「西蘭花通信」Vol.0514  生活編  〜猫屋敷の孤独〜                   2010年4月3日

「アニマルホーダー」(動物の過剰多頭飼育者)という言葉をご存知でしょうか?私はごく最近知りました。よく言われる「猫屋敷」の「猫おばさん」がそれに当たるかと思います。検索で出て来る事例は読んでいるだけで胸がムカムカしてきそうな話ばかりで、極端な例では普通の家に犬や猫が何百匹、室内でトリを1,000羽など、異常も異常、病的です。

アニマルホーダーは精神障害と認識されており、医療の助けを必要としているケースがほとんどのようです。しかし、個人の家の中の問題だけに発覚しにくく、本人がそれを問題と自覚していないことが、事態を複雑にしています。しかし、収集しているものが生き物なので問題は深刻です。アニマルホーダーに飼われている動物は往々にして劣悪な環境下で栄養失調や病気にかかり、縄張り争いでボロボロになっているようです。こうなると、いくら本人が動物を愛していても虐待でしかありません。アニマルホーダーの多くが心を病んでいる以上、第三者の介入が必要になってくるわけです。

近所に典型的な「猫おばさん」がいます。年金受給者なので年齢は65歳以上、公共住宅の独り暮らしで、猫を室内に7匹、外飼いで2匹飼っています。3部屋の戸建て物件なので7匹を一つ屋根の下で飼うことは可能です。なのでアニマルホーダーと言えるかどうかはわかりませんが、彼女は物のホーダーでもあります。訪ねていくと、ドアをノックして返事があってからしばらく出てきません。物を移動させないと玄関まで来られないからです。

庭も雑草が物干し台の高さまで伸び、広い庭がありながら何年も前から洗濯物を干すことができなくなっています。雑草の間にはたくさんのゴミも放置されており、かなり広い裏庭は実質的に人が入れません。通りに面した前庭もゴミと雑草で埋め尽くされていましたが、近所の苦情が相次ぎ、とうとう公共住宅の管理当局ハウジング・ニュージーランドが乗り出し、前庭の半分以上を2台分の駐車場としてコンクリート敷きにしてしまいました。

通りからでも彼女のカーテンがボロボロなのが見えるので、「うちに余ってるレースのカーテンがあるけど。」と声を掛けると、「いいの。物がいっぱいであの窓まで行けないのよ。」と予想外の返事が返ってきたこともありました。家の中を見たことはありませんが、庭の様子から察しはつきます。

そんな彼女が今日、不意に訪ねて来ました。訪問はいつも突然なのですが、珍しく写真を持って来ました。小さな横長の白黒写真。明らかに今の規格とは違う古い古い写真です。その中で彼女は母親や姉と笑み、マオリらしい褐色のボーイフレンドに後から抱きすくめられながら弾けるように笑い、油染みの付いた揃いのつなぎを着た工場の同僚とちょっと澄ましていました。

自分で切った不揃いの白髪に、前歯数本を残すだけの歯のない口、夏でも冬でも素足に擦り切れた布靴を履いている今の姿からは想像も付かない、明るくきれいで、なによりも人と一緒にいる彼女が新鮮でした。どの写真も表情が活き活きとしており、若いというだけでなく健康的なことが印象的でした。

ニュージーランドの年金制度は非常に充実しているため、公共住宅に住んで年金を受給していれば贅沢はできなくても、余生を通じて不自由のない生活を送れるはずです。しかし、彼女は収入のほとんどを猫に費やしてしまうため、美容院にも行かず、入歯も作らず、1足の靴で何年も過しているのです。クルマを持たない彼女はスーパーより割高なペットショップからキャットフードを配達してもらっており、年金の大半がそれに消えています。

「いよいよハウジング・ニュージーランドに家を追い出されそうなの。」
写真をしまいながら彼女は突然言いました。
「家を汚くしてるって近所の人がうるさく言うもんだから。」
「追い出されるって、どこへ行くの?」
「わからないわ。」

彼女の唯一の身内と思しき姉はオーストラリアに住んでいます。
「片付けるように言われている期限までに片付けられないから、逃げるつもりなの。」
「逃げる?どこへ?猫はどうするの?」
「わからないわ。」

冗談なのか本気なのか、私は彼女の目をのぞきこみながら尋ねましたが、答えはどれも「わからないわ―― I don't know」でした。人生の中で、母を失い、姉が出て行き、いくつかの恋や仕事や、友だちを失う中、彼女は全てを諦め、孤独の中に生きていました。家のゴミを処分するということすら諦めて、路頭に迷うことを受け入れようとしているのです。最後に残った猫を失ったとき、彼女に何が残るのでしょう?

公共住宅を出てしまったら、再び入居することはできないでしょう。何千世帯もの入居希望者が空きを待っているからです。身寄りのない年金生活者が民間住宅を借りることは難しく、公立の老人ホームに入ったら動物は連れていけません。片付けさえできれば、60年も暮らしてき今の家に、猫と一緒に生涯住み続けられるのです。

「何か手伝えることはない?」
それが私の最後の質問でした。
「別にないわ。」
彼女は力なく答えると、杖をつきながら写真を携え、孤独の中に帰って行きました。
(彼女の話はコチラ にも書いていました)

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「マヨネーズ」
長年の読者でブログ「さいらん日和」にもしょっちゅうコメントして下さる山本海舟さんのブログ記事とコメントで、 度を越えた収集と収集が止まらなくなってしまった人たちを「ホーディング」、「ホーダー」と呼ぶことを初めて知り、アニマルホーダーのことも知りました。人間の心の歪みと動物への偏愛――、重い問題だと思います。

西蘭みこと 

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