「西蘭花通信」Vol.0642  NZ・生活編 〜NZ移住の原風景:帰路のない旅〜    2013年11月14号

『18歳でパスポートを取得して以来、旅する人生が始まった。そしてその中で育ってきた。 何故、人にうそをついてはいけないか、食べ物を好き嫌いで残してはいけないのか、人の言う事を鵜呑みにしてはいけないか、自分の身の丈…受けるに価する"deserve"ということ。本当に必要なこと、そのために捨てなければいけないこと、もの。どんなことがあっても守るべきこと、もの、ひと。 

そんな人生で本当に大切なことを旅は教えてくれた。』

24歳の時にパリで出会った友人のブログで目にした文章は、清らかな水が身体の隅々にまで行きわたるような、透明で清々しいものでした。生きる力とは、まさにこんなものではないでしょうか。歯を食いしばってがんばる以前の、生きていく源のように感じました。彼女はこれまでにも「古い女友だち」とか単に「友だち」「同僚」として、幾度となくメルマガに登場しています。私の人生に影響を与えた三本の指に入る人です。

旅の中で「小さな生命」を授かった件(くだり)を読んだときには、目が潤んでいました。あれが彼女の旅だったなら、私は旅の道連れでした。2人は香港の眺めのいいマンションで暮らし、同じ職場で働き、24時間一緒にいることも珍しくありませんでした。ほんの1年ちょっとのことでしたが、お互い独り身をとことん楽しみ、さまざまな経験を積み、社会人として成長していった、輝かしい時間でもありました。あの直後に、私たちは楽しかった輝く時間に別れを告げ、それぞれ別の道を歩み始めました。
(「小さな生命」の誕生を知ったときの話はコチラでも)

『人生に大切なことを教えてくれたのは旅ではなく、本当は、あの日黙って背中を押してくれた親だったということに私は気づいているのだけど…』
という最後の件では、涙を堪えることができませんでした。今では彼女こそがあの日授かった「小さな生命」に、
『そういう時はね、旅に出なさい。卒業祝いと23歳の誕生日のプレゼントに世界一周チケット買う』
と背中を押しています。親子三代脈々と受け継がれていく旅。その連鎖に心が震えました。

この記事を通じて私は初めて、
「旅というものは、帰るところがある人のするものなのだ」
ということに気付きました。ずっと自分は旅が好きだと思っていましたが、なぜか彼女のように大きなリュックを背負って何ヶ月も放浪してみたいと思ったことはありませんでした。私の旅は所詮、有給休暇をとり、日程も宿泊先もきちんと決まっているレジャーとしての「旅行」であり、彼女のいうところの明日の計画もままならない「旅」とは全く違うものでした。そういう意味では、私には「旅」の経験がないと言えるかもしれません。

なぜ私は「旅」をしないのか?私には帰るところがなかったからです。現実問題として、何ヶ月も放浪している間、空家賃をかけておくのはもったいない話です。それ以前に22歳で日本を出てから、さらに遡れば19歳で家を出たときから今のNZの家に落ち着くまで、私の住所はかなり流動的で、数週間、数ヶ月、長くても3年として同じ家にいたことがありませんでした。実家も日本も、私には帰る場所ではありませんでした。そんな私が放浪を始めたら、糸の切れた凧のように2度と地上に戻れないような危うさを、心のどこかで自覚していたのかもしれません。

私に必要だったのは地に足の着いた生活、その基になる確固たる居場所でした。考えてみれば、私はどの国のどの場所を訪ねても、
「ここに住んだらやっていけるだろうか?どんな仕事があるだろう?」
と、観光客というより生活者の目線で見て、考えてしまう癖がありました。前回〜NZ移住の原風景:裸足の一族〜でもお話したように、 20年前の31歳のときに初めて訪れたNZ南島は、美しさに心を奪われながらも、
「この規模の経済では仕事が見つからないだろう。冬は寒そうだし。」
と非常に現実的に考えつつ、観光客としての再訪を心に決めて立ち去りました。

私が究極的に求めていたのは帰らなくていい旅、移住でした。大学を出た後の台湾留学中には何度も香港を訪れ、「就職するなら香港で」というあたりをつけていました。実際、25歳で長かった学生時代に別れを告げたとき、迷うことなく香港で働き始めました。海外出張をこなすうちに、次の照準をシンガポールに定めました。女友だちが「小さな生命」を授かった直後、私はシンガポールに引越しました。

その後結婚し子どもを持ち、再び香港で暮らしていたときに再び訪れたNZで、突然移住を決意しました。
「ここだ!」
頭の中にライトが点り、とうとう帰らなくていい居場所を見つけ出しました。香港での生活は順調で、仕事やお手伝いさんにも恵まれ、何不自由ないものでしたが、夫婦とも、
「ここには一生は居られない。」
と自覚していました。かといってどこに行きたいのか、という具体的な計画もありませんでした。

移住が実現し、私の中での居場所探しが終わりました。今ではどこに行っても一観光客として楽しみ、旅の終わりには家に帰ることをこれまた楽しみに、家路につきます。帰路がない旅とは、ある意味で人生そのものです。30年後、40年後に行くことはできても、振り向いたらそこにありそうな昨日には戻ることはできません。前へ前へと進むだけです。これからも、とうとう巡り合ったこの地で一日一日を大切に、一歩一歩歩んでいきたいと思います。

(つづく)

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「マヨネーズ」
友だちは、
『人生に大切なことを教えてくれたのは旅ではなく、本当は、あの日黙って背中を押してくれた親だった』
といいます。私の場合も「人生で本当に大切なこと」を幼少の頃に、「学ぶ」というよりも「嗅ぎ取り」、そのいくつもが育った家には欠けていることを知りました。皮肉なことに、私もまたそれを両親から学んだのです。

西蘭みこと 

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