「西蘭花通信」Vol.0576   生活編 〜上善如水〜                     2012年6月30日

前々回のメルマガ「ブルースプリング・レポートVol.25:温のアルバイト」でお話したとおり、長男・温(18歳)は年配者にパソコンを教えるアルバイトをしています。きっけは私のボランティア仲間で、パソコンの個人教授をしている70代のスーザンから、タブレットの使い方を教える仕事を斡旋されたことでした。紹介を受けた最初の生徒ミセス・キャスパーソンは、リタイアメント・ビレッジと呼ばれる老人向け施設で暮らしていました。

NZの民間リタイアメント・ビレッジは老人ホームのイメージとは程遠く、住人全員が高齢者でブザーを押せばスタッフがすっ飛んで来ること以外は、ホテルのような趣で、広々とした庭やプール、ジムやテニスコート、洒落たレストランやカフェがあるような場所です。

仕事の初日はスーザンを介して生徒を紹介されるのかと思っていたら、
「私は用があるから先に行ってるわ。温は約束の時間に来てくれればいいから。」
と連絡がありました。
「なるほど。温のいないところで授業料の話をしておくのね。」
と察しがつきました。ミセス・キャスパーソンはスーザンの生徒ですから、温に無償で紹介する理由はありません。

温が約束の時間に訪ねると、まさにスーザンが出て行くところでした。
「コミッションを払うんだから、スーザンと授業料のことをよく打ち合わせておいてね。」
と、念を押しておいたので、急いでいるスーザンに温が授業料を確認すると、
「いくらでもいいわよ。1時間30ドル(約2000円)ぐらいでいいんじゃない?」
という返事でした。

レッスンを終え、あまりにも楽な仕事だったので温は時給20ドル、2時間で40ドルを請求し、小切手をもらって帰ってきました。数日後スーザンに会った時に、私からもお礼と報告をして、
「コミッションはいくら?どうやって払ったらいい?」
と尋ねると、
「コミッション?」
と皺に囲まれた小さな目を目一杯見開きながら、一笑に付されました。

「ないわよ、そんなもの。仕事をしたのは温じゃない。私はタブレットを触ったことがないから、あの仕事は引き受けられなかったのよ。」
「でも、彼女の家までわざわざ足を運んでくれたんでしょ?」
と言うと、
「あれには理由があったのよ。」
という返事が返ってきました。

「彼女はレミュエラ・ガーデンに住んでるの。ちょうどあの日、コテージの1軒がオープンホームだったのよ。そのコテージは前に私の両親が住んでいたもので、オープンホームの広告を見た時から中を見てみたかったの。だから温を紹介する時間がなくて、私は先に行ってしまったのよ。」
オープンホームとは不動産の下見会のことで、リタイアメント・ビレッジも中を公開して入居者を募るのでしょう。コテージとは小さい戸建物件のことです。

「懐かしかったわ。綺麗に手入れされていたけど、当時と全く変わってなくてね。キッチンなんかそのままだったわ。」
スーザンは穏やかに微笑みながら、わずかに目を潤ませていました。彼女の母親は90代で他界しているので、ほんの数年前までそこに住んでいたのかもしれません。
「あの件がなかったらわざわざオープンホームには行かなかっただろうから、中を見れてよかったわ。」

上善如水。
上善のような理想の生き方が水のようなものだとしたら、スーザンの流し方はまさにそれなのではないかと思いました。50代になったせいか、目には見えない物事の流れに身を任せることの大切さが、少しずつわかり始めたような気がします。

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それからしばらくして、スーザンがジャムを作ってはチャリティー団体に寄付をしているのを知りました。前に一度、彼女の庭でたくさん採れるフィジョアと呼ばれるNZ特産の美味しいフルーツのジャムをもらったことがあり、
「50ドル分作ってもらえないかしら?」
と頼んでみました。自分でマーマレードを作るには庭のレモンもオレンジもまだ早すぎました。



     (スーザン作。ラベルもコンピューターで作ったお手製です→)

「売るのはねぇ。寄付のために作っているから。」
と渋るスーザン。かと言ってわざわざチャリティー団体まで買いに行くのは面倒な私。温のこともあり、こんな形でも彼女にお金を払える機会があるならと、
「お願〜い!」
と甘えてみたところ、引き受けてくれることに。翌週には小さな段ボール箱1杯のジャムが届きました。
50ドルを受け取って家に帰ったスーザンのもとには、まるで頃合を見計らったかのようにチャリティー団体から寄付のお願いの手紙が届いていました。彼女は、
「ほらね!」
とつぶやきながら、50ドルの小切手を切り、私の支払いを全額寄付してしまいました。

しかし、それで終わらないのがスーザン!後日送られてくるチャリティー団体からのレシートを税務署に送付して申請すれば、33.3333%の還付が受けられます(その団体は税還付の公認を受けているので)。少なくとも16ドルが彼女に戻ります。
「これで砂糖代がカバーできるわ。」
とニッコリする彼女。私も、チャリティー団体も、彼女も利する見事な解決策。上善とはまさにこういうものなのでしょう。

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「マヨネーズ」
リタイアメント・ビレッジとはこんな所です。自宅を売却して戸建やマンションの1室を購入したり、賃貸したりして入居します。入居者が立ち退くときや亡くなったときは管理会社に売り戻します。人気のビレッジは入居まで数年待ちになるそうです。

西蘭みこと 

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