「西蘭花通信」Vol.0543   NZ編   〜緑の光:ハグベア〜             2011年9月23日

願いが通じたのか、試合中は時折り雨雲が通り過ぎたものの、たいした雨にはなりませんでした。世界ランキング2位のオーストラリアに挑む8位のアイルランド。双方ともこつこつ石でも積むように、キックで点を重ねていくばかりの展開。どちらも相手のディフェンスラインを突き破ることができない以上、相手のミスが得点チャンスの全てでした。

ミスを許さない強度の緊張を強いる試合運び。その緊張を高揚へと高めていったのが、スタジアム中に鳴り響く「アイルランド、アイルランド」の大歓声ではなかったでしょうか。収容人数6万人のイーデンパークはほぼ満席でした。

「どう見ても、これはアイルランドのホームだな。」
「5万人がアイリッシュを応援してて、オージーの応援は8,000人ってとこじゃない?」
実際の観客は5万8,678人だったので、私のドテ勘はいい線いってました。

キウイが応援するのは、
「オールブラックスと、ワラビーズ(オーストラリア代表)と対戦する全てのチーム」
と言われるほど、隣国にライバル意識を持つ国。ワラビーズが劣勢に立てば立つほどアイルランド・コールが強くなったのは、偶然ではないでしょう。

私たちのように第三国の試合として、純粋にラグビーを楽しみに来ていた観客まで、
「もしかしたら、もしかするかも。」
と、アイルランドの粘り強さの先にあるものが見たくなりました。

後半、百戦錬磨の10番ローナン・オガラが入ると、アイルランドは見るからに落ち着きを取り戻し、観客の声援が一層強まりました。「オガラのキックなら」と誰もが期待したことでしょう。若手のジョナサン・セクストンのキックがもっと安定していれば、アイルランドはもう少し余裕をもって後半戦に臨めたのです。最後の20分はまさに手に汗を握る展開。アイルランドがリードしていても、トライ1本とコンバージョン(トライ後のキック)でオーストラリアの逆転は可能でした。

最終的にトライレスだった試合は、15対6でアイルランドが勝利を収めました。ワールドカップでアイルランドがワラビーズに勝つのは初めてだったそうです。過去の対戦成績もワラビーズが断然優勢だったので、アイルランド・サポーターの有頂天はむべなるかな。飛び上がり、叫び、旗を振り、誰彼ともなくサポーター同士で抱き合っています。

イーデンパークでオールブラックスが負けるのを見たことがない私たちにとり、経験したことのないユーフォリアでした。
「ワラビーズはイーデンパークで勝てないことがトラウマになりそうだな。」
という夫の言葉は真実かもしれません。ふとボックス席を見上げると、黄色の軍団はすでに引っ込んで見えなくなっていました。

席を立ち通路に出ても歩ける状態ではありませんでした。アイルランドのサポーター同士が抱き合っては頭を振り、また抱き合っては言葉を交わしと、ずっと上まで同じ光景が続いています。どんなに褒め称えても終わることのない賞賛と歓喜。いい眺めでした。私は見慣れたスタジアムが熱に浮かされる、珍しい光景の中に立っていました。

その時、短髪で小太りのアイルランド・サポーターが、
「アイルランド!」
と大きく腕を広げてきました。ポッコリ膨らんだビール腹をすっぽり包んだジャンパーはごく普通のデザインながら、薄茶色の起毛素材でした。刈り込んだ髪も同じ色で、突然目の前に現れた彼が私にはテディーベアに見え、思わずニッコリしてしまいました。彼は私の笑顔をOKサインととったらしく、
「アイルランド!」
と叫びながら抱きついてきました。

「この人ったら、ホントにハグベア(抱きグマ)だわ。」
と思い、笑いながら抱き返して、
「アイルランド!」
と言うと、彼は右頬にキスをしてきました。

頭を振り振り、
「ワンス・イン・ア・ライフ、ワンス・イン・ア・ライフ(一生一度、一生一度)」
と、言い訳するように言っていたのがなんとも素朴で、この程度の無礼講にも「理由」が必要だと考える生真面目さに好感が持てました。私は階段を上がり、彼は後に続く緑の服のサポーターたちと抱き合っていました。

少し階段を上ったものの、まだまだ出口までは距離がありました。そのうちアイルランドのキャプテン、ブライアン・オドリスコルのスピーチが始まり、皆の足が止まりました。アイルランドでは「神」と称えられる至宝。彼もまた美しい緑の瞳をしています。


(アイルランドのキャプテン、B.オドリスコル。あだ名は「ゴッド」。19歳の時からワールドカップに出場しています→)




「アイルランド!」
と不意に背後から声がして振り返ると、さっきのハグベアがまた腕を広げてニコニコしながら立っています。いつの間にか上まで来ていたようです。再び抱き合って、
「アイルランド!」 
小さい子どもが何かを気に入ると、何度も何度も同じことをするのに似ている気がしました。今度は左頬にキスをしてやっと気が済んだのか、ハグベアは本当に嬉しそうに微笑みながら離れていきました。

「誰なの?」
いつの間にか傍に来ていた次男・善(14歳)が聞いてきました。
「知らない人。アイルランドのサポーターでしょ。勝ったから嬉しいんじゃない。少し酔っ払ってるかもね。」
「ふーん。」

中年ハグベアのはにかんだ笑顔を思い浮かべながら、「私でよければ」と思いつつ、片手を上げてハイタッチのポーズで並ぶ、アイルランド・サポーターの掌の一つ一つに自分の掌を重ねながら、階段を上がっていきました。(つづく)

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「マヨネーズ」
アイルランド人の緑の瞳は本当に美しいな、と思います。吸い込まれるような色に感じます。色味とは裏腹にとても温かい感じがします。個人的な印象ですが、青い瞳に人を寄せ付けない孤高の美しさを感じるのと、とても対象的です。

西蘭みこと 

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