「西蘭花通信」Vol.0648  スピリチュアル編 〜スピリチュアル・ノート記:「1人でいること」と「孤独」〜  2013年12月17号

「スピリチュアル・ノート」(アメリカ人サイキック(霊能者)シルビア・ブラウン著)には、人がこの世に生まれ変わって来るときには2つのテーマを定めてくるとありました。紹介されていた44のライフテーマの中で、私が自分のテーマとしてはっきり見出したのは、1つ目が【築き上げる人】、2つ目が【孤独を好む人】でした。なぜこの順番なのかというと、いくら孤独を好んでも、やはり自分がすべきこと、多くの人がかかわって成し遂げるべきことを絶対的に優先しているので、順番が逆になることはありません。

孤独というと無条件に気の毒で、可哀想なこと、恐れ、避けなければいけないことのように思われがちですが、私にしてみれば、こんなにポジティブで、明るく、気楽で、自立して、愉しく、心穏やかで、自由なものはありません。誰にも気を遣わなくてもいいという安らぎは、私にとっては誰かと楽しい時間を過ごすよりも往々にして貴重なのです。ブラウン氏の2つ目のテーマも【孤独を好む人】で、本の中で「孤独と、1人で過ごすことの違い」という1項を設けています。この解釈は非常に興味深いので引用してみます。

『孤独を恐れる人は、私がこれから言おうとすることがなかなか信じられないようです。一方、孤独に悩まされることのない人は、きっとわかってくれるはずです』
と始まる文章は、
『aloneness(1人でいること)と loneliness(孤独)を混同しないようにしましょう』
と説きます。まさにビンゴ!な解釈。「孤独の激しい痛みを感じることなく、1人でいることができる人」と「人でいっぱいの部屋の中にいても、孤独の痛みを感じる人」――この違いは絶対的なもので、私は間違いなく前者です。

『クライアントへの私からの最初の質問は、「あなたは1人で時間を過ごせますか?」』
だそうです。「できる」と答えた人は、 『自分が誰であるかを知っていて、自分が好き』 で、自分が何をすべきかを他の人に決めてもらう必要がない人、
『自立した人間として、あなた自身の魂と向き合い、スピリチュアリティが差し出す喜びや愛や平和や力を受け取ることができる』
のだそうです。1人でいられるだけで、ずい分立派な人のように聞こえます(笑)

「できない」と答えた人には、まずそこから取り組むことになるそうです。逆もまた真なりなのであれば、常に誰かを必要としている人は、自立しておらず、自分の魂と向き合っておらず、喜びや愛や平和や力を受け取ることができない、ということになりそうです。
『あなたが誰であるかを証明するのに他人を頼る』
という、ことにもなるそうです。もしも、頼った人があなたを認めなかったり否定的であったら、どうなるのでしょう?孤独が一層深まり、混乱し、結果的に自分を肯定する人としか一緒にいられなくなるのではないでしょうか?

私の経験から言えば、aloneness(1人でいること)は全く寂しくなく、退屈でもありません。私の毎日はalonenessそのものです。
「今日は走りに行って、これと、それと、あれをしよう!」
と毎朝その日の予定を立てますが、寝る前にその全てが終了する日は1日とてありません。それぐらい「やりたいこと」「すべきこと」に溢れていて、寂しがったり退屈に思ったりする時間など全くないのです。今この瞬間でも、「自分がやりたいことを全部書き出せ」と言われたら、100や200簡単に書き出せます。

(よく友だちと連れ立って歩いていたり走ったりしている人を見かけますが、私はいつも「お一人様」。よく行く湖畔→)


なので、私の毎日には他人がかかわる約束というものがほとんどありません。自分の予定で手一杯なので、できるだけ約束をしないようにしています。正直な話、その人に会うのを楽しみに約束をするものの、いざ当日になると、
「どうして約束してしまったんだろ?」
と後悔することが人生の中で何度も繰り返され、さすがに学びました。その約束を心から愉しめないことは、相手にも自分にも不義理であり、すべきことではないと思うからです。

本にある【孤独を好む人】を私の例(カッコ内)に当てはめると、
『往々にして社会的に活発だったり、目立つ存在です(香港時代まではこれに近い)。でも、人から離れていられる職業(フリーランスのアナリスト・文筆業)やライフスタイル(NZ移住)を選ぶ傾向があります。彼らは1人でいることに満足し(在宅業)、通常、自分だけの世界(夫婦・家族の団らん。ペットとの生活)を楽しみます。そして、しばしば他の人々が彼らの領域に入り込み過ぎるとイライラし(携帯電話を持たない、フェイスブックなどでネットワーキングをしないなど)、それを克服するために悩みます(笑)』
となります。

実はここ最近、
「移住して10年近くになるのに、ボランティア仲間やクライアントはいても、友だちと呼べる人がNZに1人もいないというのは、やっぱりまずいんじゃないかな〜?」
と、自分の正直な気持ちを置き去りにして世間に迎合した無責任な考えを抱いていました。しかし、このタイミングで「スピリチュアル・ノート」を読み返し、自分の人生のテーマを思い起こし、「全ては予定どおり順調に行っている」ということを確認できたのは幸いでした。これからも軌道を外れないよう、しっかりと今世のテーマを生きてみます。

(つづく)

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「マヨネーズ」

友だちが大勢いることや、人に囲まれていることに価値を見出す人は、
「みんなで飲みに行って楽しかった」
「数家族で旅行に行って盛り上がった」
と楽しそうに話し、中にはこちらの反応を注意深くうかがう人もいます。
「一緒に行きたかった」
「なんで誘ってくれなかったの?」
と答えれば、彼らの満足度はさらに高まるのかもしれませんが、私の言葉は、
「それはよかったわね!」
と本人が楽しんだことを賞賛するばかり。

aloneness を愉しむ人には誘いを断ることが悩みの種の一つなので、
「声を掛けられなくて良かったー!」
と心の中で思っていることなど、想像もつかないことでしょう。人それぞれ。

西蘭みこと 

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