「西蘭花通信」Vol.0511  生活編  〜2010年日本雑感〜               2010年2月17日

今回の帰国で印象に残ったのが、社会の高齢化でした。日本で暮らしていたら世界屈指の高齢国にいることを日々実感することはないかもしれませんが、外から来た私たちには違いが鮮明でした。温(16歳)が受験した高校の最寄りのカフェには都合3回行きましたが、いつもお客の半数近くが高齢者でした。

杖をつきながら小さなトレーに飲み物とサンドイッチを載せ、ゆっくりゆっくり歩いていくお年寄り。その姿に気づくや、カウンターの内側から飛んできてトレーを持ち、空いている席へ案内する若い店員。
「ここまでやるんだ。」
店のマニュアルに沿ったサービスなのでしょうが、私には彼女たちがカフェの店員ではなく介護士に見えました。高齢者もさまざまで、女同士でおしゃべりに忙しい二人連れもいれば、日向の席で静かに外を眺めている老夫婦もいます。しかし、圧倒的多数は独りで来ている男性でした。

映画「アバター」を観たときも、帰りのエスカレーターが高齢者でいっぱいだったのには正直驚きました。タイミングの妙もあるでしょうが、平日真昼間の上映ですからむべなるかな。かなりの観客がシニア割引の1,000円で鑑賞したのでしょう。ちなみに私は1,800円、学生の温は1,500円でした。大勢の高齢者が3D専用の眼鏡を掛け、スクリーンを観上げている姿は製作者たちすら思い浮かべなかった光景ではないかと思います。

さらに驚いたのが、40、50代の独り身の多さでした。両親と話していて、
「あの人も独身?えっ、あの人も離婚?」
といった具合に、ご近所や知り合いになんと中高年の独り身の多いことか。従姉弟一家は夫と死別した長女、離婚した次女が実家に戻り、50代で独身の長男と80代の叔父叔母の5人で暮らしています。平均年齢60歳以上になって5人家族が再び同居する―――。今や驚くには当たらないのでしょうか?

独り身が多い分、子どもが少ないのも当然で、きょうだい3人のうち結婚しているのは1人、その子どもが2人などという比率は珍しくなく、友人一家もそうなら、当の西蘭家もそうです。夫のきょうだい2人は独身で、私の妹は結婚していますが子どもがありません。結婚するしないや子どもを持つ持たないは100%個人の選択であることを絶対的に尊重しますが、社会全体が次世代に向けて尻すぼみになっている現実には愕然とします。

医療制度、年金制度はもちろん、財政から産業構造に至るまで、日本の状況は私の目が黒いうちに想像もできないほど急速に変わっていくことでしょう。キノコ雲のように頭でっかちになった社会をいつまでも支えていけないのは疑いのないことで、近い将来、必ず訪れるであろう社会の本格的な過渡期には、より多くの人が厳しい老後や生活を強いられることになるでしょう。私もその「過渡期世代」に当たりそうな気がします。

そして、一番心に刻まれたのが追い詰められた子どもたちの姿とその多さでした。子どもたちの学習能力の低下を取り上げたNHKの特集番組では、政府機関の調査結果(だったと記憶しています)として、その原因を「貧困」と「家庭の崩壊」と断言していまいした。「この豊かな日本で貧困?」と思われるかもしれませんが、日本の貧困化が高齢者を中心に進んでいることは、OECD(経済協力開発機構)など国際機関も指摘しています。

しかし、番組で取り上げていた貧困はまさに子育て世代の貧困で、貧困に陥る一番の理由は離婚です。片親世帯になることで収入が不安定になり、親子を取り巻く環境が一変してしまうのです。これもまた世界的な傾向で日本の先を行く「離婚先進国」のNZは、これに若年層の出産が加わり、学歴のないまま10代でシングルマザーになり、社会に出ることなく家庭と貧困層にとどまってしまう一部の若い女性の傾向が問題になっています。

貧困が家庭内暴力や育児放棄を招き、家庭が崩壊し勉強どころではなくなってしまうというのです。番組でも親の離婚で母子家庭になった小学生が働きに出ている母親代わりとなり、学校から帰るときょうだいの面倒を見、買い物に行き、夕食を作るうち、宿題や学校の勉強どころではなくなり、どんどん学力が低下していった現状を追っていました。その一方で、所得水準の高い家庭は塾を始め子どもにかけられる資金力があり、親が揃っていれば時間も労力も子どもに振り分けられ、格差は拡大する一方だというのです。

そんな中、別の日のNHKの番組では大阪府門真市にある、定年退職した学校の先生がボランティアで教える土曜日学級の様子を紹介していました。先生は確か6人、通って来る小中学生は30人ちょっと。徹底的な個人指導で学年や学力に関係なく、わからないところから始める教え方で、勉強が遅れて学ぶことが楽しくない子どもたちを懇切丁寧に導いていました。

勉強ができなくても、遅刻しても、家の事情で休んでも、決して怒ることなく受け入れてくれる優しい老先生たち。子どもたちの表情がみるみる明るくなっていきます。自分が受け入れられている、家庭と学校以外にも居場所のあることがどれだけ励みになっていることか。

日本だけでなく、今や世界中で社会の格差が広がっていますが、門真の先生たちのようにゆるぎない意思さえあれば、希望はあると強く感じました。がんばりましょう。

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「マヨネーズ」
このメルマガが配信される頃、私たちは成田に向かっています。受かった時のことを考えて温の引越し荷物一式を持ってきたので、大荷物のまま帰ります。

結果的には徒労に終わりましたが、これも何かの思し召し。将来のいつかの時点でこの意味を知ることもあるでしょう。温も吹っ切れています。またNZで心機一転です。


(受験以外で一番心に残ったのは、やっぱり雪景色。いい思い出になりました)


西蘭みこと 

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