「西蘭花通信」Vol.0517  生活編  〜終の棲家:おくりびと〜               2010年4月12日

翌朝、シャカは庭にいませんでした。床下に入ったままらしく、出入口の金網にはずれた形跡がありません。すぐにでも懐中電灯を持って様子を見に行きたいところながら、そんな日に限ってボランティアで朝9時から出かけなければならず、床下に潜って頭にクモの巣を付けてしまうわけにはいきませんでした。仕方なく秋休み中の子どもたちも連れ、バタバタと出かけてしまいました。

昼過ぎに帰宅し、夫に、
「シャカ見た?」
と聞くと、
「見なかった。」
という返事。

私の心臓が早鐘のように鳴り出しました。この時間まで出てこないということは・・・・・。懐中電灯を持って飛び出し、床下に通じる小さなドアの閂を外し、中を照らしました。床板の真下に古いレースのようなクモの巣が幾重にも張っている以外、草のない土がのっぺりと広がるばかりの空間です。

壁際をゆっくり照らしていくと、弱い光の中に足を投げ出して横たわるシャカが現れました。やはりここにいました。
「シャカ、シャカちゃん。」
声を掛けたものの動きません。背中を照らして凝視してみると、前日のように波打つ起伏がありませんでした。
「シャカちゃん、お願い、顔を挙げて。」
念じてみたものの、向こうに向いた耳はピクリとも動きませんでした。

すぐに夫を呼んで懐中電灯で照らしてもらい、私は床下に入りました。いざらんばかりに背を屈めてそろりそろりとシャカに近づいていきました。抱き上げたシャカは想像を絶する軽さで、ぬいぐるみのようでした。ここまで身を削って生きていたとは!明るいところに連れ出しても、もう動くことはありませんでした。身体の硬さからみて、魂が身体を出てからかなり時間が経っているようでした。

濡らした布で身体を拭きながら、涙が止まりませんでした。映画「おくりびと」が否が応でも思い出されます。きれい好きな猫の最期、しかもこんなに見事な毛艶のシャカ。
「何をしてあげればいいのだろう?何をしてほしいのだろう?」
自問しながら、何度も何度も拭いて、使いこんだ柔らかいバスタオルに包みました。そのタオルは温が生まれたときに買った16年も前にものでしたが、チャッチャのタオルとして現役でした。この世に生を受けた身、この世を去る身。タオルはその両方を柔らかく包んでくれました。

出かけなければならない夫に代わって、長男・温(16歳)に応援を頼み、前庭の隅に葬ることにしました。いかにも猫が好みそうな日当たりのいい前庭にはピッピも眠っています。穴を掘りながらも、
「もっと早く姿を見せてくれていたら」
「こんなに痩せてしまうまでどんなに辛い思いをしたんだろう」
「昨日はまだ歩けたのに」
と、様々な思いが頭を過ぎり、涙が留めなく溢れてきました。

晴天続きでカチカチになった土をやっとの思いで掘り返し、タオルに包んだシャカを横たえ、掘り返した土の塊を手でほぐしながら少しずつ少しずつ身体に掛けていきました。隣では温が土の塊を木箱に入れ、シャベルで黙々と砕いています。
「よくがんばったね。ゆっくり眠りなね。もう何も心配しなくていいんだよ。」
私はシャカのがんばりを心から労い、毛布でも掛けていくようにサラサラの土で覆っていきました。

何かの事情で飼い主と別れてからのシャカの苦しみ、飢え、渇き、恐れ、痛みを思うと胸が押し潰されそうでした。骨と皮になるまで生きながらえてしまったことは、苦しみを長引かせるばかりだったでしょう。そう思うとますます不憫でした。こんなに小さな身体で、誰にも気付かれず、1匹でがんばり通し、とうとう力尽きたシャカ。生きる屍のようになっても、飼い主との再会が諦められなかったのではないかと思います。しかし、望みはかないませんでした。

一緒に埋めたのはキャットフードだけ。縁(ゆかり)の品などあろうはずもなく、あるのはたった1日の思い出だけでした。水と庭のバラを供え、シャカをなでるように柔らかくなった土をなでてみました。午後の陽を浴びた土は掌の下で、ほんのり温かでした。魂は身体を出た瞬間から痛みや苦しみから解放されると言います。軽くフワフワになったシャカはさぞやホッとしていることでしょう。その辺を漂いながら、変わってしまった自分に戸惑いつつ、涙にくれる私を不思議そうに見下ろしているかもしれません。

(数は少なくなったもののまだ咲いているバラとミカンの葉っぱを伊勢神宮のお神酒の瓶に生けました。最後に見たこの庭を覚えていてね→)

シャカが私たちの前に忽然と姿を現したのは、「生きたかったから」だと思っていました。そうでなければ動物らしく姿を消して、ひっそりとこの世を去っていったはずではないでしょうか。住んでいる私たちさえ気付かなかったほどですから、うちの床下は「死に場所」としては理想の場所だったはずです。しかし、シャカはそこから飛び出してきたのです。萎えた足で太陽の光に目をくらませながら、踊るように出てきたのです。それはもっと「生きたかったから」ではなかったのでしょうか?(つづく)

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「マヨネーズ」
「おくりびと」を3回も4回も観た私。こんなかたちであの映画を思い出すとは。改めてあの話の持つ優しさ、温かさを感じ、死への尊厳は生への尊厳でもあると思いました。生への尊厳を突き詰めると、何気ない日々を大切にし、人だけでなく動物や物も大切にし、誠実と勤勉、調和と友愛を生きることではないかと、自分なりに解釈しています。哀しい結果になってしまいましたが、シャカはこれからも私の心の中で生き続けます。

西蘭みこと 

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