Vol.0384  香港編 〜夢が咲く街−的士司機〜              2006年3月25日

「何人(なにじん)なんだ?」
バックミラーを見ながら、的士司機(タクシードライバー)はぶっきら棒に聞いてきました。住所を告げた広東語のアクセントから、すぐに私が外国人とわかったようです。香港で暮らしていると、こんなことは数え切れないほどあります。
「日本人よ。」
私は広東語ではなく、北京語(中国語)で答えました。私も彼の広東語にアクセントを聞き分けていました。香港人ではない、中国からの来た人のはずです。

彼は突然の北京語にぎくりとしながら、もう一度ミラーでしっかりと私を見据えました。思いがけない北京語と私の国籍をじっくり値踏みするように、こちらを見ています。
「日本人がなんだからって、こんな時間にタクシーなんか乗ってるんだ。」
「仕事の帰りよ。」
「こんな時間にか。」
「そうよ。観光客に見える?」
「なんで香港なんかで働いてるんだ?日本の方が稼ぎがいいんだろう?」
私は内心、
「まさか。」
と思いつつ黙りました。彼と私の想定する仕事が全く違う以上、説明しても無駄でしょう。
       (香港名物でもある赤いタクシーと昔ながらのトラム→)

それは今から20年近く前の80年代後半の香港。スーツケースひとつ提げてパリからやってきた私は20代半ば。見つけた仕事は広告代理店の営業。接待だの撮影の立会いだので、たびたび夜遅くタクシーに乗ることがありました。女ひとり、どんな時間でも、不安というものを感じたことはありませんでした。これは、街全体が高層マンションの灯り、街灯、ネオンで明るく、交通量もそこそこあり、早朝から飲茶レストランが開き、太極拳や体操をする人が繰り出してくる、眠らない街ならではの意外な恩恵でした。

司機(シーケイ)たちは丑三つ時であっても、午後3時のように明るく元気な広東語で迎えてくれます。つけっ放しのラジオからは陽気なカントン・ポップスが流れ、つかの間のたわいないおしゃべりに興じることも、昼間と変わりません。驚かれるかもしれませんが、香港のタクシーには深夜割増料金というものがなく、司機たちは1日を12時間ごとの真っ二つに分け、都合のいい方のシフトで仕事をしているのです。兼職をしている人も多く、夜でも人が集まります。朗らかな司機が多い中、その夜の人は目つきが鋭い人でした。

「香港で働いてみたかったのよ。」
私は唐突に答えました。
「ここに来たかったのか?オレはやっとここまで来たけど、こんな街で満足なんかしない。アメリカに行くんだ。デカいことをして成功するんだ。お前ももっと夢を持った方がいいぞ。こんなとこで満足してないで・・・」
150年間イギリス統治下にあった香港は、途中から中国人の受け入れを中止し、香港領土に不法侵入しようとする者をイギリス軍は徹底的に締め出していました。

それでもトラックの荷台や漁船の船底に隠れて、時には海を泳いで、命からがら逃亡して来る者が後を絶たず、香港領土内に入った以上は人道的見地から受け入れを認めていました(その後、返還までは強制送還するようになりましたが)。彼がこの街でハンドルを握るまでには壮大なドラマがあったことでしょう。これが鋭い目つきの理由なのかもしれません。しかし、彼にとり、ここはあくまで一里塚。目指す場所は遥かなアメリカ・・・。

「いつかはどこか他の国に行くかもしれないけど、今はここで仕事をして楽しくやってるわ。アメリカに行けるといいわね。」
「あぁ、絶対行くさ。」
そうこうしているうちに狭い香港、しかも交通量が格段に少ない深夜とあって、家に着いてしまいました。マンション前の車寄せで降り、入り口の管理人に手を挙げて挨拶すると、初老の彼は広東語でいつも通り、
「帰ってきたのか、おかえり。」
と声をかけてくれました。

発進しないタクシーを訝って振り返ると、室内灯をつけたまま停車しています。支払ったお金でも確認しているのかと思ったら、中でドライバーが小さくうなずいているのが見えました。彼は私が建物の中に入るのを見届けていてくれたのです。思わず小さく手を挙げると灯りが消え、赤い車体は暗い闇へと消えていきました。以来、夜間にこうして見届けてくれる司機が彼ひとりではないことに気づきました。香港の夜の司機はこんなにも親切で、ほんの十数分の間に熱く夢を語る人でもあったりするのです。

「どう?私だって夢をかなえたわ。アメリカじゃないけどニュージーランドに行ったの。デカいことも、成功と言えるようなこともしてないけど、幸せよ。あなたも今頃はアメリカのどこかにいるの?それともアメリカ国籍を取って故郷に錦を飾ってるかもね。私はあの夜のひと時を忘れてないわ。香港は夢を持ってそれを咲かす街――そう教えてくれたのは、あなただった。どこかの空の下、どうか元気で・・・」

「38番地はこちらですが、上まで上がりますか?」
1年半ぶりに訪れた香港で、車窓の外に目をやり思い出に耽っていた私に、司機が淀みない英語でたずねてきました。
「そうして下さい。」
友人宅のあるマンションに横付けしながら、自分がこの街でどれだけ長い時間を司機たちと過ごし、どれだけたくさんの会話を交わしただろう、と思いました。一期一会であっても、今でも覚えている人が何人もいます。今日もまた、香港の隅から隅まで知り尽くした彼らは、夢に向かってハンドルを切っていることでしょう。


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「マヨネーズ」 1年7ヶ月ぶりに訪ねた香港。日本よりもどこよりも私にとっては「里帰り」という言葉がぴたりと来る場所だということがわかりました。たくさんの友人、目をつぶっても歩ける街、どこに行ってなにをすればいいのか100%わかっているゆとり。友人と過ごす以外に、髪を切り、洋服を直しに出し、銀行に出向き、靴を直し、歯医者に行き、買い物をし、獣医に会い・・・と、2週間の時間は日常生活そのものでした。

「明日からでも戻って来て住める。」
この安心感が再び私を強く送り出してくれました。

西蘭みこと