「西蘭花通信」Vol.0641  NZ・生活編 〜NZ移住の原風景:裸足の一族〜      2013年11月9号

「わぁー、なになにこの人たち!」
NZのスーパーの広々とした通路が狭く見えるほどの巨漢が、のっしのっしと裸足で歩いてきます。まるで小山のようで、力士を知っている日本人の目から見ても大きく、存在自体の迫力のせいか身長は2m近くあるように見えました。ランニングからは腿のような太さの長い褐色の腕が伸び、高見山や小錦を彷彿とさせました。

周りには女性や大きな子どもが数人がいて、6、7人ぐらいでゆっくりゆっくり歩いています。みな骨太、肉厚な感じで、クリクリした親しみの持てる黒い瞳と黒い艶のある巻き毛、英語ではない何語かで話しながら通り過ぎていきました。誰もが裸足でした。

それは2001年、今から12年も前の旅行中に遭遇した一家でした。人数の多さから私の感覚では一族と呼びたい一群でした。あのスーパーはオークランドのグリーンレーンにある大型スーパーだったのではないかと思います。当時は褐色の肌の人はみなマオリだと思っていたので、その一族もマオリだと思い、話していた言葉もマオリ語だと思っていました。

暮らし始めてわかったのは、オークランドでは褐色の肌の人の多くがパシフィック・アイランダーと呼ばれる南太平洋系の人たちでした。最多のサモア系以外にも、トンガ系、フィジー系、パプアニューギニア系などがいます。さらにクック諸島はNZとの自由連合制により国民はNZ国籍を有し、NZ移住に全く制限がありません。海外ではあるものの、国内引越しのように自由に移住してくることができます。彼らの9割はクック諸島マオリと呼ばれる人たちで、これまたアイランダーとマオリの線引きを難しくしています。

マオリは何百年も前から緯度の高いNZに居を移していたり、白人との混血を繰り返したりで、白人と見分けがつかないほど肌が白かったり、黒髪も多い中、金髪や赤毛も珍しくなく、ブルーアイやグリーンアイもいます。そもそも純粋なマオリはアジア人やアイランダーのように茶色の目ではなく、グレーがかったかなり薄い色の瞳をしていることが、入植当時のイギリス人の記録にも残されているそうです。また、今となっては日頃からマオリ語を話す人はごくわずかになってしまい、彼らの多くは英語のみで生活しています。

「わぁー、なになにこの人たち!」
と目を輝かせて私が見つめていた一族は、今思うとアイランダーだったと思われます。体系からしてサモア系(人数が圧倒的に多く、大柄な人も多い)かトンガ系(太い巻き毛の人が多く、男女とも骨太な人が多い)か、というところでしょうか?旅行はマオリの里の一つであるロトルアから始まっていたので、裸足の一族は旅行客の私の目から見ても、それまで目にしてきたマオリとは違なる印象を受けました。

この旅行中に不意にNZ移住を決めたとき(その話は〜100年の大計〜でどうぞ)、あの一族のことが思い出されました。
「あんな人たちがいる場所で暮らしてみたい。」
という、好奇心が心のどこかにありました。それほど裸足の一族の印象は強烈でした。私の中でアイランダーがいる社会への扉が開かれた瞬間だったと言ってもいいほどで、見ず知らずの彼らに親しみを覚えました。

それに先立つこと8年、1993年にも私たちはNZに旅行に来ていました。その時はまだ長男・温(19歳)が生まれておらず、夫と2人だけの南島旅行でした。クルマで2週間ほどグルグル回った思い出深い旅でした。
「いつか子どもが生まれたら連れてきてあげよう。」
と決め、2001年に次男・善(16歳)がすでに3歳になり、長距離ドライブにも耐えられるようになっていたのを見計らって、計画を実現しました。

正直な話、南島旅行のときは一度も「ここに住みたい」とは思いませんでした。美しいところながら、農林業と観光業以外目につく産業がなく、それぞれの街の中心部も腰を抜かすほど小さく寂しく、東京、香港、パリ、シンガポール、バンコクなど都会の生活しか知らなかった私たちは、
「どうやってここで仕事を見つけるの?」
と目を丸くしました。想像を超える少ない選択肢や機会の中で暮らしているキウイが、不思議に思えるほどでした。

南島にもマオリは一定比率いるので、旅行中に何度も遭遇したはずですが、全く印象になく、酪農やサービス業に従事する「白人ばかり」のイメージでした。そんな中で、クライストチャーチで見かけたアジア系父子が唯一思い出される非白人でした。シンガポール系かマレーシア系華人に見えた父親はこざっぱりとした身なりの私たちと同年輩で、小学生の息子は一見して私立校のものとわかるブレザーに半ズボンの制服、革靴に学帽という姿で、2人は黒塗りの外車で帰っていきました。

どの人たちも、感情移入しにくい自分からは遠い存在に思え、親しみもそれ以上の興味も湧かず、私たちは観光客目線のまま旅を終えました。もしも2001年にもう一度南島を回っていたら、
「果たして移住を思いついただろうか?」
というのは、今でも時々思う疑問です。
「ここなら何とかやっていけそうだ。」
と感じたオークランドという街、そしてポリネシアンの存在がなかったら、私たちはあの時点で移住というものに出会わなかったかもしれません。

(つづく)

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「マヨネーズ」

移住して10年近く経ち、今では体系だけでなく、名前(マオリはマオリ語名だけでなく、氏名とも英語名の人が非常に多い)、刺青(マオリは独特の紋様があり、他のアイランダーと異なる)なども、マオリがアイランダーかを見分けるよすがに出来るようになりました。この選別眼はラグビー選手の見極めで養われました。

(このおねえさんは雰囲気もタトゥーも完全にマオリ。男前です。ヘイスティングにて)


西蘭みこと 

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