「西蘭花通信」Vol.0453  生活編  〜タビの旅立ち:浄化の雨〜    2007年12月1日

外飼いにしていたクロ猫のタビは、迎えに来たSPCA(動物愛護協会)のバンに乗せられ、行ってしまいました。空っぽの心で家に入ると、一足先に家に入っていたトラ猫チャッチャが私たちの寝室の隅にいました。あの日、朝起きた時も、チャッチャはそこにいました。まだ夜は冷える時期だったので、
「窓に挟まれたコーナーになんかに寝て、寒かったでしょう?」
と声をかけたほど驚きました。それまでは夜明かしどころか、チャッチャがその場所にいたことすら、1度もなかったのです。

そこはまた亡くなる前のピッピが這うようにしてでも、よく行っていた場所でした。窓の真下でひんやりしているにもかかわらず、寒がりのピッピはいつもそこに行きたがったものです。なので、同じ場所に寝ているチャッチャに気づいた時、
「ピッピを思い出してるのかな?」
と思ったものでした。

実はそこは外の道に面しており、まさにタビが事故に遭い、その後7時間も過ごした場所に最も近いところでもあったのです。チャッチャは逝ってしまったピッピではなく、まだ息のある動けなくなったタビに、家の中から一番近い場所で寄り添っていたのです。動物たちの霊性の高さ、優しさ、純粋さ・・・。人間には到底及ばないものでした。私はチャッチャを抱き寄せ、
「チャッチャはわかっていたのね。」
と再び涙にくれました。

その時、急に雨が降ってきました。白っぽい春先を感じさせる雨は明るい外を煙幕のように見る見る覆っていきました。しかし、辺りが暗くなることもなく、いかにもすぐに止みそうな柔らかい雨でした。ふと、
「これって浄化の雨?」
と思いました。まるでタビの緊張の糸がほどけ、それがこの辺りにだけに降り注いでいるかのようでした。チャッチャを抱きながら、私は雨の音を聞いていました。

雨が止むと、水を入れたバケツとデッキブラシを持って外に出ました。道に付いたタビの血を流しておこうと思ったのです。いざこすってみると、固まった血が雨で溶け出していたこともあったのか、思った以上の量で驚きました。外傷らしい外傷が見当たらなかったので、改めて不安がこみ上げてきました。
「内臓がやられて吐いていたんだろうか?それで7時間も生き延びられる?」
考えれば考えるほど不安が募るので、そこで思考を停めました。

最後にバケツの水を流すとアスファルトの上でも赤さがわかる水が放射状に広がり、消えていきました。15年もこの界隈を庭にしてきたタビはこうして消えていったのです。SPCAから訃報を受けるや、私は身も心も打ちのめされ、自分の無力さと、ピッピが亡くなった後も家に上げなかったことを激しく悔い、嗚咽と苦しさで立ち上がれないほどでした。どうして、どうして、ここを家にさせてあげなかったんだろう・・・?

決心がつきかねた理由の1つが、チャッチャの目の病気でした。私はピッピのことに気をとられ、チャッチャの目ヤニがひどく、本人も元気がないのに気づいていながら、目自体が病気になっていることに気づかずにいました。ピッピが亡くなってからも目ヤニの掃除をしたり様子を見たりするばかりで、目そのものをじっくり見ていませんでした。タビが亡くなる前々日、とうとう眼球に小さな黒い斑点があるのを見つけました。

その翌日、さっそくチャッチャを獣医に連れて行くため、なんとかその前にトイレをさせようと、庭で付き添い散歩をしていました。タビが出てきてずっと一緒にいました。そのうち時間切れとなり、チャッチャはトイレをしないままクルマに乗せられました。出て行く夫とチャッチャを玄関先で見送っていると、運転席の夫が手を振りながらあごで門の方を指しています。その先を見ると、タビがポストの横できちんと猫正座をして見送っているではないですか!クルマが見えなくなってもその方角をずっと見ています。そんなことはそれまで1度もなかったので、艶やかな黒い後ろ姿がとても印象的でした。

けっきょく、夫とチャッチャにとり、元気なタビを目にしたのはそれが最後となりました。私は夜になってから夕食を食べにきた時にもう1度目にしています。いつものように山盛りのご飯を出し、「おやすみ」と声をかけてフレンチドアを閉め、内側のカーテンも閉めました。これは毎日、心の中で「ごめんね、タビちゃん」と謝っていた瞬間でもあります。暖かい家の中と寒い外の対比が一番如実になる瞬間だったからです。

           (ドア越しに姿が見えたらご飯の時間でした→)


タビはきれいに夕食を平らげると引き上げていきます。そのまま床下に潜るのか、散歩に出るのかまではわかりません。よほど足りないと、夜中に玄関に来ることもありました。しかし、その日はご飯を出してすぐに、外からフレンチドアをガリガリやり始めました。それも初めてのことだったのでやや驚きましたが、夕食時の慌しい時だったのと、かなりの量のご飯を出しておいたのとで、
「タビちゃん、また明日ね。」
と声をかけただけで、私は見に行きませんでした。あそこでドアを開けていれば、元気な姿をもう1度目にできたか、事故そのものがなかったのか、と思うと今でも悔やまれます。

タビにはご飯以外にほしいものがあったのです。でも、私にはわかりませんでした。それを後日教えてくれたのは、ヒーラーのみみねっと あきこさんでした。 (つづく)

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「マヨネーズ」
12月になってしまいました。今年も残すことろあと1ヶ月。今年は本当にいろいろなことがあった年でした。石の上にも3年。何があってもここで生きていきます。

西蘭みこと

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