「西蘭花通信」Vol.0687  スピリチュアル編 〜子どもがほしかったらヒルトンに行け:チンチンの神さま〜   2014年5月30日

「せっかく採用していただいたのに、実は妊娠していました。ずっと子どもができなかったので、まさかこんなことになっているとは、自分でも気がつきませんでした。」
新米の私は日本人上司2人を前に正直に話しました。まだ試用期間の身、雇用者側は理由を明らかにしないまま解雇できる強い立場にある以上、
「表立って妊娠を理由にはしなくとも、このままクビだろうなー。」
と、軽く首を洗って臨んでいました。

2人は黙って話を聞き、顔を合わせ、そことなくアイコンタクトをすると、
「いやー、おめでとう!正直言って履歴書を見せてもらったとき、結婚してるのに子どもがいないから、ほしくないのか、ほしいんだったら、こう言ってはなんだけど、ちょっとおトシだよな、って思ってたんですよ。やっぱり、ほしかったんですね。だったら嬉しいでしょう?これから大変でしょうが、がんばって下さい。親になるっていうのはいいもんです。ねっ?」
と、2人で顔を見合わせつつ、うんうんうなずきながら感動の面持ちです。

まるでドラマ「北の国から」にでも出てきそうな、実社会ではまずお目にかからないような、善人2人。私のギアは解雇覚悟というリバースから、目が点になるようなコメントでニュートラルに、その後の感動と感謝で一気にトップギアになりました。
「ありがとうございます。がんばります。」
簡単な返事の中には、強い思いが込められていました。
「ここで仕事も母親業もがんばろう!」
心の底から思いました。

幸いつわりというものが全くなかった私は、妊娠したからといって特に変ったこともありませんでした。よくよく目を凝らすと同僚の中にも何人か大きなお腹をした人がおり、
「私にとっては一生に何回あるかわからない一大事でも、企業活動の中ではどうってことない事なんだなぁ。」
と妊婦としての自分の立ち位置が理解でき、あっという間に新しい職場でのバタバタした毎日に埋没していきました。

「ちょっと、みこと。あんた妊娠したでしょ?」
ディーリングルーム独特の長いボードに受話器がいくつもついた電話のライトが点滅したので出てみると、バンコクの彼女でした。その頃はまだ新米すぎ、さすがにタイ株の取引にはOKが出ていなかったので、シンガポール時代のように毎朝彼女と話す状態にはありませんでした。採用された後に挨拶の電話を入れ、ときどきブルームバーグでチャットをしているぐらいだったので、突然の電話、しかも唐突な一言に咄嗟に声も出ませんでした。

「どうしてわかったの?」
「やっぱりそうなのね。今朝、夢を見たのよ。夢の中で男の赤ちゃんが私の方を見て、『マミー、マミー』って泣いててびっくりしたわ。私は子どもが嫌いなのよ。夢だとわかって、『みことが妊娠して、あの子はみことの子なんだ』って、すぐにわかったわ。ちゃんとお礼参りに行くのよ!」
用件だけ言うと、特に「おめでとう」とも言われないまま、電話が切れました。「半年以内に妊娠するから」と言い切っていた彼女には不思議でも驚きでもない、当然のことだったのでしょう。私は「男の赤ちゃん」というところに、深い真実を嗅ぎつけていました。

秋になり、どう見ても妊婦という体型になっていました。今度は夫が転職することになり、新しい仕事が始まるまでの間に駐在していたシンガポールとバンコクを回って元同僚に挨拶することになり、私も一緒に行くことにしました。目的はもちろん、バンコクでのお礼参りです。お供えは途中で買った花にしました。駐在経験があっても、夫は廟のことを知らず、初めて見た柱のように林立する赤い男性器に大笑いでした。

翌年1994年2月、予定より1ヶ月早く長男・温(20歳)が帝王切開で無事生まれました。半信半疑、半ば冗談だった最初のお参りから11ヶ月目のことでした。温が2歳直前だった1995年の年末年始はタイのリゾート地ホアヒンで過ごし、その時は家族3人で廟にお参りしました。その際に、
「ぜひ2人目も!」
とお願いしてみました。

3月に再び妊娠発覚。もう自由自在です(笑) 結婚当初の妊娠できなかった2年間はなんだったのでしょう?しかし、無念ながら4月に流産。「霊験もこれまでか?」と思った矢先、再び妊娠し、翌1997年3月に次男・善(17歳)を予定より1ヶ月早く帝王切開で出産。次男のときも、お参りから流産を経ても半年以内に妊娠していたようです。

その後、2001年にチェンマイの知人を訪ねた時にバンコクに立ち寄り、家族4人で廟にお参りしました。子どもたちは自分より大きなチンチンがズラリと並ぶ光景に大笑い。廟の由来を子どもでもわかるように説明し、
「ママがここでお参りしたら温クンが生まれて、またお参りしたら善クンが生まれたのよ。」
と言うと、2人とも、
「えぇぇぇえ!」
と照れながら、その辺のお供えをチラチラ盗み見ていました。廟の名前はその場で「チンチンの神さま」になりました。

                     (チンチンの神さまからの贈り物。バンコクにて→)

(完)



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「マヨネーズ」

バブル崩壊までのイケイケの日本では、
「商社マンは半径1m以内にいる人と社内結婚する」
と言われていたので、
「銀行はどうなんですか?」
と日本人の同僚に聞いたところ、
「5m。」
という返事でした。そのせいか、東京から派遣されていた駐在員は20代で結婚して親になっている人が多く、既婚なのに31歳で子どもがいない私が「ちょっとおトシ」に見えたのも、むべなるかな。

その銀行は当時、一般職の女性を海外駐在員として派遣する制度を開始したところで、行内に一期生が3人いました。全員見事に現地で結婚し誰も帰国せず、制度は1年で廃止になったそうです(笑)

西蘭みこと 

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