「西蘭花通信」Vol.0604  経済編 〜花火と経済:ガイフォークス〜            2012年11月9日

NZの11月5日はガイフォークス・デーと呼ばれる花火の日です。今から400年以上前の1605年にガイ・フォークスというイギリス人が、国がイギリス国教会を優遇してカトリックを弾圧していることに反発して国王の暗殺を企て、国会議事堂に大量の火薬を仕掛けた火薬陰謀事件に端を発するものだそうです。事件は未遂に終わり、フォークスは11月5日に逮捕され、大逆罪で極刑に処せられました。

以来この日が彼の名を冠した記念日となり、花火の日となったそうです。NZは11月から夏ということになっているので、日が長くなった夕刻をビール片手にバーベキューで楽しみ、暗くなったら花火というのが、初夏の風物詩としてすっかり定着しています。NZで花火と言えば打ち上げ花火のことで、線香花火のような情緒を楽しむものではなく、夏の到来を祝う祝砲のようなものなのです。

今年のガイフォークスは月曜日でした。お向かいの家は金曜日から人を大勢招いて、週末中パーティーをしていました。引っ切りなしにクルマが出入りし、子どもたちがその辺を走り回り、庭にはテントが用意され、音楽が流れ、楽しそうな笑い声が聞こえてきました。週末からあちこちで花火が上がり、お向かいさんも盛んに上げていました。

「久しぶりだね〜」
思わず夫婦で感慨深くなってしまいました。今や長男・温(18歳)が日本で暮らし、次男・善(15歳)も花火になど微塵も関心を示さず、かつて家族でこの日を楽しんだ日々は遠くなっていました。我が家にとって花火の日はもはや忘れられた存在でした。実際、ここ数年のガイフォークスは景気の悪化で、ややもすれば忘れてしまいそうになるほど静かなものでした。そのため盛大なパーティーも、家々の合間から次々に上がる花火も本当に「久しぶり」だったのです。

当日は平日の夜だというのに驚くほどの数の花火が延々と上がり、遠くの川向こうで上がる花火もはっきりと見えたので、相当大きなものを上げていたようです。
「こんなに花火が上がるのは2006年以来では?」
デッキで花火を観ながら、今の家に越してきた最初の年のガイフォークスを思い出していました。あの時は市街戦でも始まったのかと思うような爆音、火花、明るさ、「機関銃?手榴弾?」と思うほど、あちこちで留めもなく光が炸裂し、白煙が上がり、火の粉が降ってきました。
(あの日の話はコチラで)
(1kmほど先の谷向こうの花火。この大きさでも個人が上げています→)

前年の2005年も大変盛大で、谷を臨む善の友だちの家に招かれ目の前で上がるロケット弾を楽しみました。谷の両側で次々に打ち上げられる花火が、まるで谷を挟んだ撃ち合いのように見えました。辺り一面が戦場と化したかのようで、移住後1年ちょっとだった私には忘れられない異文化体験となりました。同時に、この夜のためだけにこれだけの資金を注ぎこむキウイの経済感覚が、非常に興味深く感じられました。

夜空に一瞬で消えていく花火など、可処分所得から食費や住居費など生活に不可欠な支出を差し引いた残りである自由裁量所得、いわば「ムダ遣い」の最たるもの。同じ「ムダ遣い」でもレジャーなら思い出ができ、外食ならお腹がいっぱいになります。何かを衝動買いしても買った物は残ります。花火となれば何も残らない上、あっという間に終わってしまいます。これほどの「ムダ遣い」はそうそうないでしょう。

「あれは200ドル、あの大きさなら軽く300ドルはいくかもね。」
中学生になっていた温が花火を上げている人の足元で口を広げている花火セットの箱を見ただけで、売値が言い当てられるのにはビックリしました。毎日学校で情報収集をしてくる子どもの情報量は計り知れません。さらに、立派な化粧箱入りの花火がそんなに高価なことにも度肝を抜かれました。当時の為替は1ドル約80円だったので、1箱2万円前後というわけです。500ドルの箱もあったと記憶しています。それはほぼ私たちの1週間の家賃でした。

個人的には驚きを通り越して、派手な花火を観ながら心配になってきました。当時のNZは景気に乗じて不動産ブームが最高潮を迎え、住宅ローン金利は2年の固定金利で約8%と、今の約5%と比べて見上げるような高さでした。その上、万年資金不足の銀行は海外で旺盛な資金調達を行い、経常赤字は対国内総生産(GDP)比8%にまで悪化していました。現在は4.5%なので、いかに高かったかがおわかりでしょう。綱渡りと空騒ぎが同時に起きているような、奇妙な状況が心配だったのです

2007年7、8月にアメリカのサブプライム問題が表面化すると、世界中で一気に信用収縮が進みました。海外資金頼みだったNZ経済は急激に苦しくなり、借金の大半を占める住宅ローン金利は2年の固定金利で9%台に、変動金利は10%を突破して2桁に入ってきました。もうこれは黄色信号ではなく赤信号です。移住前の香港で1997年のアジア通貨危機の際に変動金利の住宅ローンが2桁に突入した瞬間、私たちはローンを抱える身でした。その時の背筋が凍るような異様さは、10年経ってもはっきりと思い出すことができました。(つづく)

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「マヨネーズ」
「なんで花火の話がお金の話になって、住宅ローンの話になっちゃうの?」
という方も多いかもしれませんね。「経常赤字?なんで?なんで?」という細かいことは省かせてもらって先に進みますので、読み物としてお楽しみ下さい。(それじゃ楽しめない?解説を加えていると途方もなく長くなってしまいそうなので〜)

そんな頃にNZ大好きさんで連載していた経済コラム(その後中断)でも、ちらりと花火の話をしていました。本当はこんなソフトなものではなく、「NZヤバしっ!」と思って書いていたのですが・・・

西蘭みこと 

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