Vol.0358  NZ・生活編 〜21世紀のその日暮らしY〜         2005年11月9日

「仕事をしてみないか?」
友人の一言は、まさに天から降って来たかのようでした。仕事さえあれば、喉から手が出るほど欲しい永住権を手にできます。たった一枚の雇用契約書以外、すべて揃っています。思考を止め、「YES」と言えば済むことでした。

私たちが夫名義で取得した起業家向けのロングターム・ビジネス・ビザでも、永住申請ができます。ただし、事業を立ち上げ、軌道に乗せてから2年を経て初めて申請資格が生じる先の長い方法でした。その上、申請時には事業内容や業績が問われるため、申請はできても永住が保証されるわけではありません。現にこちらに来てから、店をたたんで本国に帰ったいろいろな国籍・業種の人の話を耳にしていました。

私は「2年後」というタイミングが気になっていました。今のニュージーランドは経済バブルが膨みきった状態に見えて仕方なく、この好況がさらに2年ももつとは考えられませんでした。パチンといってしまった時、当局は移民への態度を厳格化してくることでしょう。これはどこの国にでも起きうることで、シンガポールでも香港でも不況時には外国人のビザ取得が一気に難しくなったものです。自国民の雇用を優先するのは当然です。在宅業務がたいした雇用機会を生まないのは明白なので、移民局がその辺を楯に取って永住権を出し渋ったら反論は難しそうです。最悪のシナリオですが可能性はゼロではありません。

そんな時、渡りに舟とばかりに永住申請条件が緩和され、私にも申請資格ができました。少なくとも私たちはそう信じて申請し、無事受理されました。
「これですぐにも永住権が取れる!景気がどうなろうと、立ち上げた事業に専念できる。」
と、夫婦で喜んでいたのも束の間、面接に臨んだ担当官から開口一番、
「これで仕事があればね〜、絶対に永住権が出せるんだけど。働いてみる気はない?たった3ヶ月でいいのよ。」
と、緩和以前の条件――"雇用契約があること"を求められてしまったのです。

「試されている。」
私は事の展開に、はっきりと"意志"を感じました。普段から「世の中に偶然というものはない」と言い切っている人間です。このタイミングで友人の口から、願ったり叶ったりの話が飛び出すこともまた、偶然ではないはずです。
「だとすれば、何を試されているんだろう?私がこの話に飛びつくかどうか?それとも何か別のこと?」
私はしばらく、いろいろなことをぼんやり考えながら過ごしました。仕事を引き受けるかどうかという差し迫ったことではなく、"意思"の問いかけを考えていたように思います。

「なぜ二つ返事で"YES"と言えないの?仕事に自信がないの?」

「いいえ。そうではなく、この仕事が100%永住権を取得するためのものであることが解せずにいるのです。私にとって仕事とは自己実現の一手段であり、その結果として報酬を得るものでした。その過程はすべてが喜びであるべきです。心無い顧客の言葉も、思いがけない失敗も、すべてを超越していく喜びがあってこその仕事です。他のことのために、永住権のために働くということが、どうしても受け入れられないのです。」

「"たった3ヶ月でいい"という担当官の言葉にも迎合できません。3ヶ月の雇用になんの意味があるでしょう。雇用主に、取引先に、私自身に、全方位に悪でしかないはずです。彼女が本当に求めているのは、私の雇用ではなく、自分を守るための書類です。私を条件緩和後の第1号にしなくて済むための1枚の紙――雇用契約書。でも私の愛するニュージーランドはもっと"faithful"なはず。それが理想論であっても、私はそれを信じたい。」

私は家事や仕事をしながら、自問自答を続けました。正直、答えはすでに出ていました。しかし、友人からの身に余る申し出とそれへの回答の間の溝を埋めるものを、自分なりに考えていたのです。それが私にできる、友人に対する精一杯の誠意でした。その過程はまた、「試されている」と感じた"意思"への返答でもありました。行き着くところはただ一つ。徹頭徹尾、誠実であること。「ミュータント・メッセージ」(マルロ・モーガン著)を通じて知った、オーストラリアのアボリジニの一部族、「真実の人」族の生き方です。

あの夕食から2週間以上過ぎた頃、私は友人に電話をかけました。在宅の時間を狙ったつもりでしたが、彼は不在でした。電話に出た奥さんに、
「せっかくだけど、あの話は・・・」
と用件を伝えると、彼女は私の回答を重々察してくれていたようで、笑いながら聞き入れてくれました。

「なんて、いい人たち。」
電話を置きながら、胸が熱くなりました。
「彼らへの感謝は一生忘れません。でも、私はこの機会を見送ることにします。賢明に生きるより、真実に生きることに決めたからです。後戻りはありません。」
私は心の中で"意思"に答え、いつものように夕飯の用意に取りかかりました。それは5月26日のことでした。

あくる日の27日昼。私は1通のメールを受け取りました。
"I apologies for the delay in getting back to you. However
I have some good news for you. Your application has been approved.
(返事が送れてごめんなさい。でもいい報せがあるの。申請が認可されたのよ)"
(すべてが枯れ行く5月に最後まで残った庭の木の一枝→)

差出人は移民局の担当官でしたが、それが"意思"からであるのは明らかでした。試されていたのは、私が新しい生き方を2度と迷うことがないかどうかだったのです。(つづく)

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「マヨネーズ」 5月26日の前夜、25日も不思議な日でした。一生心に残ることが3つも起きましたが、そのうちの1つがこちらで、その顛末がこちら
でした。

あと2つの不思議についても、いつかまたお話ししますね。

西蘭みこと