「西蘭花通信」Vol.0667  スピリチュアル編 〜良き日、良き人生〜           2014年2月22日

今から3年半前の2010年の冬のことでした。1人で仕事部屋から外を見ていた時、なぜか急に、
「私がいなくても、もう子どもたちは大丈夫。」
という思いがけない想いに囚われ、涙が止まらなくなりました。なぜそんなことを思いついたのかはわかりませんが、このようにふと、どこからともなく舞い降りてくる自分が思いつきもしないような閃きは、すべて天からの啓示なのだと思っています。

涙が流れたのは、その時まで1度たりとも考えたことのなかった想いにもかかわらず、瞬間に「それは真実」とわかったからです。「私がいなくても」ということを受け入れるのであれば、自分の命を覚悟したも同然です。長男・温はそのとき16歳でした。その年の1月に、急に「日本の高校に行きたい」と青天の霹靂のようなことを言い出し、2週間後には母子で帰国し、ぶっつけ本番で受験に臨み、撃沈という苦い経験をしていました。(あの時の話は〜ブルースプリング・レポートVol.9:15歳の決心〜でどうぞ) 

しかし、すでにNZで高校1年を終えていたため、すぐに目標を日本の大学に切り替え、半年を経過したその頃は、第一志望の名古屋大学を目指してまい進していました。
「温は高校受験の失敗でエンジンがかかり、何がなんでも日本の大学に入るだろう。そして、自分の足でしっかり歩んでいくだろう。」
そう思うとさらに涙が流れました。

次男・善はそのとき13歳で、母と兄が高校受験で日本の冬を駆けずり回っているうちに、セカンダリースクールと呼ばれる中高一貫校の1年生になっていました。
「善は次男だけあって慎重でしっかりしているから、まだ小さいけれど大丈夫だろう。つい温にかかりきりになって、あまりかまってあげられなかったのはかわいそうだった。」
と、死の宣告でも受けたかのように心の清算をし始め、熱い熱い涙が止まらなくなってしまいました。

この不思議な体験をこれ以上どう説明したらいいのかわかりませんが、すべては突然でありながら、私はその全てを受け入れていました。そして思ったのは、
「人生なんて、こんなものなのか。なんてあっけないものなんだろう。」
ということでした。子育てが終わったも同然のタイミング。ここからは子どもたちが自力で人生を切り開いていくのを特等席で見せてもらいつつ、十数年ぶりに夫と2人の時間が戻ってくる、という矢先でした。
「人生が子育てだけで終わってしまうのか。」
と思いつつも、それを受け入れていました。

それから数日経ったある夜のことでした。夕食を終えて夫と子どもがダイニングテーブルを囲んで楽しそうに話をしていました。私はすぐ横のキッチンで後片付けをしながら、聞くともなしに3人の話を聞いていました。あまりの大笑いに、善が身をよじって笑いこけています。その時でした。また何とも言えない不思議な想いに包まれました。
「そうか、私がいなくなってもこんな風に3人で楽しくやっていけるのか。」
という、これまた思いもかけないものでした。

目にしている光景の中に、当然ながら私はいません。3人の楽しそうな姿は「私がいなくても大丈夫」という、先日の降って湧いた想いを確信させるような眺めでした。再び涙が流れ始めました。「それは真実」と理解した反面、あまりにも短い自分の人生が哀しくもありました。
「もっと生きていたい。もっともっと家族との時間がほしい。」
私は心からそう思いながら、黙ってキッチンを離れました。

あの不思議な体験を経て、私の人生観はガラリと変わりました。明日とは今日を生き抜いた者だけが迎えられるものなのだ、という当たり前のことを心から悟り、今日を、今を生きることに全力投球するようになりました。「今を楽しむ」といういう言葉はその意味するところを本当に理解していなければ、使い古された安っぽい宣伝文句のようなものですが、いったんその意味を理解するや、まるで魂を持ったかのように私の中に棲みつきました。

その半年後の2月22日にクライストチャーチ地震が起き、185名の貴い命が失われました。今日であれから丸3年が経ちました。その後1ヶ月もしないうちに、今度は東日本大震災が起きてしまいました。人生であれほど生死を見つめた日々はありませんでした。その中で思いを新たにしたのが、
「無念のうちにこの世を去った人々への最大の弔いは彼らの死を忘れないこと。そして残された自分たちが精一杯生きること」
でした。

どんなに当たり前に思えても、明日が必ず来る保証はありません。不幸が不意に起きる確率は限りなく低くても、世の中には必ず今日が人生の最後の日になる人たちがいるのです。そして今日という日も2度とありません。365日の「今日」が1年となり、さらに何千、何万という「今日」が積み重なったものが人生です。「良き人生」はある日突然、宝くじにでも当たるようにやってくるのではなく、「良き日」の積み重ねなのです。今日という日が良き日になるかどうかは、心がけ次第なのだと思います。この日に寄せて、命あることに感謝しつつ、これからも1日1日を精一杯生きていきたいと思います。

=========================================================================== 「マヨネーズ」

3年半前の不思議な体験には後日談があり、ブログ「さいらん日和」の方にチラリと書いています。あまりにも衝撃的でその余韻に浸っているうちに記憶が薄れ、もっと書き残していなかったのは残念です。3日3晩続いた「夢」では括れない出来事でした。

クライストチャーチには2012年暮れに行き、震災の傷跡と復興の槌音の両方を見聞してきましたが、定期的に訪れては変り行く街を散策してみたいものです。

犠牲者のご冥福をお祈りいたします。

(クライストチャーチの185名の犠牲者を哀悼する185脚の白い椅子→
185という数のリアリティーと、2つとして同じ椅子がない人生のリアリティーに圧倒され、失ったものの重さが深く心に刻まれる場所でした)


西蘭みこと 

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