「西蘭花通信」Vol.0609 生活編 〜客死〜                               2013年1月25日号

客死という言葉を知ったのは小学生の3、4年生だったと思います。その頃にお年玉で「広辞林」を買いました。使っていた小学生用の辞書では見付からない言葉が多くなり、父に、
「一番いい辞書ってなに?」
と聞いてみると、広辞苑という返事でした。子どもなりに一番いいのを買っておけば何でも載っているはずだから、二度と買い換えなくてもいいだろうという計算がありました。しかし、広辞苑は高く、広辞林を買いました。

以来、緑の表紙の分厚い辞書は私の宝となり、40年を経た今でも持っています。本好きだったこともあり、知らない言葉に接するたびに広辞林を開き、子どもの本にはなかった手が切れるような薄紙を捲っては、目当ての言葉を捜し出して楽しんでいました。

そんな頃の出合ったであろう、客死という言葉。
かくし。外国で死ぬこと―――
辞書になんと書いてあったかまでは思い出せませんが、私の中には変わった読み方とその意味が克明に刷り込まれました。
「旅先の外国で一人ぼっちで死んで行くなんて、なんて可哀想なんだろう!」
小学生の限られた世界感ですから、外国と言えば旅行で行く場所であり、日本の家族も知らないまま、ひっそりと不慮の死を遂げるというイメージでした。

月日は経ち学業を終えると、雛鳥が巣立つようにごく自然に海外に出ました。大人になった私にとり、外国は旅行で行く場所というよりは勉強をし、働き、生活をする場でした。仕事を始めた香港でバリバリ働いては豪快に遊んでいた頃、忙しさもあって免疫力が落ちていたのか、ふとA型肝炎になってしまいました。

白目や掌、尿までレモンのような鮮やかな黄色になり、「ただごとではない」と病院に駆け込むや、すぐに入院・隔離となりました。検査結果が出るまでA型かB型か判らないので、感染の恐れがあるB型の可能性を考慮して個室に入れられました。
「マンダリン・ホテルで食べた牡蠣のせいだ!」
当時の衛生状態から、普段は生ものを口にしなかった私がふとつまんでしまったのが、名門ホテルのオイスターだったのです。(この時の話は「3つのオイスター」でも)

食物感染であり、B型の可能性がないのを自覚していながらも結果が出るまでは身動きがとれず、がらんとした退屈な病室でぼんやりと過しました。
「このまま死んだら客死だな。」
そのとき初めて自分の身に何か起きたら、幼いあの日に可哀想だと感じた当事者になるのだと気付きました。でも、自分は旅行中ではないし、友だちもいて、彼らも会社も入院したことを知っている――。香港は外国だけれど、私にとってはこれ以外はない生活の場。
「これでも客死になるんだろうか?」

アルジェリアでイスラム武装勢力のテロに巻き込まれたプラントエンジニアリング大手、日揮の社員や他企業からの出向社員10名の死亡が確認されました。「どこかに隠れていて」「現地の人に紛れていないか」と、事件当初は生存者が1人2人と確認されていたこともあり期待をつないでいましたが、日が経つに連れて身を隠すところもない荒涼とした砂漠の映像を目にするにつけ、願いが遠のくのを感じていました。

彼らは間違いなく客死です。自分の意思で飛び出し鉄砲玉のように戻らない私と違い、全員が企業から辞令を受けて派遣された駐在員です。本当の生活の場は日本であり、そこには彼らの家族がいます。いくら遠く離れていても、一緒でない時間が長くても、必ず帰り、帰って行く場所のある人たち。彼らには首を長くして待ち、帰る場所を守り続ける家族がいます。「元気で戻る」という誰もが願っていたことは最早かなわず、彼らの時計は突然停まってしまいました。

鉄砲玉の私にも日本と海外の距離感は多少わかりますが、ヨーロッパ並みに遠い、精神的にはもっともっと遠くに感じるアフリカとなれば、想像力でも引き寄せられない距離でしょう。香港で暮らしていた頃、夫は典型的な出張族で、月−金で中国に滞在するようなことも珍しくありませんでした。
「北京から天津に行くタクシーが飛ばしに飛ばして、何度言ってもすぐに100数十キロで飛ばすんだ。」
など、帰って来る度に恐ろしい土産話を聞かされ、
「夫に何かあったら母子家庭か。」
と何度思ったことか。

一緒にいても離れていても、不慮の死は避けられません。しかし、「もし一緒にいたら」「最期に一目でも会えたら」と思えば思うほど、残された者は深い哀しみと苦しさと、「もしかしたら何かできたのではないか」という自責の念にかられてしまうものではないでしょうか。それは愛する人を想えばこその、愛情と良心の賜物でしょう。いつかは、自分もまた愛され、何もできなかったことを許されていることを感じることができるとしても、それまで長い長い長い長い道を行くことになるのでしょう。

夫は幾度となく肝を冷やす思いをし、タクシーの運転手とけんか腰になりながらも無事に戻り、私たちはNZで暮らしています。これは偶然ではなく「生かされている」のだと思います。それならば、必ずすべき事があるはずです。惜しまれても惜しまれても逝ってしまう命があるのなら、生かされた私たちは一刻一日を無駄にせず今の時間を大切に生きていきたいと思います。

日揮の犠牲者の方々に心より哀悼の意を捧げます。

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「マヨネーズ」

Yesterday is history.
Tomorrow is a mystery.
Today is a gift.
(昨日は歴史、明日は神秘、今日はギフト)

英語でよく言われる言葉。「現在」と「贈り物」を指す言葉がいずれもプレゼントなので。

Tomorrow is a miracle(明日は奇跡)
だと私は信じています。

(海外で暮らしていると、生活や人生、ひいては来し方行く末を深く考える機会が多いように思います。そこにいるのが「偶然」ではないからなんでしょうか。そんな中で墓地というものはとても気になる存在です。アカロアにて→)

西蘭みこと 

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