「西蘭花通信」Vol.0536 NZ編 〜母の日によせて〜 2011年5月8日 最近知り合った台湾人のティナ(仮名)。私より10歳年上で今年59歳。 「来年はお互い大台ね!」 と、女性ではかなり少数派と思われる、歳をとるのを楽しみにしている2人です。本人が語らない限り、人の身の上話を聞かないことにしている私は、ティナが独り身なのも、すでにリタイアしている理由も、つい先日まで知りませんでした。 「台湾人も日本人も、男ってみんなダメでしょ?わかる?」 とニコニコしながらブイブイ鳴らすティナ。 「アンタんとこはどうか知らないけど、オンナ遊びして、家族のことなんかこれっぽっちも頭になくて、ヒドいもんよ。アンタんち、ホントに大丈夫?」 「おかげさまで、なんとか・・・」 「そりゃ、運がいいわね。」 ティナは20年以上前に不義理な夫に耐えられなくなり、離婚。本人ははっきり言いませんが、かなり「いいとこ奥サマ」な暮らしぶりだったようで、仕事をしていたこともなさそうで、優雅な専業主婦だった様子。それが子ども2人を抱えて、いきなり家を飛び出したのですから、さぞや一大決心だったことでしょう。 特に20数年前の台湾といえば私が暮らしていた80年代。かなり儒教思想の色濃い、保守的な社会のままで、男尊女卑はまま当たり前。専業主婦も多く、女性の婚前交渉などもってのほか(男性はOKなのに・・・・笑)、夫の浮気に対しては見て見ぬ振りの「忍の一字」がまかり通っていた時代でした。 (当時歓楽街として知られていた林森北路では日本人男性も遊びまくっていました) そんな時代にあって、かなり思い切った行動に出たと思われるティナ。あえてバツイチ(当時の日本にすら、そんな言葉はなかったわけですが)を選んだ彼女の、さらに思い切った行動とは! NZへの移住でした。 移民の受入れ条件が今より相当緩かったと想像される当時のNZですが、それでも英語ができない、仕事の経験もないとなると、一から生活を築くことは想像を絶するほど大変だったはず。 「でも50代でリタイアして、持ち家で、悠々自適に暮らしているってことは、かなり慰謝料や養育費をもらっていたのかな〜」 と、口にはしなかったものの漠然と考えていた私。 「前は働いていたの?」 とつい聞いてしまったところ、 「当たり前よ〜」 と雷が落ちるような勢い。 「どんだけ働いたか、死ぬほど働いたわ。」 「なにしてたの?」 「人の家の掃除よ。」 20年前を知るアジア人がみな言う、 「アジア系の店はシティーの太平(タイピン)しかなかった。」 という言葉からもわかるように、中華レストランなど数えるほどもなかった頃。皿洗いの仕事を見つけることすら容易ではなかったそうです。 英語のできないアジア人の仕事といえば、掃除専門の家政婦やら契約した家から毎週バスケットいっぱいの洗い物を預かり、それにアイロンを掛ける仕事など、かなり限られていた時代。台湾では家政婦を雇っていたであろうティナが、異国で自分が家政婦になるとは。「死ぬほど働いた」という言葉も、決して大げさではなかったのでしょう。 子ども2人を大学まで出し、家のローンも払い終わって、やっとの思いでリタイアしたというわけです。今は趣味にボランティアにと、ずっと諦めていた「自分の時間」を楽しんでいる様子。これだけ離婚が大手を振っている時代にあっても、「忍の一字」を押し通している人が大勢いることを思うと、離婚への風当たりが強かった時代にここまで自分の生き方を貫いたティナは、何はともあれスゴかったと思います。 そんな彼女の心の拠り所は2人の子どもたち、母であることでした。自分の身に照らして考えても、独り身だったら離婚してもなんとかなりそうですが、子どもがいるとなったら「なんとか」だけでは済まされないことがたくさんあります。それなりの家も必要になるし、安定した収入、学校のことや放課後の家に居られない時間をどうするか。NZなら通学や習い事、友だちと遊ばせるにも往復の送迎が必要になることの方が普通です。それらを限られた収入と片親というキャパシティーでどう乗り越えていくのか。 次々に押し寄せる難題がティナを鍛え、強くしていったのでしょう。そしてたどり着いた、あっけらか〜んと過去を笑い飛ばすこの余裕、この笑顔。もう結婚なんて真っ平と、独り身を心から謳歌している様子。そんなティナがひとつだけ残念がっているのは、手塩にかけて育てた息子が、大学卒業後にIT関係の仕事を選んで台湾に戻ってしまったこと。しかも、今は実父と一緒に暮らしているのです。 「まぁ、息子には息子の人生があるから、私は知ったこっちゃないけど。」 今の一番のお楽しみはキウイと結婚した娘に近く子どもが生まれること!そう、肝っ玉かあさんティナも、いよいよおばあちゃんになるのです。まだ見ぬ孫の話になると相好も崩れまくり。 「アンタもトシとったら日本に帰るの?」 「え〜?帰らないわよ。一生ここよ。」 「そうなの?台湾人は帰るって言ってる人が多いのよ。アタシは帰らないわ。ここがアタシの家よ。」 そう、私にとってもここが家、帰るところなどありません。お互い長い付き合いになりそうです。 =========================================================================== 「マヨネーズ」 今夜は夫、タカさんプレゼンツの夕べ。メニューはサケウニ丼(経緯はコチラで)、モヤシとキャベツの野菜炒め、昨晩私が作ったスープ。デザートはぶどう。 (母の日の今日、カフェに行ったらかなり満席状態。母娘で、家族で、夫婦で?!、祝っている様子のテーブル多数。 ハッピー・マザーズ・デー!→) 西蘭みこと ホームへ |