Vol.0352 NZ・生活編 〜21世紀のその日暮らしV〜            2005年10月19日

「ミュータント・メッセージ」(マルロ・モーガン著)で、オーストラリアのアボリジニの一部族「真実の人」族と彼らの生き方を知ったことは、大げさではなく人生の一大転機でした。それが2003年3月だったことも何かを暗示しているように思います。私たちはその月にニュージーランド移住を申請し、同時に奇病SARSが深刻化する中、子どもと私のみ一時的に香港を離れることにしました。

移住申請は、1年2ヵ月後に認可され、その丸1年後には永住権取得という思いがけない事態に発展しました。SARSによる一時帰国は、西蘭家始まって以来の別居となり、移住に先駆けて「家族とは?」と、突き詰めて考える時間を持つことにつながりました。いずれも今に至るまで大きく影響力を及ぼす出来事でした。しかし、それにも増して「真実の人」族の生き方を知ったことは、私の人生の新たな指針となる出来事でした。発想の転換は家事や家計を通じ、家族にも間接的な影響を及ぼすことになりました。

何から手をつけていいのかわからないほど異なる価値観。一切のものを所有しないに近い暮らし。いくらなんでも、家族持ちが大都会のど真ん中でそっくり始めることはできません。しかし、何事もそうでしょうが、すべてができないからといって何もできないことにはなりません。
「今までの生活を続けながら、徐々に理想の生活に近づいていこう。」
いつもながらとことん現実的な私はこう考えました。そして、
「与えられると信じること。そのためにはできる限り、彼らのように真実を生きること。」                          
(14年暮らした香港の日常→)
ということを、心に刻みました。

以前からいろいろな事象や経験を通じて、漠然とながら因果応酬を信じていた私には、与えられる代償に何かをすることは、とても自然なことでした。与えている主である天なり神なりが、本当に見返りを求めているとは思いませんが、真実を生きようとする姿勢に与えられることへの感謝の気持ちを込めようと思いました。それは日々の祈りを生きるようなもので、求める以上はそれに最も近づく努力を怠らずにいたいと思いました。
思い立ったらすぐ行動。「与えられると信じる」のであれば、何よりも時間が欲しいと思っていながら、その思いを投げ打ってまで続けている仕事をなんとかしなくては! さっそく上司の部屋のドアをたたき、パートか在宅勤務にしてくれるように頼みました。そのいずれも受け入れられないのであれば、職を辞すつもりで、これ以上、正社員としてフルタイム勤務を続けていく意思のないことを包み隠さず伝えました。

40代の中間管理職の話としては何とも無責任に聞こえるでしょうが、さすがにこれには訳がありました。それに先立つ1月、私はすでに上司に同じ要求をしていたのです。「考えておく」と言われてからかれこれ2ヶ月。まったく音沙汰がないまま、4月の給与査定を前に、「自己評価」だの「来年度目標」だの毎年恒例の書類を作成している最中でした。正社員以外には意味のない書類もあったため、上司の本意を確かめるには絶好の機会でした。

結局、半日のパート扱いとなりました。後任人事も決まってほっとする間もなく、ひどくなる一方のSARS渦を逃れ、外国人の帰国ラッシュに混じって香港を脱出することにしました。パートとしての出社は3日だけで、優秀な後任もいたことからそのまま退職してしまいました。9年間のサラリーママ、通算16年の勤め人生活は、こんなかたちでプチンと終わったのです。5月中旬までに戻れば職場復帰できましたが、世紀の珍事がなければ決心がつかないくらいですから、あえてそうしませんでした。これで晴れて無職です(笑)

「だけど、香港と日本の二重生活でお金かかるなぁ。」 と思った矢先、さっそく
「仕事辞めたって聞いたんだけど。」
と、思いがけないところから連絡が入り、仮住まいの日本で在宅の仕事を始めることになりました。雑誌の連載も始まり、
「これって、与えられてるってこと?」
と首をかしげながら、新しい生活に突入しました。同時に香港の方では夫が家賃交渉に成功。入居時に比べて4割も安くなった家賃の貢献は、「与えられている」のに等しいものでした。

不思議なことに、在宅での仕事はその後何度となく、特別にお金が必要になるタイミングで入るようになりました。飼い猫ピッピがガンに倒れ、献身的かつ良心的な獣医に巡り会ったとはいえ、検査で血漿をロンドンまで送るだの、化学療法だの、毎日の点滴だのと、出費の方は大変です。しかし、何をしてもピッピの命には代えられないため、話をよく聞き、納得できるものにはお金を遣うことにしました。どのみち看病で家に缶詰だったことから、そんなタイミングでも上手い具合に仕事をこなすことができました。

ピッピが全快してから遣った医療費をざっと計算してみたところ、ちょうど特別に入った仕事で得た金額とほぼ同じでした。おかげで退職金には手をつけずに済みました。しかし、「私が勝手に仕事を辞めたことと家計は関係なし」という理由から、生活費、税金積立て(香港は青色申告)など、退職後もそれまで通り家計に供出していたため、退職金は移住までの1年間できれいになくなりました。(香港は転職天国なので金額は知れたものです)

「うまくできてる。」
現実的な私にも納得できる展開で、私のその日暮らしはますます本格化していきました。(つづく)

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「マヨネーズ」 「香港は家賃も変動相場制?!」ということはないのですが(笑)、大家はある大手銀行の支店長で、お互い相場に生きる身、家賃交渉はとことんやりました。しかし、相場は上下するもの。下がれば上がります。4割り下がった家賃は?続きはこちらで。

西蘭みこと