「西蘭花通信」Vol.0620  香港編 〜ヴァンソン〜                     2013年4月18日

「台湾からフランスに帰る友だちがトランジットで香港に寄るんだけど、1泊だけ泊まるところを捜してるの。みことのところでもいい?」
今から26年前にもらった電話は、パリからでした。当時の私は香港で職を得て働き始めたばかりでした。辞職した日本人駐在員の後任として採用されたので、前任者のために会社が借り上げていた社宅が空き、私は3部屋もある、今の小さなNZの戸建の家ほどもある広いマンションに1人で住んでいました。

「もちろん、いいわよ。」
フランス語は男性名詞と女性名詞がはっきり分かれているので、友だちというのが男性であることは、会話の始めからわかっていました。男でも女でも、親しい友人がわざわざ国際電話で頼んできたのですから、断るはずはありませんでした。

「そのー、彼はゲイだと思うの。」
「どうして?」
「台湾に出張したときお世話になって、食後に彼の家でコーヒーをご馳走になったのよ。台湾人と一緒に住んでるって聞いてたんだけど、その時は誰もいなくて、部屋にオードリー・ヘプバーンの写真が飾ってあったから、『あなたが好きなの?彼女が好きなの?』って聞いたら、『彼が』って言われたの。」
「へー。」
友人は見知らぬ若い男を家に泊めようとする私を気遣ってくれたのでしょうが、その根拠がゲイというのには、なんだか笑ってしまいました。

やってきたヴァンソンは身長163cmの私がほとんど目線で話せるような小柄なタイプで、おでこの上でクルンと巻いた前髪と満面の笑顔に、こちらまで巻き込まれそうになるほどサンパ(ナイス)な人でした。簡単な夕食でもてなしながら、台湾の話に花が咲きました。私も2年暮らした場所、あの界隈がどうなった、あの通りにこんな店ができたと、他愛もない話で盛り上がりました。

「僕はゲイなんだ。」
話の途中でヴァンソンが不意に言いました。
「そうらしいわね。」
私も正直に答えました。すっかり打ち解けていたせいか、誰かに胸の内を打ち明けたかったのか、ヴァンソンは台湾に残してきた恋人の話を始めました。
「僕たちは本当に気が合ったんだ。僕の中国語はまあまあだけど、彼のフランス語は驚くほど上達してね、できることなら一緒にフランスに帰りたかった。彼もフランスに行きたがってたんだ。」

「無理なの?」
「わかるだろ?台湾人がどんなに保守的か。彼もそれがわかっているから、両親には本当のことが言えなかったんだ。親を苦しめることはできないって、一緒に来るのを諦めたんだ。彼のそういう優しさがわかるから、僕も何も言えなかった。そうでなかったら、絶対にフランスに連れて行ったのに。」

声が震え、唇をぐっと噛みしめ、ヴァンソンは泣いていました。私も目を潤ませながら、知り会って数時間の彼の身の上に思いを寄せていました。当時の台湾は本省人と呼ばれる台湾人と、外省人と呼ばれる戦後に中国から逃げてきた人たちの子ども同士の婚姻さえ認めない雰囲気があり、親が子に対して絶対的な権限を持つ儒教的な価値観が支配的な場所でした。そんな中で自分がゲイであることをカミングアウトすることは、勇気などという範疇を越える一大事だったことでしょう。

「これがフランスだったら、なんの問題もないのに。」
彼の一言に、パリ留学中に友人宅で出会った初老のゲイ・カップルの思い出が蘇ってきました。片言のフランス語しかわからない私に、2人はトルコ旅行の思い出話をしてくれました。灯りを落としたリビングの暖炉には赤々と火が灯り、家の主のように交代で火の様子を見、薪をくべていた2人は、似たような上質のコートを着て、被った帽子を同時に持ち上げ、上品に挨拶をして帰っていきました。パリであれば当時ですら、それは可能でした。

香港の内輪の友だちの中にはカミングアウトしている、いわゆるゲイ友が何人かいた私にとり、同性愛は身近な話でした。彼らは器用に公私を使い分けながら自分の望む道を歩んでいました。ヴァンソンのように公の場だけでなく、私生活も諦めなくてはいけない人に会ったのは初めてでした。
人と人が愛し合うのに男も女もない。男女が出会うように男同士、女同士も出会い、愛の深さは変わらない―――
彼の無念さが胸にしみました。

「時間がかかっても、上手くいくことを祈ってるわ。」
「無理だよ。彼はいずれ親に誰かと結婚させられるんだ。フランスに来ることもないし、僕たちはもう会うこともない。終わったんだよ。」
ヴァンソンは唇を閉じながらも口の端を上げ、初対面の時のような笑顔を作ろうとしていました。今思うと、なぜあの時テーブルを立って、1人の人間として彼の肩を抱いてあげなかったのかと思います。

昨夜、NZでは婚姻法の改正案が可決し、同性婚が合法化しました。ここまでの道程には15年がかかったそうで、15万人とも言われる同性愛社会は平等化に向けて大きな一歩を踏み出しました。これまでもシビル・ユニオン法を通じて、同性のカップルに夫婦並みの権利を認めてきた国ですが、今回の法改正で同性の夫婦が養子を迎え、家庭を築くことができるようになりました。この日を待っていた皆さん、おめでとうございます。

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「マヨネーズ」

26年も前に一晩だけ一緒だった人の名前はさすがに思い出せないので、ヴァンソンはゲイだった別のフランス人の名前です。

当時の香港のフランス総領事もゲイでした。独り身でご母堂が一緒に住むことになったものの、高齢のためか自分の興味だったのか、遠路はるばるフランスから香港まで、ソ連経由の陸路でやってきたスゴい人でした!

                   (思い出の尽きない14年暮した香港→)

西蘭みこと 

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