「西蘭花通信」Vol.0613  スピリチュアル編 〜50代の宿題2:慈母〜           2013年3月12日

私は子どもをもって初めて、自分の中に「母親像」というものがないことに気付きました。
「いい母親になりたい」
「優しいママでいたい」
と通り一遍に思ってはみるものの、それがどんなものなのか、どうすればそういうものに近づけるのか、理想の手本になるものが自分の中にないことに気付いたのです。

香港で長男・温(19歳)が生まれて2ヵ月近く経った頃、待望の住み込みのお手伝いさんがフィリピンからやってきました。メルマガにも何度も登場しているジーナです。本国にいた本人には会えなくても、彼女の姉を面接することができ、「兄弟姉妹といえども性格や価値観は全く違う」という自分たち夫婦の経験を十分踏まえた上でも、
「この人の妹なら!」
と思える人でした。採用を決め、本人の到着を心待ちにしていました。

それは私の産休があと3日で終わる、というタイミングでもありました。ビザの取得に時間がかかり、マニラからの飛行機がイースター休暇の関係かずっと満席で、
「これ以上待つならビジネスクラスもやむなし。」
というギリギリの段階で、ジーナはやってきました。私よりたった4歳年上なだけなのに、彼女の母親としての経験は長く、自分の3人の子、親戚の子、かつてお手伝いをしていた香港人の子を合わせれば、何人もの子どもを新生児から育て上げた人でした。

初めて会ったにもかかわらず、彼女の満面の笑顔と、温を抱いたときの溢れるような母性と揺るぎない落ち着きに心が震えました。
「この人だ。間違いない。私はこんな人を待ち望んでいた。」
心からそう思いました。

「温は私たちの初めての子です。私は親になってたったの2ヵ月。自分の命よりも大切な子を置いて家を空けることが、どんなに辛いかわかってもらえるでしょう。でも、私には他に選択肢がなく、初めて会ったあなたにすべてを託します。あなたを信じます。どうか私たちのことも信じて下さい。そして、私たち親子を助けてください。お互いよく知らないので、不安になったり不満も出てくるでしょう。そんなときはすぐに正直に言って下さい。決して悪いようにはしません。至らないことがあるとしたら、私たちが子育てや人を雇うことに慣れていないだけなのです。」

私は必死でした。できるだけ真摯に正直に自分の思いのたけを伝えました。何度も何度もうなずいていたジーナが不意に涙を流し、私もまた目が潤みました。子どもをかけがえなく想う母親同士が、立場を超え、経験を超え、民族を超え、がっちりと通じ合った瞬間でした。私がしなければいけないことは、彼女に誓った言葉を額面通りに実行することでした。彼女に託し、彼女を信じること―――

ジーナを加えた4人暮らしが始まって早々、彼女の温への接し方に言葉にならない感謝と感動で胸がいっぱいになりました。ジーナが職務を越えて温を可愛がっているのは一目瞭然でした。
「母親とはかくも甘く優しいものなのか!」
背後から2人を見つめながら、何度胸を熱くしたことでしょう。言葉としてしか知らなかった「慈母」というものが、自分の家に、目の前に、息子と一緒にいるのです!

(2008年にジーナをNZに招待したときの1枚。温も善もおしめを替えてもらったジーナには一生頭が上がらないはず→)


そんな中、自分には「母親像」というものがないことに気付いたのです。私にとっての実母は、いつ何を理由に小言が始まるのか予測がつかない、できるだけかかわらずにいたい存在でした。母だけでなく父や妹も含め、私には実家での甘い思い出というものが、今も残る記憶のページをいくら遡っても見つけることができません。それなりに楽しく過した時間もあったはずですが、圧倒的に苦く苦しい思い出にかき消され、今となっては蘇らせることができません。

私はままごとをしていた幼稚園や小学校に入りたての頃から、
「大人になったら、絶対にお母さんになる。」
と心に決めていました。そんなことはその年齢の女の子であれば98%が願うことでしょうから、取り立てて言うほどのことではないのですが、ほとんどの子が華やかな純白のウェディングドレスに憧れ、「お嫁さん=お母さん」を夢見ていたとしたら、私はひたすら母になることを願い、
「(自分の)お母さんのようにはならない。」
と、黒い誓いを立てていました。

「実母のようにはなるまい」と決めていても、それに代わるべき母親を思い描くこともないうちに、私は母となりました。目の前に現れたジーナの存在に、私は膝から崩れ落ちて行くような、アイデンティティーの崩壊を感じました。圧倒的な感謝と感動に押しつぶされ、明るく輝く歓喜の中での蹉跌。20年以上前の黒い誓いなど、最早どうでもいいことでした。今考えると、子どもたちもジーナも、私の幼少期を蹴散らすかのように次々と私の人生に現れ、実際、私は長い間、実家のことをろくに考える余裕もないほど、幸せで忙しい日々を過してきました。(不定期でつづく)

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「マヨネーズ」
前回の〜50代の宿題:上を向いて寝よう〜から早5ヵ月。その間、
「今さら過去を検証して、話をむしかえす必要があるんだろうか?このまま水に流してしまえばいいのではないか?」
と、何度思ったことか。そんな中、あることをきっかけに私の幼少期を知る数少ない人に手紙を書き、40年以上誰にも語ったことのなかった全ての想いを伝えたところ、
「君に全幅の信頼を寄せる」
という思いがけない返事をもらい、一歩前に出る勇気を得ました。50代をかけてこの問題に取り組み、清算し、その先に進もうと思います。

西蘭みこと 

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