「西蘭花通信」Vol.0494  生活編  〜ブルースプリング・レポートVol.7:15歳の旅立ちV〜  
2009年9月12日


長男・温と同い年の同じ通りに住む15歳の女の子が列車に飛び込んだことは、面識のない一家の話であっても、座礁した船のように私の胸に留まりました。

人生の夜明けの段階で、死を選ぶしかないほどの袋小路に迷い込んでしまったイングリッドの絶望。
元気に学校に行ったと思っていた娘が、2度と帰って来ないことを知ったときの両親の絶望。

自分もかつて15歳の少女だったことがあり、今は人の親であり、何をどう考えても、切なさとやるせなさが連綿と続いていくばかりでした。

後日、あの日と同じように列車に乗ってシティーに行った帰り、日の光を浴びてキラキラと輝く湖面を渡りながら、行きと同じようにイングリットのことを考えていました。彼女はどんな思いで列車が来るのを待っていたのでしょう。時間帯からして、いつものように制服で家を出て、学校へ行く振りをしながらここへ来たのでしょう。 どうして命を絶つ以外の方法がなかったのか。 どうしてその前に誰かが何かをできなかったのか。 彼女の両親が一生考え続けるであろうことを、私もまた考えていました。

(こんな光景の中で逝ってしまった15歳の小さな命。あの列車に乗り合わせたのも、なにかの思し召しなのでしょう。いつまでも忘れません→)

ボ――― 
その時不意に警笛が鳴りました。まさに事故現場を通過した瞬間でした。私の瞳から反射的に涙が溢れ、湖面の煌きが霞むようでした。疎らな乗客は見晴らしのいい橋の上で急に鳴った警笛のことなどまったく意に介する様子もなく、携帯電話に視線を落としていたり、連れとのおしゃべりに興じていました。警笛の意味がわかる運転手と車掌と私のような者だけが、心の中で黙祷を捧げました。

イングリットは電車通学をしていたのではないかと思います。シティーの一つ手前の駅は彼女が通っていた名門女子高の最寄りの駅でした。徒歩で学校に向かう代わりに、人気(ひとけ)がなくなるのを見計らって線路に降り、シティーに向って歩き、橋の途中の草むらに隠れていたのではないかと思います。あの時間帯の列車は1時間に2本。上下線合わせてもたったの4本です。無人駅ですから列車が行ってしまえば次の列車の時間まで人影はありません。

両脇を草が生い茂る土橋に降りて歩き出しても、その姿を誰かに見られることはなかったのでしょう。湖畔の駅を出ると列車はいきなり水上に出ます。橋を渡りきるとそれ以降は商業地区に入り、どこも人目のある場所ではありません。駅の周りも樹木で囲まれた園芸店が一軒ある以外、列車に乗る人のための無料の青空駐車場が広がっているだけです。ここも列車の時間以外人目はなく、15歳にとって、『死』はいとも簡単なものでした。

事故から1ヶ月ほど過ぎた頃、パソコンの前にいた温がキッチンにすっ飛んで来るや、
「ママ、あのドイツ人のコ、同じ小学校だった!」
と言いました。
「どうしてわかったの?」
「今ネットで、みんなあのコのことを話してるんだって。カーティスもそれを見て気が付いたんだってさ。」
カーティスは近所に住む温の友だちで今でも同じ高校に通っています。

「ボクのクラスじゃなかったんだけど、カーティスと同じクラスで、一緒にクラス・カウンシル(日本の学級委員に相当。たいてい男女1人ずつ選出されます)やってたんだって。でも中学からプライベート・スクールに行っちゃったから、その後はどうなったかぜんぜん知らなかったって言ってたよ。スゴいびっくりしてた。」
「温くんは知ってたの?」
「話したこととかないと思うけど、カーティスのクラスのクラス・カウンシルのコって金髪を長〜くしてたコじゃなかったかなぁ?」
温は小六の途中で移住してきたため小学校に通ったのは半年のみでした。イングリットが電車通学をしていたなら、温もカーティスも通学途中のバス停で顔を合わせることはなかったことでしょう。

「もう亡くなってしまった人のことだから、人にあれこれ言ったり聞いたりしちゃダメよ。噂話なんか何の役にも立たないんだから。」
と軽く諭すと、
「しないよ〜、そんなこと。みんながネットでその話をしてたことも知らなかったし。」
と当然と言わんばかりに言い、
「かわいそうだよね。」
と言い残して、自分の部屋に帰って行きました。

数日後、ボランティア先でばったりパムに再会しました。顔を合わせるや、
「あの事故のこと、新聞でもテレビでもやらなかったでしょう?」
と彼女が言い、
「実は・・・」
と、私は重い口を開いて知っている事のすべてを伝えました。

「子どもの世界なんて家と学校の往復で本当に狭いもの。その中で行き詰ってしまったら本当に息苦しいと思う。そんな時、先生でも親でもない、話を聞いてくれる大人を知っていたら、ずい分違ったんじゃないかしら。子どもは社会が育てるものだと思っているので、"辛いことがあっても生きていくことの喜び"を伝えることができなかったのが、ひとりの大人として悔やまれてならないのよ。」
思いがけず、人のいいパムに息せき切ったように言ってしまいました。お互い潤んだ瞳を見交わし、パムは何度も何度もうなづきながら自分の持ち場に帰っていきました。

イングリットの冥福を心からお祈りいたします。(完)

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「マヨネーズ」
あまり楽しかったとは言えない自分の子ども時代を振り返ると、途方もない世界の広さがいつも大きな希望でした。
「知らない人たちがいる、知らない社会がある」
と思うだけで、小さな小さな、ややもすれば閉塞的な自分の生活を客観的に見ることができました。

そんな「外側の社会」へのアクセスであった高校時代の恩師、叔父叔母、海外の小説・映画は、中学以降初めて海外渡航をした大学1年までの長い間、私を支え続けてくれたと思っています。

西蘭みこと

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