれが「遅れ」になり、運転士の処罰の対象になるのでしょう? 報道通り、関西特有のJRと私鉄との競合の激しさが一因なのかもしれません。「私鉄より○分速い」はさぞや大きなポイントだったのでしょう。私もたった1年だけですが横浜の実家から東京の大学へ通っていた時、毎朝、財布に入れた小さな時刻表とにらめっこで、「東海道線で行くか?スカ線(横須賀線)で行くか?」と数分の差を縮めることに躍起になっていました。それは世間の"常識"で、駅のホームではたくさんの人が時刻表を睨んでいました。

しかし、面と向かって「なぜそんなに数分が惜しいの?」と尋ねられたら、答えに詰まってしまったことでしょう。朝、少しでもゆっくり家を出たい。その前に少しでもゆっくり寝ていたい。前の晩、少しでも夜更かししたかった。そもそも、少しでも早く帰りたかったのに友だちと会って(もしくはバイトがあって)。それなのに、少しでもパックがしたく、少しでも雑誌が読みたく、少しでも朝ごはんを食べときたくて・・・。たくさんの"少しでも"に首までつかった、欲張りな私がいるだけでした。ゆとりが、なかったのです。

しかし、それは社会の雰囲気でもありました。きっと今も昔も変わっていないことでしょう。私は"常識的"に振舞っていたに過ぎません。失ったゆとりを少しでも取り戻そうと、個人も社会も時間への要求は異様に貪欲です。それに応えることは民間公共問わず、至上命令です。要求が尽きない以上、日本は鍛えに鍛え抜かれ、世界でも例を見ないほど時間に正確な社会となりました。しかし、要求は増すばかりで、終わりがありません。

ここまで不可能を可能にしても、誰も感謝などしていないのです。むしろ、「ここまでできるならもっとできるだろう」「他社はもっとやっている」と不機嫌そうに無限の要求を突きつけるばかりで、現実に不満さえかこっています。その結果、当事者でさえ、なぜここまで追い込まれなくてはいけないのかわからないまま、正確さだけがとんでもない水準に到達してしまったとしたら? そして行き着いた「90秒」だったとしたら? 正確さを提供する人もまた消費者です。お互いがお互いを追い込んでいる構図に終わりはありません。あるとしたら、恐ろしく悲劇的なもののはずです。  

移住以来、「日本じゃ考えられない」という言葉を批判的に使うことを自ら禁じてきました。ここでの生活、価値観に心底惚れこんでやってきた以上、それを口にするのはルール違反、ひいては自己矛盾だと思っています。残業のないライフスタイルを尊重するのであれば、頼んだことが時間通りに終わっていなくてもそうそう文句は言えません。電車が遅れるなら、早めに家を出よう。その分、早めに用意をして早めに朝ごはんにしよう。早く起きて早く寝よう。今日できなかったことは、明日やろう。生きている限り、明日は来るのだから・・・。

脱線事故の犠牲者の方々のご冥福を、心からお祈りいたします。

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「マヨネーズ」 5月2日の「朝日新聞」(インターネット版)にも同じテーマの記事がありました。「原因には時間への強迫観念?」「世界中どこでも、90秒遅れはおそらく定刻通り」とニューヨーク・タイムズが言えば、ニューヨーク市交通局は原因不明の遅れがあれば運転士から事情を聴くものの、「スケジュールを本来のものに戻すためで、処罰が目的ではない。でも、速度制限違反は罰する」と言っています。

フランス鉄道も、「許容範囲を超さないと取り戻せない遅れは、放っておくしかない」と言い、各国とも秒単位の遅れには首をかしげるばかり。そんなものに文句を言う乗客がいない以上、問題とみなされないのです。しかし、日本人はそれに苦情を呈し、問題になります。この差、なのです。  

西蘭みこと