Vol.0343 生活編 〜永遠を生きる〜                 2005年9月10日

思いがけない訃報が入った時、私たちは日本人には季節外れな「父の日」の夕食の最中でした。夫がプレゼントを開け、乾杯のグラスを挙げた直後に電話が鳴り、
「デビッドが、スカウトのデビッドが亡くなった。」
という夫の一言に、みな言葉を失いました。温の顔色がさっと曇り、彼は手にしたジンジャーエールをゴクリと一口飲みました。

デビッドは温のスカウトの師でした。孫がいる年齢ながら、ピシッと伸びた背筋、きちっとなでつけた髪、アイロンの効いたユニフォームが、それはそれは似合っていました。退役軍人とは思えない若々しさで、高い役職で海軍に戻り、後輩の育成に携わるよう何度も誘いを受けていたそうですが、本人はスカウトで子どもたちを教えながら、昼は趣味のアウトドアショップで働き、孫のベビーシッティングを楽しむ暮らしを選んでいました。

そんなデビッドが病の兆候もないまま、突然の心不全で消えるようにこの世からいなくなってしまったのです。63歳。どう考えても亡くなるには早すぎる年齢です。温がスカウトに参加したのは、今からちょうど1年前でした。体験で入った初日から、「ママ入る。絶対やる」と目を輝かせ、日頃から常々「一生、スカウトやる」と口にするほど、今でも感動と情熱は続いています。

これは温に限った話ではありません。デビッドはスカウトデン(スカウトの活動小屋)に集まるすべてのスカウト――温を最年少に上は17歳の高校生までの子どもたち――の精神的支柱でした。弔辞でも高校生のリーダーの1人が、「デビッドの代わりなんて誰にもできない」と言い切っていましたが、これはみんなの共通した想いでしょう。彼はテントの柱のように常に中央にすくっと立ち、四方に布を張ってその下に子どもたちを迎え入れていたのです。それを30年も続け、ゆうに千人を越える子どもたちを迎え育て、亡くなるその日まで、ひとりひとりの進捗具合を気にかけていたそうです。

デビッドは優しさ、温かさと同時に、正しさ、厳しさも身をもって教える人でした。ニュージーランドに限った話ではないのでしょうが、昨今のスカウトは軍隊を連想させるような活動や上下関係という誤解、存在そのものの古臭さ、サッカーやラグビーなどスポーツの隆盛で、参加者の減少という難題に突き当たっています。それに歯止めをかけるべく、数年前より、特定の活動に参加しさえすればバッジがもらえる新制度が導入されました。

バッジはスカウトにとり勲章と同じです。自分がいかに多くの課題をクリアし、その段階にまで到達したかの証なのです。ユニフォームの袖や胸がバッジで埋め尽くされたような高校生を見ると、私のような部外者でも自然に敬意を感じます。そのためにどれだけの時間と努力が費やされたのか、想像に難くないからです。新制度はバッジを容易に出すことで、子どもたちのスカウト離れを食い止めようとするものでした。

デビッドはこの制度に真っ向から反対していました。国中のスカウトで新制度に移行しなかったのは2、3ヶ所だけだったそうで、デビッドは伝統的なスカウトを守る人たちの拠り所でもありました。彼は厳しさの先にこそ本当の達成があることを説き、子どもたちも厳しさが優しさの裏返しであること、本当の達成が自分たちの自信や誇りとなり、安全な活動につながることをよく理解していました。「正しさ」と「達成」と――。デビッドの人となりを弔辞の中でこう表現している人がいましたが、遠回りでも一生の宝となる叡智を教える彼を、みな心から慕っていました。子どもは本能で真実を嗅ぎ分けるものです。

デビッドは温にとり、9年一緒に暮らしたお手伝いさんのジーナに次いで影響を受けた人でした。ジーナの教えは「三つ子の魂百までも」に相当する、本人が無自覚のまま受け入れていたものだったとしたら、デビッドの教えは本人が敬意をもって受け入れていたもので、より影響力が大きいかもしれません。
「デビッドからワン・イヤー・サービス・バッジ(参加後満1年で獲得するバッジ)をもらいたかった。」
この一言には今週で満1年を迎えた温の無念さと、デビッドへの愛惜が凝縮されています。これからも階段を一段一段上りながら、彼からバッジを一つ一つ手渡されるはずでしたが、もはや、かなわぬ夢です。

デビッドは週末に気心知れた友人とトランピング(山歩き)に行く計画で、すべての準備を整えていたそうです。「ジャンパー、登山靴、荷物は全部揃ってた。ただ、目的地だけが変わってしまった。デビッド、君が行くべき正しい道を行け。」一緒に行くはずだった親友が贈った言葉には、涙が止まりませんでした。神に、国家に、スカウトに、徹底して仕えた者の美学。誰にも知られず、本人も苦しまず、この世から旅立つダンディズム。誰よりも子どもを愛し導いた天性の師。
「かっこいいよね。」
11歳の温にすら、その気高い精神は見て取れました。

スカウトの掟(Scout Law)
A Scout is loyal and trustworthy.
A Scout is considerate and tolerant.
A Scout is a friend to all.
A Scout accepts challenges with courage.
A Scout uses resources wisely.
A Scout respects the environment.
A Scout has self-respect and is sincere.

スカウトは忠実で、信頼に足る
スカウトは思いやりがあり、寛容
スカウトはすべての友
スカウトは勇気を持って困難を受け入れる   
            (デビッドの薫陶を受け継ぐリーダーたち↑)
スカウトは資源を有効に使う
スカウトは環境を重んじる
スカウトは自尊心を持ち、誠実

たった52週間といえども、私たちにデビッドとの貴重な時間が与えられたことは、偶然ではないと信じています。温は彼を通じて学んだスカウトの真髄を、一生をかけて生きていくことでしょう。「こんな時、デビッドだったらどうするだろう」と考えながら、温のみならず、数知れないスカウトは心のうちにデビッドを宿し、次の世代を導く中でデビッドを教え、それが繰り返されていく中、デビッドは永遠を生きるのです。

May his spirit rest in peace.(親愛なるデビッド、安らかに眠れ)

西蘭みこと