Vol.0310 NZ編 〜ガリポリの記憶 その4〜

「戦場だったガリポリを歩くということは、おびただしい血が流され、ほとんど聖土となったの土地を歩くことです。」 第一次世界大戦中の1915年4月25日未明に決行された、トルコのガリポリ(ゲルボル)上陸作戦。その90周年記念式典に参列したニュージーランドのヘレン・クラーク首相は、自らのスピーチの中でこう語りかけ、この作戦で犠牲になった8万7千人のトルコ兵に哀悼の意を捧げました。

「政治家のスピーチなんて、お抱えのスピーチライターの原稿を棒読みしてるだけ」と、長い間、高をくくって来ました。しかし、クラーク首相のスピーチやちょっとした発言には、本当に心を動かされます。有能なスピーチライターがいるにしても、彼女がその内容を完全に自分のものにして「読む」のではなく「語る」からかもしれませんが、今回のスピーチもまた印象深いものでした。

これに対しエルドアン・トルコ首相は、「憎しみあった戦いは、両国の固い絆への道を開いた」と応え、連合軍の2倍の犠牲を払って祖国防衛を果たした国は、侵略軍の一翼を担ったNZを温かく迎え入れています。クラーク首相はまた、ガリポリの壁に刻まれたトルコ兵アディル・シャヒンが残した言葉、「彼らの任務はここへ来て侵略すること、我々の任務は防衛すること」を引用し、「ガリポリの死戦場で起きたことに、楽しみなど見出しようもありません。しかし、死と惨事の狭間にあっても、敵対する者同士の間に、和解への礎となる勇気、名誉、敬意がありました」と語っています。

これは、残された者が無為な戦争に少しでも意義を持たせるための"後付け講釈"とも取れましょう。しかし、ガリポリは訓練を受け軍服を着た兵士同士の戦いであり、一般市民を巻き添えにする市街戦ではなかったため、敵の優れた戦法や作戦に対しては、戦いのプロとしてそれなりに敬意が払われていたことは、関連文書からも読み取れます。これが第二次大戦となると、ヨーロッパでは人種差別からユダヤ人の大量虐殺が、アジアでは侵略に伴う無差別攻撃や原爆投下が、おびただしい人命を奪ってしまうことになります。

いずれにしても、軍服を着て銃を持った第一次大戦の兵士たちもまた、戦争が始まるまでは鍬や鋤を持ち、羊を追う人々であったわけですから、戦場という場所で人間が命を落としていく悲惨さに違いはありません。「ここで戦った兵士の後継者、末裔として、彼らの貢献と犠牲に思いを馳せ、真の勇者だった彼らが果敢にも名誉をかけて立ち向かった恐怖に、これからの世代が直面せずにすむ世界を築いていくことは、今の我々の責任です」というクラーク首相の言葉は、政治家としての建前論を超えた、個人の決意として私の胸に届きました。少なくとも次世代を育んでいるすべての親の心に、共振する言葉だったと思います。

苦しみと絶望は長い年月を経て、許しと希望へと姿を変えていきました。憎みあい殺しあった民族が、肩を寄せあい凍えるガリポリの丘に並び立つことは可能なのです。幾多の想いを越えて心情的に並んだ者は、苦しみと絶望が許しと希望に変わっていく感動と感激を決して忘れることはないでしょう。民族の心に刻まれた想いを語り継ぎ、リレーのバトンのように次世代に引き継いできたからこそ、若い人たちが、2万人もの人たちが、白い息を吐きながら今でもこの丘に立つのでしょう。

暗く冷たく病気の巣窟だった塹壕の中を、味方の死体を踏み越えながら戦い、敵と対峙した地獄のような時間。その非現実が言葉どころか銃弾しか交わさない敵味方を共通の想いで結びつけ、それがエルドアン首相の言う"固い絆"となっているのかもしれません。その共通の想いとは、虚空以外の何物でもなかったのではないかと想像します。アンザック兵("Australian and New Zealand Army Corps"の頭文字ANZACから命名)にしろ、トルコの片田舎の不ぞろいな兵士にしろ、ドイツのヨーロッパ制覇を阻む(もしくは守る)という戦争の大義に、どれだけ感情移入できたでしょう。

「ガリポリを遠く離れるまで僕は泣かない。一度でも泣いてしまったら、決して泣き止むことはできないから。友だちが毎日、時には毎時間死んで行く。素晴らしい友だちたち。心の中で密かにその死を悼む。それだけが僕にできること。戦争が続いていく限り、親友の死など5分で忘れられる。」

これは若いキウイの兵士が、親友が銃弾に倒れた直後に家に書き送った手紙の一説です。この非情がNZに敵ばかりでなく、イギリスから独立したばかりの兄弟国オーストラリアとの絆も深めさせ、双方の間にアンザックとしての誇りを芽生えさせていきました。ここにきてキウイの視線は、初めてイギリスから自分たちの足元へと移ってきたのです。(つづく)

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「マヨネーズ」 南半球のラグビーシーズンの前半を飾る、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ3ヶ国の強豪プロ12チームのリーグ戦「スーパー12」が、いよいよ来週、決勝戦を迎えます。ここに来るまで数々のドラマがありました。
(「オールブラックス」のキャプテンでNZラグビー界きっての人格者、哲学者のような深い眼差しのタナ・ウマガ。「スーパー12」100試合出場という史上4人目の快挙を成し遂げました→)


思わぬケガで涙を飲んでグラウンドを去った老兵、シーズンが終わらないうちからイギリスのプロに転じて姿を消したヒーロー、「刑務所に入らなかったのがせめてもの救い」とまで言われたところから這い上がり復活を果たした若手、離婚・不動産投機の失敗・アルコール依存症の三重苦を脱して決勝戦まで勝ち進むプロ中のプロ・・・と、華麗で力強いプレーの奥にある彼らの人間模様を知れば知るほど、ラグビーの魅力に取り付かれていきます。これを自身もラガーであり、1987年の第1回目のワールドカップから見ている夫の解説付きで見聞できるのは、もっけの幸いです。

決勝戦はぜひお見逃しなく。

西蘭みこと