「西蘭花通信」Vol.0630  スピリチュアル編 〜夢日記:夢の教訓〜          2013年7月3号

旅行中に十数年ぶりの友人一家を訪ねました。大きくてモダンな家。壁はコンクリートの打ちっ放し。家の中にはいくつも段差が設けられていて、自分が1階にいるのか2階にいるのかよくわからないまま、あっちへ案内されこっちへ案内され、広々とした家の中を見せてもらいました。

全面が窓になったリビングには、ゆうに10人以上座れる細長いテーブルがあり、テーブルランナーの中央には豪華な花、その両脇にはオードブルやサラダ、チーズプラトーやパンの大皿が置かれ、ワインにワイングラス、ミネラルウォーターにグラスと、ガラス器も林立しています。これからランチが始まるところです。

招待されていたのは私たちだけではなく、他にも数組の夫婦がいました。息子たちは友人の子や招待客の子どもたちと一緒に家の中を走り回っていて、テーブルには寄ってきません。どこかに子ども用のテーブルも用意されているのでしょう。大人だけのワインと談笑の食事となりました。

食後は三々五々となり、子どもたちのドタバタを離れて夫と一緒に庭に出てみると、突然クルマの音がしました。音がした方角を見ると、大きな黒塗りの4WDが今しも敷地内から出て行くところでした。運転席と助手席には友人夫婦が乗り、後にも人が乗っているようですが、窓ガラスが暗くて中が見えません。

「出かけたの?私たちに何も言わないで?」
驚いて室内に戻ると、相変わらず子どもたちが追いかけっこをしているばかりで、大人の姿がありません。友人の娘を見つけて事情を聞くと、
「パパとママはみんなのパパとママを送りに行ったの。」
と言います。

宴の後。ついさっきまでの大人だけの和やかなひと時が雲散霧消し、その後には黒雲が垂れ込めてきました。なんという後味。
「私たちもホテルに帰らない?」
と夫に言うと、
「でも、『泊まっていって』って招待されてるからなー。このまま帰っちゃっていいのかな?」
と良識的です。そこにひょこっと11、2歳の長男・温が現われ、
「今日この子たち全員お泊りなんだって!」
と嬉しそうに言いました。

ザっと見ても子どもだけで10人以上います。息子たちにとっては遊び友だちがこんなにいて楽しくて仕方ないところですが、私にしてみれば、
「いくら大きな家といっても、これだけの数が全員泊まれる?」
と、ますます心の黒雲が厚くなり、この場を立ち去りたくなりました。
「ボクたちが帰ったら、家の中に大人が1人もいなくなるなー。いいんだろうか?」
夫はどこまでも良識的でした。

「どうしよう、どうしよう。」
というところで目が覚め、夢であったことに心からホッとしました。同時に、いまや連絡がなく、お互いどこでどうしているのかも知らない、かつての友人一家のことがリアルに思い出されました。きっと彼らは夢に出てきたような生活を送っているのでしょう。そんな雰囲気を好む夫婦でした。

私たちには共通点がいくつかあり、親しくなりそうな要素がありました。一緒に外出したり食事をしたりしていた時期もあります。子どもたちは喜び、仲の良いファミリーフレンド(家族付き合い)という感じでした。しかし、帰ってからの心身ともに感じる疲労感は格別でした。子どもが小さいうちの外出は疲労困憊するものですが、それとはまた違う心身の重さがずしりと来る、自分が疲弊していることをリアルに感じる疲れでした。これは無理をした証拠です。「子どものために」「お付き合いもあるし」と、私らしくなく「社交辞令的に」「常識的に」頭で考えて動いた結果に、心身がついていけなかったのです。

夢の中で心に広がってきた黒雲の正体は不信感です。
「私たちがいながら、黙って出て行くってどういうこと?」
「歓迎されていなかったんだろう。やはり来るべきではなかった。」
と、本当は気が進まなかったのに旅行のついでに声をかけたこと、多分、先方もお義理だったのであろう招待を受けてしまったことを、夢の中ですら反省していました。

「心にないことはしてはいけない」
それが夢の教訓でした。価値観にズレがあることは、お付き合いをしている頃から分かっていました。心の底から愉しめないのであれば、それが一般的にまかり通っても「してはいけない」と心に刻まれるようでした。仕事のように個人よりも全体が優先される場では社会常識のような共通のルールが必要で、報酬を受け取っている以上、私もルールに従って考え行動し、企業という全体の利益を追求します。

しかし、こと個人のこととなったら話は別です。もっともっと自分を掘下げ、深く、豊かに、正直に生き、愉しむこと、幸せであること、心身ともに健やかであることに真摯に取り組み、生を受けたことへの感謝を生きていかなくてはいけないのだと思いました。気づくためにも、軌道修正のためにも、「上手くいかないこと」は必要なのです。


(去年のクライストチャーチ旅行で、友人が連れて行ってくれたカシミヤヒルからの市内の夜景。自分たちだけでは決して訪れることもなかったであろう場所なので、貴重な旅の思い出になりました→)

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「マヨネーズ」
「どうしよう、どうしよう」という焦燥感と夢だと分かったときの安堵感の対比には、自分でも苦笑してしまいました。あまり上手くいかなかった、何年も前の「忘れていたこと」。でも「終ってはいなかったこと」だったと気づき、今回の夢で本当に「完」となりました。

経験上、「上手くいかないこと」を演じる役者は、役目を終えると舞台から消えていきます。彼らが立ち去るタイミングは自分の気づき次第で、「上手くいかないこと」を相手のせいにして自分が変わらないうちは、ずっと居座るようです┐(  ̄ー ̄)┌

西蘭みこと 

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