「西蘭花通信」Vol.0508  生活編  〜ブルースプリング・レポートVol.14:始まり〜 2010年2月12日

小雪がちらつく中、私と温(16歳)はねぎ畑を横目に歩いていました。今日は試験結果の発表の日。試験当日の快晴とは打って変わった天気でした。狭い歩道で肩を並べ、たわいもない話をしながら、てくてくてくてく20分ほど歩きます。駅からバスも出ているので、「バスにする?」と聞いてみましたが、「歩きたい」という答えでした。

発表の時間は朝9時。校門近くに結果が掲示されます。30年以上前に自分も同じ経験をしたはずなのに、どうしてもその時の情景が思い浮かびませんでした。校門を入るとすでに多数の生徒や保護者が集まっており、皆に見守られる中、先生方が斜めになった掲示板を立てている最中でした。年季の入った木製の掲示板には何も張ってありません。かなり大きなもので3人がかりの作業でした。先生方の肩にも雪が降っていました。

やっと掲示板が立つや、クルリとひっくり返したのか、閉じてあったのをパッと開いたのか、突然たくさんの数字が視界に現れました。ずっと見つめていたはずなのに、一瞬の出来事でした。数字は大きな2つの塊に分かれ、それぞれ30〜40前後の数字が並んでいます。その横に疎らにいくつかの数字が書いてあります。帰国子女という文字が見え、「ここか」と思った瞬間、結果がわかりました。

そこに温の受験番号はありませんでした。もっと大きな数からなる明らかに分類の違う番号が8つ並んでいます。12人の枠に対して8人の合格者。募集人員よりも学力や語学力が重視されたことは明白でした。この枠での受験者数は18人だったので、半数以上が不合格になったわけです。振り向くとかなり遠い所にいた温が小さく頭を振っています。その姿を見て、「見間違いではなかったのだ」と思ってしまうほど、実感がありませんでした。

終わった。結果はともあれ終わりました。1学年遅らせての受験だったので、来年という話はありません。温はNZで高校を終えることになりました。その後のことはおいおい考えていけばいいことでした。「お疲れさん」の他にどんな言葉も思い浮かびませんでした。「受かった、受かった」と飛び上がって喜ぶ生徒や、後期試験(別枠募集の5科目の学力試験。温が受験したのは前期試験)に向けて「また勉強しなきゃ〜」と嘆いている生徒の脇を抜け、私たちは外に出ました。

来たときのように、2人はねぎ畑の脇をてくてくてくてく歩いていました。今度は温が先を行き、私はその後を歩いていました。お互い黙ったまま、もう2度と来ることがない風景の中を引き返して行きました。
「なにか飲んでいかない?」
駅に着いて、学校の下見、試験当日とこれまで2回、学校に来るたびに立ち寄ったカフェに誘うと、温は「いいや、帰える」と断りかけたものの、すぐに「やっぱり行く」とついて来ました。試験当日にコーヒー2杯を飲みながら3時間近く過ごした店です。

オレンジジュースを飲みながら温はとつとつと話し始め、2月からすでに始まっているNZでの高校2年生に思いを馳せていました。
「ビジネス・スタディーの授業は他の授業と重なって取れないから、なにか他のを選ばなきゃいけないけど、こんなに休んだ後だからもうロクなのが残ってないだろうな。」
「早い者勝ちなの?」
「うん。まぁ、そう。人の少ない授業に入れられるから、ホスピタリティー(家政科)とかアウトドア・スキル(野外活動科)とか、大学行くのに関係ない授業かな。」
と、日本の制度からは想像もつかないことを言っています。

ここまで日本に気持ちを集中した後では、すんなりと元の生活に帰れないような気にもなりますが、すでに3年も通っている学校に戻り仲間に再会すれば、直にいつもの日常が戻って来ることでしょう。温の心中は察して余りあるものの、思いつく限りのことを全てやった結果だったせいか、親としては意外なほど平安でした。
「今は"失敗"に見えるけれど、これが何かの"出発"になるかもしれない。」
私の思考はすでに先へ先へと進んでいました。

「世の中に偶然はない」と信じる者には反省はあっても後悔はなく、失望はしても絶望はしません。立ち直りの早さではちょっと右に出る者がいないほどです。
「たったの2週間ちょっとだったけれど、小論文の準備も面接の練習も漢字ドリルも、親子で一生懸命取り組んだ。そんな付け焼刃では追いつかないほどの学力や語学力を求められていたのなら、まったくのお門違いだったのかもしれない。」
そう思うと、 「間違った門を叩いてしまっただけのこと」、 と実にあっさり割り切れました。 

(通用門を使っていたので一度もくぐることのなかった正門の向こう→)

カフェを出る頃にはいつもの多弁な温に戻っており、立ち直りの早さは「お家芸」のようでした。結果はどうあれ、機会を授けてくれた千葉県への感謝の気持ちは変わらず、ねぎの根元を優しく柔らかに包んでいた肥沃な黒土がふと頭をかすめました。「ありがとう」という気持ちを胸に、2度と来ることのない駅の階段を上り、私たちはこの1ヶ月の非日常を後にしました。(つづく)

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「マヨネーズ」
今回の件では友人知人、読者の方々が電話やメール、コメント欄で大変励まして下さいました。この場を借りてお礼申し上げます。結果は希望通りにはなりませんでしたが、不思議とこれが「終わり」ではなく「始まり」に思えて仕方なく、一息ついた後、どういう展開になっていくのか早くも楽しみにしています。

カレーとシチューで食いつないでいる留守番部隊の夫と善(12歳)も本当にがんばってくれました。17歳の糖尿病猫チャッチャも低血糖を起こすことなく万全の協力体制で、みんなご苦労さまでした。

西蘭みこと 

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