Vol.0354 NZ・生活編 〜21世紀のその日暮らしW〜            2005年10月26日

「与えられると信じること。そのためにはできる限り、彼らのように真実を生きること。」
「ミュータント・メッセージ」(マルロ・モーガン著)を読んで、オーストラリアのアボリジニの一部族、「真実の人」族の生き方を知った私に、後戻りはありませんでした。手ぶらのまま灼熱の砂漠を旅する彼らからは程遠いものの、見よう見まねで「与えられると信じること」を始めてみました。その一番の証が退職でした。

「時間が欲しい、時間が欲しい」と言いながら、定職にしがみついてきた私。仕事は次の行動に出ないいい口実になり、生活保障になり、対外的に申し開きのできる、便利な隠れ蓑でした。頭の中ではあれこれ考えていても、スーツを着込んでオフィスに立てこもってしまえば、どこからも文句は来ません。うやむやな想いを振り込まれた給料で帳消しにしながら、1ヶ月、1年と時間ばかりが過ぎていきます。

「本当にお金よりも時間が欲しいなら、絶対に移住すると信じるのなら、なぜ今、時間を選ばないの?」
自分をせっつく自分がいる一方で、
"Days in Hong Kong are numbered.(香港の日々は残りわずか)"
という英語のフレーズが何度も何度も脳を横切るようになりました。何かの刷り込みなのか、どこからか送られてくるメッセージなのか、心当たりはまったくありませんでしたが、それが英語であるだけに私の内なる声でないことは確かでした。

無職になったとたん、日本にいるにもかかわらずポツポツ仕事が入り、これ以上は望めないくらい明白に、与えられている現実を知らされました。
「かなう。信じればかなう。」
感謝と感激で胸がいっぱいでした。与えられるという「運命を信じること」。この連載の最初にお話した、私が信じる「必要なものを手に入れる」ための3つのルールの1つです。

与えられた感動に比べれば、仕事の多寡、それで得られる金額など、どうでもいいことでした。「真実の人」族も、その日、与えられた糧にただただ感謝して押し戴くだけです。地虫の日もあれば、カンガルーやトカゲの日もあります。どの生き物に対しても、自分のために命を犠牲にしてくれることへの感謝を唱えながら、その生と死を尊重しつつありがたくいただくのです。そこには選択も不満のかけらもありません。

雑誌の仕事は依頼主の趣旨に賛同の意を示すため、謝礼を辞退させていただくことにしました。通常の価値観であれば、定職を失った直後ですから少しでも収入を確保しておくべきところでしょう。しかし、「与えられる」と信じるのであれば、定収入にこだわる理由はないはずです。理屈を抜きに「分かち合うこと」。誰かに譲った何かを惜しむより、分かち合う何かを持ち合わせていることの方が遥かに大切で、幸せなことに思えました。これもまた、「必要なものを手に入れる」ための2つ目のルールです。

細々ながらも在宅の仕事が軌道に乗ってきた頃、
「ちょうど日本にいるんだし、売る込みに行くにはいいチャンスじゃない。」
と、ある友人に言われました。確かにそうです。いくら在宅とはいえ、契約をいただいての仕事なので面接もあれば、契約書も取り交わします。香港からより、日本にいながらにして取引先を探す方が有利に決まっています。しかし、「与えられる」ことと、「自分から探しに行く」ことに、どう折り合いをつけたらいいのかがわかりませんでした。そのため、何人か会うべき人に心当たりがありながら、結局は会わずじまいでした。

そうは言いつつも香港に戻るや、ある会社に連絡を取ってみました。
「こんなに上手くいくものなら、家事にも慣れてきたしもっと仕事を入れてもいいかな?」
と思ったのです。拍子抜けするほどあっさり仕事をもらうことができ、感触も良好でした。しかし、なぜか続かなくなってしまいました。この経験から、「もっと」と思うこと自体が、与えられることを100%信じていないことの裏返しと思い知り、以来、私からは一切仕事を求めないことにしました。「必要以上に求めないこと」。これも黄金のルールです。

(その日暮らしにお似合いな徒歩やバス。香港最後の1年は長年のタクシー三昧の生活から足を洗い、ずい分歩き回りました↑)

与えられることを疑わなくなったのなら、感謝をかたちにするためにも、後は真実を生きるのみ。しかし、簡単なようでいて、実際は雲をつかむような話です。私はこれを「自分なりに申し開きのできないこと、後ろめたいこと、計算高いことは一切しない」と、解釈することにしました。そこに他人の目などありようはずもありません。すべては内なる自分と天とのかかわりで、家族さえもその間には介在しません。 「自分の思うようにやり、後はあるがままに身を任せてみよう。」 と決めました。

そんな矢先、私の決心が試される出来事が移住後のニュージーランドで起きました。ある仕事を引き受けて勤め人に戻り、なんとしても手に入れたい永住権を確実に手にするか、勤め人には戻らず、「与えられると信じること」の証であるその日暮らしを続けるか。後者を選べば、永住権取得という千載一遇の機会を棒に振るかもしれません。いくら本気でその日暮らしを試しているとはいえ、夫さえもなかなか説得し得ない状況下で、移民局の担当官に説明をつけるなど、どう考えても無理そうな話でした。さて、どうしたものか?(つづく)

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「マヨネーズ」 明日、オールブラックスが年末ツアーのためにイギリスに発ちます。出発前も練習だそうで、ちょっと見に行ってこようと思います。「子どもが学校で勉強してるっていうのに、親がそんなもん見に行ってていいんだろうか?」と言いつつ、乗り気な夫。
(さっそく行ってきました。写真をラグビーブログ「ニュージーランド・ラグビー:オフ・ザ・ピッチ」の方にUPしました。こちらからどうぞ)

西蘭みこと