「西蘭花通信」Vol.0397  生活編 〜感動の記憶U〜            2006年5月24日

けっきょく、シオネは4キロ弱を完走しました。運動会の800メートル走でも歩いてしまっていたことを思うと、手放しの快挙です。一度も止まらず、一度も歩かず、途中、自分でペースを調節しながら、ほぼ2キロの上り坂も含め立派に走り通しました。本人は会心の笑みを浮かべ、肩で息をしながらも清々しい表情です。達成感、満足感より一段上の感動に浸っているようでした。

「4キロ走ったってことは、800メートル走を何回やったことになる?」
「5回!」
シオネと善は同時に言い、ふたりで顔を見合わせて、
「スゲ〜!」
と目をクリクリさせています。初めて4キロの長さを実感できたのでしょう。善など休みのたびに6キロを走っているというのに、それ以上に嬉しそうです(笑) ここにも感動の影を見て取れます。実際の距離や達成よりも、どれだけ驚きのうちに喜びを見出すか―― これが大事なのです。

(運動会の800メートル走。大きな子も小さな子も男の子も女の子も一斉に→)

初めて寝返りを打てるようになった赤ちゃんにとり、視界が変わることがどんなに新鮮か想像してみて下さい。ベビーベッドにいる限り、天井かベッドの左右しか目に入らず、常に誰かの顔がにゅっと現れるのを待っていたのに、寝返りが打てたとたん、目に入るものがガラリと変わり、床が見え、そこを歩くネコが見え、枕が見えて触れて・・・一次元が二次元へ移行するような変化ではないでしょうか?

それが証拠に寝返りが打てるようになるや、赤ちゃんたちは何回も何回も何回も何回も寝返りを打ちます。視界が変わることを何度も何度も試しながら、その喜びを何度も何度も噛みしめているのです。それが自分でできる楽しみ、発見―― 生後数ヶ月の子はこの感動を脳裏の奥、心の襞の奥にまで刻みます。喜びは深く深く記憶され、一生忘れられることはないでしょう。本人が忘れてしまっても、細胞レベルのような部分に残っていくような気がします。

こうして人は(多分、動物も)生まれ落ちた瞬間から、驚きと喜びをセットで発見する感動の虜になり、誰に教えられなくても、それを追い求めるようになるのでしょう。寝返りが打てた赤ちゃんは座ることで三次元を自分のものにします。それまで数え切れないほど抱き上げられていても、自分の力で起き上がって見た風景はきっと違うはずです。頭の重さでひっくり返っても、何度も何度も起き上がって座ってみては新しい世界を楽しみ、いずれは立ち上がり、歩き始めるのです。どの感動にも後戻りはありません。

シオネがジョギングをしたのは、あれが始めてだったそうです。日本と違い、小学校の体育の授業では800メートルが精一杯の国、ここから先は本人次第です。走ることが苦痛ではなく、楽しみになりうることを知ったシオネは、三次元からさらに一歩踏み出したのかもしれません。自分が成し遂げたことへの感動がいつまでも彼の中に刻まれ、走る楽しみ、走り通す喜びがいつまでも彼とともにありますように。そして、強い意志をもって成し遂げる自分への自信と誇り、見慣れた近所の風景が舞台のように輝いて見える瞬間を忘れないで、と思います。そうであれば、彼は誰の力を借りることなく、自分で走り始めることでしょう。

もっと速く、遠くに、楽に、楽しく・・・と思えば、身軽になることの重要さ、そのための食事や他の運動に、自然と気配りができるようになるはずです。ラグビーチーム入りたさに10歳の身で、ひとりで5キロ近くもダイエットした意思の持ち主なのですから可能性は大です。そして彼が少しでも健康で、大好きなスポーツをとことん楽しめたら、この夕刻のひと時は、走りながらずっと目にしていた1日の残光のように深く暖かくいつまでも彼の中に輝き続けるかもしれません。

「初めてジョギングしたのは10歳の時だったかな。たった4キロ走るのにハーハーゼーゼー、永遠に終わらない気がしたよ。近所に住んでた妙に人懐っこい、おせっかいな日本人親子と走ったんだっけ?あいつの名前なんて言ったかな?そうそう、確かZENだ!」
こんな風にいつか私たちのことを思い出してくれたら、勿怪の幸い。
「この4キロがこれから始まる、彼の長い長い走りの出発点になれば・・・」
と、強く念じながらとっぷり暮れた夕闇の中、2軒先の家に帰るシオネを見送りました。

それから何日かしたある夕方、庭にシオネが来て善と話をしていました。しかし、その日は一家で出かけなくてはならなかったので、すぐに帰って行きました。クルマに乗るや善が、
「シオネがね、明日バスケの試合があるから一緒に走ろうって言ってたの。」
と言い、
「残念だったわね。ひとりでも走りに行ったかしら?」
と聞き返すと、
「さあ?」
という返事。

翌日、学校から戻った善が、
「ママー、シオネってあれからひとりでフードタウンまで走ったんだって!」
と、我が事のように嬉しそうに教えてくれました。あの時間からだったら、帰りはかなり暗くなっていたことでしょう。記憶された感動は人を一歩前に進めます。私の中にも温かい喜びが広がり、それは善にとっても同じことだったでしょう。感動はまた、伝わるものなのです。


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「マヨネーズ」
映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきました。 う〜ん、正直、英語が難しかったですTT キリスト教の基礎知識もないので、ますますハテナ、ハテナ?  でも、映画ならではのご都合主義(二千年の謎がなんでこんなにカンタンにわかっちゃう?)、豪華キャスト、豪華ロケ(不自然なパリのホテル「リッツ」とか)はよ〜くわかりました(笑)

この件に関しては日記「さいらん日和」でもどうぞ。

西蘭みこと