「西蘭花通信」Vol.0450  生活編  〜タビの旅立ち:2度目の痛み〜  2007年10月23日

「これからの人生は足し算ではなく引き算――。」
「ピッピは終わりではなく、始まり――。」
「これが老い――。」
15年間可愛がってきた愛猫ピッピを失って、突然知った「老い」の片鱗。大切なものを失う痛みから、少なくとも何かを得ました。しかし、知ったからと言って、すべてを受け入れる準備ができたわけではありません。

うちにはピッピと一緒に生まれた兄猫チャッチャの他に、もう1匹猫がいました。ピッピやチャッチャの1.5倍はある、ニュージーランドではごく普通の大きさのメス猫タビです。艶やかなガウンをまとったような黒猫ですが、お腹と四本の足先だけが真っ白でちょうど足袋を履いたようなので、私が「タビ」と名付けました。

タビは1年前に飼い主を亡くし、以来うちの床下に住んでいました。始めは素性も知らないまま、いつもお腹を空かせている様子にご飯をあげていたのですが、経緯を知ってからは家に上げない以外は、飼い猫同様にかわいがってきました。ほんの一時期、家にも上げていたのですがガンを再発したばかりのピッピに相当な負担がかかっているようだったので、心を鬼にしてピッピが回復するまで外飼いにすることにしました。

タビは大変躾けが良く、人懐っこい上、驚くほど賢い猫でした。からだは大きくても女の子らしい可愛い声で鳴き、家に上がってはいけないとわかってからはドアが開けっ放しになっていても、ジッと外に座ってご飯を待っていました。ピッピとチャッチャがこの家の猫であることも十分理解していて、道を譲ったり、昼寝を邪魔しないようにベランダのすみっこで寝たりと、人間顔負けの気配りぶりでした。

しかし、一番驚いたのは、私が考えていること、特にタビに対して語りかけることをほぼ完璧に理解したことです。不思議なことに私もタビが考えていることが、15年も一緒の飼い猫以上によくわかりました。
「女同士だから?」
私は首をかしげながらも、見知らぬ猫といとも簡単に心を通わせられるようになったことを喜びました。ピッピの闘病で精一杯のときだっただけに、「猫と話せる」という実感は希望の光でもありました。

(←心で対話ができる不思議なタビ。本当に賢く美しい猫)


「タビちゃん、ごめん。これからピッピのご飯(流動食なのであげるのに時間がかかります)だからまた後でね。」
食事時間にフレンチドアの向こうに姿を見せたタビにそう念じると、サッと姿を消すことが何度もありました。世話をし始めた時、3日連続でネズミを捕まえてきたことがありました。それが猫にとっての贈り物であることを知っていた私はタビに心を込めてお礼をいい、
「もう捕まえてこなくていいわ。毎日たくさん食べていってね。」
と念じると、贈り物はその日からピタリと止みました。(この話はコチラでも)

ここまで気心が通じれば、一緒の時間は短くても急速に情が湧くというものです。忙しそうにしている私をガラス越しに見ながら大人しく待っている姿には、慰められ励まされました。私からのメッセージはいつも、
「ごめんね、タビちゃん」「ありがとう、タビちゃん」
でした。大雨の日にびしょ濡れになってご飯を食べに来る姿や、真冬に床下で寝かせなければならないことに私は幾度となく涙し、タビも明るく暖かそうな家の中を羨ましそうに見ては、食事が終わると帰っていきました。気持ちは通じていました。タビがピッピやチャッチャと違い、見るからに健康そうだったのは私にとっての唯一の救いでした。

そんないじらしく、愛らしかったタビが突然旅立って行ったのは、ピッピを失ってちょうど3週間後のことでした。2度目の痛み――。開いたままの心の風穴には木枯らしが吹き込み、身がすくみ、息が止まるようでした。家の目の前で、真夜中の1時過ぎに交通事故に遭っていたのです。座ってしまえばほぼ真っ黒なので、角を曲がってきた運転手には見えなかったのでしょう。たまたまお向かいのご主人が帰宅したところで事故を知り、道の脇の芝地になった場所にケガを負ったタビを横たわらせ、タオルをかけておいてくれました。

翌朝、いつものように新聞を取りに出た10歳の次男が、
「ママ、タビちゃんが道の横で洗濯物と寝てるよ。」
と妙な事を言い出しました。息子たちは海外生まれ海外育ちなのでかなり怪しい日本語を話しますが、それにしても「洗濯物と寝てる」とは妙です。道端に座っていることはあっても、寝ていることはまずありません。何よりも「洗濯物が風で飛ばされたうちの物かも」というのが気になり、お弁当を作り終えたところで見に行きました。

私はいつも玄関で子どもを見送るので、次男の一声がなければ、玄関から見えない垣根の外側のタビに気が付く可能性はありませんでした。子どもたちは2人とも庭を横切って左手に抜けるため、振り向きでもしない限り門の右手のタビを目にすることはなかったでしょう。また、お向かいもタビが野良猫になったのは知っていたも
のの、うちでそこまで世話をしているとは知らずにいたそうです。ですから、次男が洗濯物だと思ったお向かいのタオルがなければ、私は2度とこの目でタビを見ることはなかったのです。(つづく)

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「マヨネーズ」
ピッピが逝って1ヶ月以上経ちました。さすがに見た目の生活は元に戻りましたが、まだまだピッピの思い出を語るには早すぎるようで文章がまとまりません。しかし、2週間前に忽然と私たちの生活から姿を消してしまったタビについては、まったく心の準備ができていなかったこともあり、たくさんの文章が浮かんできます。その内容は私自身が一番タビに伝えたかったことなのだと思います。賢いタビのことだから、今の私の思考回路をきっと読んでくれていると信じて、何回か連載してみます。

西蘭みこと

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