「西蘭花通信」Vol.0410  生活編 〜餓鬼月再び〜              2006年8月20日

8月第2週に届いた義母からの手紙。
「先週の日曜日(7月23日)にメガネがとうとうテーブルから落ち、フレームは飛びレンズもガタガタになりました。さっそく夕方メガネ屋へ行き新しく作りました。調べたら何と99年にお父さんといっしょに行って作りました。先週出来上がり近視のメガネに変え調子よく馴じんでおります」(原文ママ)

この一文を読むや、
「あら?」
と思い当たることがありました。さっそくインターネットで検索してみると、
「やっぱり!」
義母のメガネが壊れたことは、中国から東南アジア一円を始めとする海外華人に幅広く信じられている、餓鬼月、英語で直訳されているところのハングリーゴースト・マンスの始まりを告げるものだったようです。

餓鬼月とは日本のお盆と同じ発想で、旧暦の7月1日(今年は7月25日)にあの世の鬼門が開き、鬼(死者の霊)が一斉にこの世に戻り、鬼門が閉まる1ヵ月後まで家族を尋ねたり、誰かに取り憑いたりすると言われています。日本では通常2泊3日のお盆が、1ヶ月に延びたものと言えましょう。(この件に関しては昨年書いたメルマガ「餓鬼月」でもどうぞ)

その間、鬼を慰めるためにお供えをし、あの世でお金に困らないようにと、笑ってしまうくらいたくさんゼロがついた「地獄銀行」発行のお札を燃やしたり、鬼も人間も一緒に楽しめるようにとローカル色豊かな芝居を催したりと、お供えや盆踊りのある日本にも共通する行事がたくさんあります。夫婦で約20年も中華圏を渡り歩いてきたせいか私たちには、お盆よりも餓鬼月の方がピンと来ます。

シンガポールで暮らしていた時、この時期になると「ワヤン」と呼ばれる、京劇をぐっと庶民的にしたような芝居があちこちで演じられていました。生暖かい南国の夜風に吹かれながら屋外の仮説ステージで観るワヤンは、まさに鬼と人間がともに楽しむものとされ、人間が座ってはいけない鬼用の指定席もありました。たいした風もない日に、ステージの後に張ったシーツが大きく揺らぎ、照明の明かりが大きくなったり小さくなったりする時など、観客が固唾を飲んで凝視している気配を感じたものです。 (ワヤンについてはコチラから)

クラシック音楽をこよなく愛し、旅立ちの日の直前まで、日本語の研究論文の英訳という長年続けていた在宅での仕事をこなしていた義父。ダンディーな大正生まれでしたが、少年のようにヤンチャなところもあり、あの世でも天性の聡明さを発揮して上手いことやっているのでしょう、鬼門が開く直前に他の鬼に先駆けてさっさと帰って来てしまったようです。(こういうことは日本のお盆でもあるそうです)

帰宅したことを最愛の義母に報せたく、読書家の彼女がいつも手元に置いている、ややくたびれた老眼をテーブルから落として壊すという荒業に出たようです。メガネ屋に行き、記録を確認した義母は自然と義父を思い出し、ほんのひと時といえども7年前に一緒にメガネを作った当時を偲び、心の中で語りかけていたことでしょう。義母がフレームを選ぶ傍には見えない義父がずっと付き添っていたはずです。新しいメガネはまさに義父からのプレゼント。

「お義父さん、帰ってきたわね。」
私は手紙を読んでそう確信し、夫に告げました。
「そのうちこっちにも来るわよ。引越したばかりだし見に来るんじゃない。」
そこで日本のお盆に合わせてキュウリではなく西洋風にズッキーニで馬を作り(この話はコチラでも)、コーヒー党だった彼のために毎朝エスプレッソ・コーヒーを淹れています。
(迎え盆が「早く来れるように」とキュウリの「馬」、送り盆が「お土産をたくさん持ってゆっくり帰って」とナスの「牛」とか。長年ごっちゃにしてました。あちゃ〜→)

個人的には数日の駆け足で終わってしまうお盆よりも、1ヶ月に渡る腰の座った霊との交流の方が性に合うようです。彼らを想い、近しく感じ、見えないものを信じたり感じたりする勇気を得ることで、帰る場所もないまま下界に降り、人に取り憑いたり怨恨から悪さを起こそうとする見知らぬ霊を、心の中で慰める想像力を培うことができます。これも1ヶ月という時間のなせるわざでしょう。

今月10日にイギリス発アメリカ行きの航空機9機を同時爆破させる大規模テロが未然に発覚し、3千人とも4千人ともみられた9・11並みの犠牲者を出さずに済んだことにはどれほど胸をなで下ろし、感謝したことか。現世ではイギリス警察当局とMI5の懸命な努力が、あの世では鬼たちの最後の思い留まりがあったのだろうと思っています。いずれにしても事件は食い止められ、たくさんの尊い命が鬼門に入らずに済みました。

恐ろしくも親しい鬼たち。それが死後の愛する人や自分の姿でもあるかと思えば、知らぬふりを決め込むより、できる範囲で丁寧に迎え、丁寧に送りたいと思います。所詮は気持ちの問題であり、何かを求めたり引き換えにしたりするものではありません。ここでも繰り返し言ってきましたが、天は取引をしないと信じています。祈りは一方通行。見返りを求めては本当の想いは届かないものと思っています。敬愛する義父が近くにいる――そう思えるだけでも、どれだけ慰められることか。思い過ごしであっても幸せなことです。
(←故人がこよなく愛したリッツのクラッカーとコーヒー)

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「マヨネーズ」
ところが今年は旧暦の7月が閏月となり、2回あるとか。華人たちが「双鬼月」と恐れるもので、鬼さん、思わぬ長逗留´。`?日本でも地方によってはお盆が2回になるそうですね。友人のrikaさん掲示板 に書き込んでくれた学者説では「最初の1ヶ月が主体となり、いわゆる"双鬼月"は世間の誤解」という話も。
鬼さん、お帰りはいつ?

西蘭みこと