「西蘭花通信」Vol.0553   香港編 〜Les annees 1980〜                  2012年3月5日

週末の静かな朝。ボーっとネットをしながら、ふと古い女友だちのブログに立ち寄るや、最近の記事とその中の写真に引き込まれてしまいました。数日のフランス滞在記に掲載されていた小さな写真の中の、これまた小さな女友だちと、見覚えのある共通の友人であるフランス人夫婦。一緒に写っている立派なティーンエイジャーは、彼らの三男!
「ベビーコットでスヤスヤ寝ていたあの子が!!」

私たちは80年代後半の香港で毎日のように顔を合わせては、他数人のフランス人と一緒に食事に行ったり、週末ともなれば離島に出かけたりと、いつも団体行動をしていた総勢10人ほどのグループでした。私と女友だちだけが日本人で、あとは全員フランス人。20代半ばの独身がほとんどの中、友人夫婦は早々に結婚していた数少ないカップルでした。

                (よく待ち合わせに使ったランドマーク
            仲間に新人が入ってもここなら迷えず来れたので。
              25年経ちだいぶ変わってしまいました・・・・→)


中華料理で盛り上がった後、みんなでいっせいに食中毒になったり、離島のウォーキングで「遭難」しかけたり、会うたびに涙が出るほど笑っていました。時にはカフェで夜遅くまで文化談義や政治談議をすることも。フランス語では相当キビしい内容もありましたが、友人がブログで言っていたように、みんなの勢いで「分かった気」になっていました。

しかし、私たちは潮時を察したかのように、80年代の終了をもって散り散りになってしまいました。何人かが帰国したり第三国に移り、私は89年の12月で仕事を辞め、年明け早々にシンガポールに渡りました。女友だちは同時期に母になる決心をし、香港に残って新たな道を歩み始めました。フランス人夫婦もその後、帰仏しました。

3年が過ぎ、私は結婚して夫とともに香港に舞い戻り、その後数年してフランス人夫婦も駐在員という形で息子3人を連れて香港に帰ってきました。彼らの三男がコットの中でスヤスヤ眠っていたのは、その再会のときでした。ずっと香港で暮らしていた女友だちは、
「待ってた甲斐があった。こうしてまたみんなが揃うなんて!」
と、感慨深げでした。

10年近くを経て、全員が家族持ちとなった私たち。笑いながら転げるように駆け抜けた80年代が戻ってくる!という期待は、あえなく萎んでいきました。次男・善(14歳)が生まれて、仕事との両立にてんてこ舞いだった私に、友だちづきあいは一種の「贅沢」でした。幸い友人のほとんどが働いていたので、オフィス街のランチや夕食で時折り会うことは可能でした。

しかし、フランス人夫婦の妻は出産と同時に専業主婦となり、2度目の香港では、大手企業のナンバー2だった80年代とは大分違う生活をしていました。香港らしくお互い住み込みの家政婦がいる生活でしたが、彼女の中に平日の夜に女友だちとの外食で家を空けるという発想はなくなっており、私も私で唯一家族で過せる週末を女友だちと過ごすことは、なくなっていました。

それでも家族ぐるみでのお付き合いが続き、何度か郊外の広々とした彼らの家に招かれました。5人の男の子たちは家の中といい敷地内といい縦横無尽に走り回っていました。そんなある時、私と彼女はリビングでおしゃべりをしていました。私はコーヒーテーブルにあった雑誌をペラペラめくりながら。彼女は少し離れたソファーにもたれながら・・・・

「本当は私も働きたいんだけど。」
と、彼女が不意に言いました。お互い子育ての真っ最中、話題といえば子どものこと。学校、習い事、スポーツと、男の子の親同士、共通の話題に事欠きませんでした。そんな話の合間にポロっとこぼれた彼女の本音。

「あら、働けばいいじゃない。」
私は反射的に言いました。当時でさえ外国人の住み込み家政婦が20万人もいると言われていた香港。そのほとんどが、働く母たちを支えていました。香港では子どもがいることは、勤めに出ない理由にすらなりませんでした。

「そんなことできるわけないじゃない!」
思いがけず語気の強い言葉に、驚いて雑誌から顔を上げました。そこには、深く、暗く、固い表情がありました。シャンパングラスが大理石の床に落ち、歯が浮くような音をたて、破片がスローモーションで飛び散っていくような気がしました。私の無邪気な一言が彼女の心の琴線を切ってしまった瞬間でした。

忍び、喜び、怒り、楽しみ、恐れ、哀しみ、諦め、励まし、迷い、憧れ・・・・・多分、第一子を生んでから数え切れないほど彼女の中で去来していた、数え切れないほどの想い。それでも全てを小さな小箱に納めていたのに、香港という世界で最もプラクティカルな場所がその箱の存在を白日の下に晒し、通りすがりの私がふたを開けてしまったようでした。天井のシーリンングファンが取り返しのつかない空気を、いたずらにかき混ぜていました。

女友だちのブログによれば、彼らは長い海外駐在を終え、パリ郊外に落ち着いていました。子どもたちも順に巣立っていき、とても素敵なアパルトモンを購入して、老後の生活設計に入っているようです。遠く離れていてもお互い同年輩。直面している現実には大差ないようです。遅れてきた青春のように輝いていた、私たちのLes annees 1980(80年代)。あの時の仲間の心の中に、温かい陽だまりのようにいつまでもきらめいていますように。

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「マヨネーズ」
あの後も彼女とは何事もなかったかのように連絡を取り合いましたが、いざ会おうとすると、どちらかの子どもの誰かが熱を出し、体調を崩しということが4、5回続き、「もう約束するのはやめて、自然にどこかで会いましょう」と、苦笑しながら電話で話したほどでした。ご縁が目の前で切れていくという、人生でも数少ない経験をしました。

6年前に香港でのフランス人との思い出をメルマガにしていました。よろしかったらリンクからどうぞ。 Vol.0377  〜ル・プラ・ナスィオナル〜

西蘭みこと 

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