Vol.0351 NZ・生活編 〜21世紀のその日暮らしU〜            2005年10月15日

2002年4月にメルマガ「私的21世紀の暮らし方」を書いた時、私は漠然と、物質万能文化とそれを支える金銭を得るための途方もない仕事に、疑問と不安を感じていました。子どもを持ってつくづく感じるようになった時間の大切さは、時として金銭以上でした。「どんどん成長していく子どもに"いつか"はない。何かしてあげたいなら、今しかない。」とも感じていました。人生の大半に当たる膨大な時間を仕事に費やし、いったい何が残るのでしょう? その答えが、マイホームや銀行口座のいくばかりかの残高だとしたら?

「身の丈にあった暮らしを見つけ、その維持に必要なものだけを求めて生きていくことは、できないものなのでしょうか? 消費文化に首まで浸かりながら、自分まで消耗していくような喪失感に囚われた時、ふと思い出したのが、あのテ・アナウのひと時でした。古いラジオから流れ出す、過ぎ去った時代。人類と地球のバランスが、今よりもう少し良かったであろう時代。」(「私的21世紀の暮らし方」より)

当時の思考はそこまででした。執筆時から9年前に立ち寄ったニュージーランドの片田舎テ・アナウで、その可能性の片鱗を垣間見たことを思い出したところで、思考は止まっていました。言葉では言い表せても、「暮らしの維持に必要なものだけを求める」にはどうしたらいいのか、それがなにを意味するのかはわからずにいました。例え、可能性の片鱗を見たNZに移住したとしても、そう簡単に生活を変えることなどできないと、内心見くびってもいました。ただ、移住の決心を機に問題意識だけはより明確になっていました。
   
(テ・アナウはミルフォードサウンドへの入り口。ミルフォードサウンドのクルーズにて→)

その1年後の2003年3月。漠然としていた私の思考のど真ん中に、電撃的な楔が打ち込まれました。散り散りだった砂鉄のような想いが、強力な磁力に吸い寄せられるように瞬時に一つになりました。この楔こそ、「ミュータント・メッセージ」(マルロ・モーガン著、小沢瑞穂訳、角川文庫)でした。「こんな人々がいる。こんな生き方が、こんな人生が・・」貪るようにページを繰りながら、息が詰まる想いでした。この本については語りだしたら、今までの連載のどれよりも長くなってしまうので、ここでは簡単なご紹介に留めます。(この本に関するメルマガはこちらからどうぞ)

中年のアメリカ人女性の著者は、オーストラリアの先住民族アボリジニ支援プロジェクトのために、オーストラリアに滞在していました。そこでひょんなことから、アボリジニの一部族から招待を受けます。時間からして昼食会だろうと、気軽な気持ちで出かけて行った彼女を待ち受けていたのは、オーストラリアを横断するという信じがたい話でした。ご存知のようにオーストラリアは海岸沿いの土地を除いて、中央部分はアウトバックと呼ばれる広大な砂漠です。そこを横断していくというのです。しかも、裸足の徒歩で! 

彼女は半信半疑のまま一族に従い、半日、1日と我慢の限界を先延ばしにしているうちに、不毛の砂漠で次々に見つかる水や食べ物、携帯電話のようにやり取りされるテレパシー、複雑骨折が目の前で治っていく奇跡のような医術、理想であってもこの世にはあり得ないはずの現実、まったく新しい価値観を目の当たりにしていきます。そして、それこそが奇跡そのものなのでしょうが、彼女は地獄のように過酷な場所を120日間をかけて歩き通すのです。

本の中に散りばめられた彼ら、「真実の人」族の言葉に、私は頭を殴られる思いでした。
「これで目覚めなかったら、どうかしている。」
と思いつつ、何度も何度も衝撃を受けました。彼らの持つSFまがいの不思議な力もさることながら、最もショックだったことは、彼らの考え方、生き方が決して奇をてらったものではなく、往々にして広く知れ渡っていることだったからです。
「嘘をつかない」
「人を殺してはいけない」
こうした子どもでも知っていることを、その名の通り「真実」だけを、実践する生き方! それが可能だなんて!

彼らは砂漠を旅するのにわずかな水を携えているだけで、一切の食べ物を持たずに出かけます。
「<真実の人>族の行く手には必ず食べ物がある。彼らの祈りに宇宙はつねに応じるのだ。この世界は豊かなところだと彼らは信じている」(「ミュータント・メッセージ」より) 
それが白人たちが"ネバー・ネバー・ランド"と恐れる不毛の土地であっても! 進んだ "文明人"にとって、彼らは遅れた"狩猟民族"となるでしょうが、砂漠でさえ豊かなところと感じ、常に食べ物が与えられる彼らに、農耕や酪農など根本的に不要でした。

彼らにしてみれば、明日の糧を蓄えること自体、常に与えてくれる天を信じない行為なのです。勤勉に励み、老後に備えてこつこつ預金したりする"文明人"の常識など、彼らには最も理解できないことでしょう。このギャップをどう解釈したらいいのか、ただちにはわかりませんでした。しかし、本を読み終わる頃には、私の気持ちは明白でした。
「彼らの行き方の方が正しい。宇宙意思とも言うべき、世界の成り立ちに沿ったものなんだ。」
と。だからこそ、彼らはオーストラリアの大地に5万年も生息してきたのでしょう。

「与えられると信じること。そのためにはできる限り、彼らのように真実を生きること。」

何から手をつけていいのかわからないほどの価値観の転換でしたが、私は新しい生き方を始めてみることにしました。(つづく)

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「マヨネーズ」 なんだか大変に話が広がってしまいましたが(汗)、始まりはこの一冊からだったので端折らないで事の発端からお話してみることにします。このメルマガは情報提供を目的にしていないので、普段は何もお勧めしませんが、この本だけはお勧めします。

西蘭みこと