「西蘭花通信」Vol.0635  生活編 〜カリフォルニアから遠く離れて〜         2013年9月5号

オークランド・アート・ギャラリーで開催中の「カリフォルニア・デザイン1930-1965年展」を観てきました。正直言って、今までの人生で興味を感じたことも、特にご縁もないアメリカ。さらにそのエッセンスを凝縮したような西海岸ということで、半額のクーポンが出たのに背中を押され、「どんなもんだろう」程度に出かけていきました。

まず1930−1965年という時代の区切り。会場の入口を示すカラフルな表示を見ながら、世界大恐慌、第二次世界大戦、朝鮮戦争を跨ぐ激動の時代をサラっと一括りにした展示であることにドキっとしました。日本やアジア、欧州だったら、戦前戦後でガラっと変革したこの時期。そこをあえて連続で俯瞰することに、その間のアメリカの強さと勢いを感じ、自分の無知さ加減を覚悟しました。

早々に目を奪われたのが地味な白黒写真でした。1枚は「ウィルシャー・フェアファックス1922年」と手書きされた、真平らな土地の航空写真。10本ほどの一列に並んだ大きな木と、一直線の大通りが何本か走るばかりの広大な造成地。並んだ木はNZでもよく目にする、牧場の垣根でしょう。宅地化される前はカウボーイが駆け巡っていたに違いない、地平線が見えそうなほど平坦な地形。いったいどれぐらいの広さなのか。

2枚目の写真は「ウィルシャー・フェアファックス1930年」。ほぼ同じ場所からの航空写真に写っていたのは、家で埋め尽くされた街。その数は万を数えたでしょう。大きな木はすべて切り倒され、8年前の面影を残すものは大通り以外何ひとつ残っていません。すべてが変わっています。
「これこそが経済発展!」
というお手本のようでした。

家の数だけ生活があり、クルマがあり、家具や家電製品があり、玩具があったりペットがいたりするのです。1万軒なら1万台のクルマにテレビ、1万セットの食卓にソファー・・・・・2枚の写真はその間に爆発的な消費が進んだ証左でした。同じことが今まさに、中国やインドを始めとする新興国でも起きているわけです。

カリフォルニアがすごかったのは、それを近代社会の中で最初に実現したことでしょう。急激な人口増、大恐慌や戦争でほとんど痛手を受けなかった購買力、温暖な気候、自由闊達で可能性に満ち溢れた西海岸。カリフォルニアの発展は「自由」と物質的な「豊かさ」を謳歌するアメリカの象徴となり、国内外から憧憬を集めるアメリカンドリームそのものでした。それは世界の各地で時々に起きた高度経済成長の雛形といえるでしょう。

発展と成長がさらに成熟し独自の文化にまで昇華した、というのが今回の展示の趣旨でした。カリフォルニアの文化は特権階級や金持ちの愉しみではなく、庶民の必要と欲から生じた、まさに大衆文化、消費文化でした。旺盛な需要に応えるために製品の工業化が進み、プラスチック、ビニール、ナイロンといった新素材が導入され、その中で自在な形や色が実現し、気候を反映したビタミンカラーが多様されるようになり、鮮やかな色が大量生産される廉価な工業製品にポップな付加価値を与えていったのです。

カジュアルにして洗練、モダンにしてカラフル、使い勝手がいい割には手頃な価格、プール付の大きな家もあればロフトのような住空間もあり、一見相反するものが不思議なほど整然と共存していた、前向きで自信に満ちた新しい時代―――展示から受けたのはそんな印象でした。展示物は「モダニズム」「大量生産」「住空間」とテーマごとに、それぞれの背景を説明しながら進んでいきます。

その最後が「商業化」でした。これには唸らされました。
「いいデザインは売れなきゃいけない」
という、当時有名な言葉があったそうで、文化の域にまで達したカリフォルニアのデザインはそれを売り、儲けることを目指し始めます。文化と経済が手を取り合い、さらなる豊かさを目指したのです。

その典型がハリウッドでした。大衆はスターを真似、流行を追いかけ、消費に邁進し、それが新たな文化として国内外に喧伝されていきました。他人に「見出される」のではなく、『自分たちの暮らしぶりは商売になる』と「見抜いて」自ら売り出していくという過程が、いまさらながら目から鱗でした。人々がカリフォルニアの豊かさに憧れている以上、上手く儲けて豊かになればなるほど賞賛され、成功していったわけです。

「なんと自分とは程遠い世界なんだろう。」
入り口に展示されていたビンテージのベンツのオープンカーを見ながら、思わず苦笑してしまいました。名曲「ホテル・カリフォルニア」の世界です。メルセデスは歌詞にも出てきます。ただただまっすぐな道をこんなクルマで疾走していく、イケイケな美男美女たち。それは今でも多くの人にとって豊かさの象徴であり憧れでしょう。

ホテル・カリフォルニアは「1969年から、ここにはスピリッツ(酒と精神を掛けた言葉)がないんだ」と歌い、展示されたベンツのナンバーはその直前の「1968 SL」。そして私は1962年生まれ。ジーンズやバービー人形を模した白人の着せ替え人形にアメリカの片鱗を見出しながら60年代を終え、それに憧れることなく別の道を歩んできました。

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「マヨネーズ」
望みがことごとくかなわない家に育ったことで、
「物欲と比較にはきりがない」
ということに子どもの頃に気づき、「めでたさも中くらいなり」で生きる私です。

西蘭みこと 

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