「西蘭花通信」Vol.0661  スピリチュアル編 〜50代の宿題5:学習〜           2014年2月7日

前回、〜50代の宿題4:記憶〜の中で、「生まれて最初の記憶が母に褒められるものであったことは、その後の人生を考えると非常に皮肉ながら、幸いでした」と記したように、それ以降の記憶のかなりが母に怒られるものでした。鮮明に覚えているのが、何かをしでかしてしまった私が、仕置きとして母からトイレに閉じ込められた時のものです。すでに1人で用を足せた年齢だったはずなので、2、3歳のことだったと思います。

1960年代のトイレですから水洗ではなく、和式便座の真ん中がパックリと口を開けたものでした。狭い空間に1人閉じ込められた私は、パックリ開いた口から中に落ちてしまうのではないかという恐怖で、泣きに泣いていました。しかし、母が来る気配はありません。じきに泣き止むと、疲れてうっかり寝てしまわないよう、トイレに落ちないよう、私はドアと壁の角にぴったりと背中を付け、便座を睨みながら膝を抱えて縮こもっていました。

閉じ込めは何度も続き、今でも記憶にあるのがある特定の1回のことなのか、繰り返されたことが一連の思い出としてつながっているのかはっきりしませんが、多分後者だと思われます。初めて閉じ込められた時は恐怖と驚愕で気も狂わんばかりにドアを叩き、泣き続けていたように思います。

同じことが繰り返されるうち、子どもながらに学習していきました。まず、「トイレは恐ろしい場所ではない」ということに気付きました。用を足しに自分からやってくる場所で、「怖いのは閉じ込められていることであって、トイレではない」と自分を落ち着かせることに成功しました。スリッパの頭のような金隠しの向こうには、床の高さに小さな横長の窓がありました。高さが10cmあるかないかで、いくら子どもでも通れる大きさではありません。それでも手脚を順番に外に出してみては、出られないことを確認しました。

冷静になればなるほど緊張が解け、恐怖が薄らいできました。そして、「時間が経てば出してもらえる」ということも学びました。時計も読めない頃だったので、どれぐらい閉じ込められていたのかはわかりませんが、いつかは足音がして、外鍵が開けられる音がし、怖い顔をした母がドアを開けました。
「わかったの?ごめんなさいは?」
とでも言われたのかもしれませんが、その辺の記憶はなく、解放されてほっとしたのだけを覚えています。

そのうち私は閉じ込められても泣かなくなりました。小さな窓を開けて横長の空間から庭の草木を見ながら時間を潰すことを覚えました。狭い視界を蝶でも横切っていけば、子どもながらに「やったー!」と思いました。さすがに「トイレに落ちてはいけない」という緊張感で寝てしまうことはなかったものの、うとうとしそうなるほど長い長い時間を、静かに過ごすことができるようになりました。

私が怖がらなくなったせいか、母は私を閉じ込める場所を押入れの上段に変えました。これも妹が生まれる前の、3歳ぐらいまでのことだったように思います。大変な剣幕の母に抱き上げられ、布団が詰まった上段に押し込められ、ぴしゃりと襖が閉まると中は真っ暗で、再び私は大声で泣きました。そこは小さな子にとって十分に恐ろしい高さで、襖は紙でできているも同然だということもわかっていたので、動いて襖が破れたら下に落ちてしまうのではないかという新たな恐怖に見舞われ、今度は押入れの奥で縮こまっていました。

同じことが繰り返されるうち、ここでも私は冷静さを取り戻し、学習していきました。明るい部屋から閉じ込められた直後は真っ暗になるのが怖かったものの、よくよく見れば襖と桟の隙間から明かりが漏れています。指を入れて襖を開けられるほどの隙間も力もなかったものの、差し込んでくる明るさは私を落ち着かせるに十分でした。しかも、ふかふかの布団の上。私は泣き疲れるとそのまま眠ってしまうようになりました。

こんなことが何度あったのかはわかりませんが、
「閉じ込められる!」
という、身体が強張るような緊張、閉じ込められた直後の恐怖。一泣きして落ち着いてからの2歳なら2歳の、3歳なら3歳の知恵を絞っての対応。覚えているのはそれだけで、自分が何をしたのか、母が何を怒っていたのかは全く思い出せません。自分自身が親となり、2人の子を育てた経験から言えば、これぐらいの年齢の子にあれほどの緊張と恐怖を伴う仕置きを正当化できるほどの「悪意」は存在しません。善悪の判断がつかないまま、好奇心の赴くままにしたことが「悪」と判断されていたとしか思えないのです。

悪いことをしたという自覚がないまま、突然一方的に閉じ込められるため、混乱し、恐怖が増幅していたのでしょう。動揺の内に一連の仕置きが終わるため、何がいけなかったのかよくわからないまま同じようなことが繰り返され、母には手に負えない、より厳しい躾が必要な娘に思えたのだと思います。母の怒りは私がこの年になっても収まらず、帰国するたびに続いています。私は生涯、母以外の人からほとんど怒られたことがありません。

(不定期でつづく)

=========================================================================== 「マヨネーズ」

今日で52歳になりました。誕生日が同じ長男・温も日本で20歳になりました。子どもが無事成人したことは親として感無量です。夫と一緒にお気に入りのレストランでゆっくりランチをしてきましたが、話題はもっぱら息子たちのことでした。
(長男は岐阜のスキー場でスノボをしながらの誕生日。今夜はみんなでコンビニ食らしいです→)

これからどんな人生を歩んでいくのか。いろいろなことに挑戦し、逞しく、大らかに、私たち両親のように自分の道を自分の力で切り開いていってほしいと思っています。

「人生に地図はない」――息子たちに贈りたい言葉です。

西蘭みこと 

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