Vol.0345 NZ編 〜選挙に行こう!−決断の時〜           2005年9月17日

今日はニュージーランドの総選挙の日です。54日にものぼった選挙戦がやっと終わりました。私にとっては初めてとなる投票。永住権が取れてからたったの3ヶ月半でこんな機会に恵まれるとは、永住者として嬉しい限りです。せっかくの機会を少しでも無駄にしないよう、この1ヶ月半、時間が許す限り選挙報道を追い、自分なりにあれこれと考えてきました。今は決断の時です。これから一眠りし、数時間後には投票に行ってきます。     (投票所の一つになった近所の幼稚園→)

前回お話したように、今回の選挙での二大政党の公約は「減税」に一本化されてしまいました。他の政策がお飾り程度になってしまったのは、返す返すも残念です。口に放りこめば溶けてなくなる甘いアメよりも、健康なからだを子孫に受け継がせることができる、真に国家の糧となるものを望んでいた有権者は、私だけではなかったと思います。

しかも今は未曾有の好景気。税収入が予想以上に達し、財政も健全、失業率も経済先進国では最低というこのタイミングは、21世紀を生き抜く抜本的な政策を打ち出すには二度とない機会だと思っていました。今の好況は、90年代を通じてNZが経験した厳しい国家再建への道のり、高度な経済センスを持った労働党の手腕、世界的な商品価格の上昇、これらを反映したニュージーランド・ドル高の結果でしょう。これほどの好環境下での総選挙は、大げさでなく何十年に一度、あるかないかではないかと思います。

景気拡大局面では官民ともに前向きで積極的ですから、巨額の資金を要する新しい政策に着手しやすいはずです。しかし、いったん景気が低迷しだせば、庶民の財布の紐は急激に固くなり、気持ちも萎縮してしまいます。少しでも雇用不安など出てくれば、お金のかかる話など聞きたくもないでしょう。鼻息荒かったNZの好景気も原油高やインフレ圧力でさすがに息切れ感が出てきています。エコノミストたちは目を皿のようにして経済統計を読み解きながら、「いつ、どう "悪化"するか」を予測しているところで、このタイミングで有権者に訴えられることは、どの政党にも最良の舞台だったはずです。

しかし、予想に反して、見せられた芝居は大半がソープオペラでした。終盤戦には「うそつき」(=国民党ブラッシュ党首)、「傲慢」(=クラーク首相)というレベルにまで落ちてしまい、「国民はうんざりしていて、早いところ結果を知りたがっている」(グリーン:緑の党)という状態ではなかったかと思います。茶番や同じ芝居には説得力がなく、筋書きもない思いつきのにわか芝居(国民党のガソリン代補助公約など)にもこりごりでした。有権者も候補者も今日の日を迎え、さぞやホッとしていることでしょう。

アンケート結果によれば、有権者の最大の関心事は最終的に「減税」でした。その次が「医療」。前回の「アメとアメ」でお話したように、アメしか与えられなかった結果、「どちらが大きくておいしいか」ということに興味が集中してしまったのです。「本当に今アメが必要か?」というそもそも論が、こうもあっさり消えてしまったのは残念でなりません。
「記憶にある限り、近年の選挙では見たことがないほど欲の皮が突っ張った選挙。NZの性格のダークサイドだ」(プログレッシブ:革新連合党)
という、老練政治家ジム・アンダートン党首の言葉には深くうなづいてしまいました。

減税話が出てくる前の問題意識こそが、本当の民意ではないかと思います。最大の関心だった「医療」については、
「今後10年以内に公立の総合病院を○ヶ所増設」
「治療や手術の待ち時間を毎年○%ずつ削減して○年で一掃」
など数字を入れたマニフェストを、きちんと訴えて欲しかったです。労働党の漠然とした「改善」や国民党の「予算の現状維持」(人口の増加と老齢化を考慮すれば、これは質の低下を意味します)、アクト党の「私立病院との連携」などでは、とても先のビジョンが描けませんでした。

医療従事者不足などさまざまな問題があるにしても、こうした現実に拘泥していてはいつまで経っても問題が解決しません。個人の自助努力でどうなるものでもないからこそ、政府に期待しているのです。資金不足や医療水準の低さに悩む経済発展途上国でもないのに、この国では治療を待ちきれない重病人がオーストラリアやイギリスまで飛行機で運ばれていくのです。この深刻で惨めな現実が次期政権で改善するのと、週数十ドル分のアメがポケットに収まるのと、どちらが大事でしょう?

アメリカのハリケーン「カトリーナ」の後はっきり見たように、何か起きた時の国民の要求には限りがありません。どの政権にとっても、信任とそれを遂行するための備えは欠かせないことでしょう。営々と溜め込んできた蓄えを使い、借金までして「アメ」を配ることには反対です。借金をして一段と大きく儲けるのは金融市場では常套手段ですが、利益追求を目指しているわけではない国家運営においては、本当に未来の資産になるもの以外には禁じ手だと思います。こうした資産とは、今なら病院を筆頭に、行くところまで行ってしまった自動車社会の先にある、鉄道網などでしょう。

いろいろ考えましたが、気持ちはすでに固まりました。大筋の政策にはがっかりさせられましたが、ここは党の基本姿勢に賭けようと思います。この国の末永い繁栄と独立を守り、キウイが好んで使う信念(faith)、尊厳(dignity)を地で行くと同時に、最終的に地球規模での共存共栄を目指す人たちに、一票を投じます。
「みな、お互いがどれだけ依存しあっているのかを忘れてしまったかのようだ」
というアンダートン党首の一言には「個人」と「国家」をつなぐ政治家の視線を感じました。

「持てる知識を分かち合え。それこそが永遠への道。」
ダライ・ラマの言葉です。

西蘭みこと