「西蘭花通信」Vol.0564   生活編 〜ブルースプリング・レポートVol.22:早稲田大学政経学部〜       2012年4月27日

3月末に名古屋大学に合格し、9月から始まる生まれて初めての本格的な日本暮らしと寮生活に胸を躍らす、長男・温(18歳)。今はオークランド大学に通いながら、クラブやアルバイトに精を出す毎日を送っています。さすがに合格の高揚も落ち着き、私に背中を押されながら、日本で入手するのは難しそうな服や靴を買うために(身長が190cmぐらいあり、足のサイズも31、32cmあります)、渋々ながらも一緒に買い物をするようになりました。

そんな頃にひょこっと届いた、早稲田大学政治経済学部の一次試験合格の通知。一次は書類審査のみですが、二次は面接で温の場合はシンガポールで行われます。
「早稲田の政経か〜。ボクが行きたいぐらいだよ。父親じゃダメかねぇ。」
と3枚つづりの通知を読みながら、夫が独りごちていました。

早稲田の政経に英語の学位があり、AO入試として海外から生徒を募っていることを知ったのは、昨年末だったか年明けだったか、ごく最近のことでした。温が日本の大学進学を決めてからすっかり「お受験パパ」と化した夫が、暇さえあればあちこちの大学のホームページや文部省が推進する「グローバル30」(正式名称「国際化拠点整備事業」、通称「G30」)関連のサイトを見ているときに、
「こんなのあるぞ!」
と見つけ出してきたものでした。

「ニッポン、ニッポン!」と言いながらも、名古屋大学以外には全く興味を示さず、
「このままでは単願?落ちたら日本行きはなし?」
と心配する親をよそに、本人は、
「まぁ、その時はオークランド大学でいいよ。」
とかなり鷹揚でした。しかし、日本の高校受験の失敗をともに経験した親としては(あの時の話は〜ブルースプリング・レポートVol.14:始まり〜でどうぞ)、「願いがかなう可能性が高まるなら」と併願を望んでいました。

他大学には関心を示さなかった温も、早稲田にはやや興味を持ったようでした。正確には大学より政経学部という、本人が最も関心を持つ政治と経済を同時に学べる学部に興味を持ったのです。
「オークランド大学だったらこれってコンジョイント(二学位取得)で、文学部と経済学部に分かれちゃうからね。」
と言いつつも、その時点では話がそれ以上進むことはありませんでした。しかし、お受験パパは抜かりなく、出願に必要な準備をこつこつと進めていました。

2月末に名古屋大学の二次試験の面接が終了したとき、とうとう親が説得するかたちで早稲田にも願書を出すことにしました。名古屋の面接が終わって、本人にしてみれば全ての受験が終了した気分のタイミングでしたが、夫が用意した必要書類に、英語のエッセイを添付し、ほとんど申請期限のギリギリになって送付したのでした。

「早稲田の一次受かったよ!」
大学から戻った温に告げると、
「へー。返事来たんだ。」
と一言。
「面接、行かないの?」
と聞いてみると、
「え〜、ボクは名古屋だから〜」
と困った表情。

「早稲田の政経だよ!」
と夫が横から念押しすると、
「それって名誉なことなんだろうけど、ボクは名古屋に行きたいし。」
「まぁ、もう入学金も払っちゃったしなぁ。」
と、夫も相槌を打っています。ゴーイング・マイ・ウェイの母に似たトンビの子(この話は〜ブルースプリング・レポートVol.17:トンビの子〜で)。ブランド志向も迷いも全くありませんでした。

                   (名古屋大学のキャンパス→
     訪れた日は記録的な大雨で、確か写真がこれしかありません)


その夜、面接には行かないこと、大学側が求めていた「行かない場合の理由」は「名古屋大学進学のため」という内容を、大学宛に本人がメールにしたため、2年以上かかった温のニッポンお受験体験が全て終了しました。
「終わったな。」
「終わったね。」
伴走してきた親の感慨の方が、一入だったかもしれません。併願を勧めたのは私たちで、温はそれに付き合ったようなもので、本人にとっての受験はとっくに終わっていました。

思い起こせば、日本での高校受験の失敗後、温は12年生(日本の高二)に戻り、当初は闇雲に漢字の練習をしたり、私が書いている経済や産業レポートを一緒に読みつつ、専門用語や経済的背景を学んだりしていましたが、日本でも英語で学位が取れる道が開かれていることがわかってからは、英語での受験に的を絞り、付け焼刃の日本語の習得よりも、内申書の中心となるこちらでの学業成績の向上に全力を上げるようになりました。

その結果、12年生で履修した経済の成績が認められ、13年生の時に国の奨学金を得て、カンタベリー大学の経済学部に受け入れられました。高校生と大学生の二足のわらじを履いて突っ走ったのは、名古屋大学に行きたい一心だったのです。高校卒業後はオークランド大学に進学し、来月には早くもその前期が終了します。そして9月からはとうとう名古屋へ。2年半で大学3校を渡り歩き、最後が念願の第一志望校になりました。

日本の高校受験に失敗したとき、
「今は"失敗"に見えるけれど、これが何かの"出発"になるかもしれない。」
(〜ブルースプリング・レポートVol.14:始まり〜より)
と感じた私の勘は本人の努力もあって、そのとおりになりました。

さらに、一連の体験を通じて、
「世の中に偶然はなく、反省はあっても後悔はなく、失望はしても絶望はない」
ということ、そして私が座右の銘とする「継続は力なり」を会得してくれたなら、一緒に走り今は送り出す段となった親として、こんなに喜ばしいことはありません。

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「マヨネーズ」
次男・善(15歳)は兄の日本進学で、家の蓄えが底をつくのではないかとヒヤヒヤしています。
「うちって、ボクがオークランド大学行くお金あるの?」
と、聞いてきます
^^

善クン、貯金なんて温クンの分もないから心配無用!

西蘭みこと 

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