「西蘭花通信」Vol.0705 スピリチュアル編 〜50代の宿題7:惑星〜          2014年8月7日

狭い台所にいる見慣れぬ人を、私は居間に立ってじっと見ていました。そこにいたのは母ではなく、短髪のスラリと背が高い女性で、眼鏡を掛けていました。それが母の姉にあたる伯母であることを、3歳の私は知っていました。ほとんど会ったことがなかったか、幼くて覚えていなかったかで、少し距離を置いて遠巻きに見ていました。

伯母はベージュのスーツを着ていました。幼い私にはスーツ姿の女性が物珍しく、窓から差す夕陽に時折キラっと輝いて金色にも見える服がとても綺麗なものに見え、不思議な思いで眺めていました。伯母がどんな表情をしていたのかは思い出せないのに、細身のスーツのことは覚えています。

「みこちゃん、お醤油はどこかしら?」
不意に聞かれ、ドキっとしました。伯母がしゃがんで探していた場所は保存食品やプラッシー(お米屋さんが配達してきてくれるオレンジジュース)をしまう場所でした。私は流しの下の扉を開け、
「ここ。」
と言うと、
「あら、ここだったのね。ありがとう。偉いわね、ちゃんとお手伝いができて。」
と言われました。意外な返事に大いに驚き、私は目に力を込めて穴が開くほど伯母を見つめました。

母は妹の出産のため、家にいませんでした。伯母は父と私のために夕食を作りに来てくれたのです。同じ敷地内にある母屋には祖母が母の兄一家と暮らしていましたが、遠くに住んでいる伯母がわざわざ来てくれたということは、祖母も母に付き添って不在だったのでしょう。伯母は既婚でしたが子どもがなく、「お母さん」に見えない人でした。かといってとっつきにくいわけではなく、幼心にも「職業婦人」が格好良く見えました。

何よりも醤油の場所を教えたぐらいで褒められたことは、私にとって衝撃的でした。
「偉いわね」「お手伝いができて」――― 
「たったこれだけのことで褒められる?」
返された言葉の意味を訝りながらも、何度も何度もこの言葉を心の中で繰り返しました。繰り返せば繰り返すほど、嬉しさがこみ上げてきました。その時の私は伯母を見上げていました。言葉を交わし褒められたことで親しみを感じ、自然と居間から台所に来ていました。

その後のことは覚えていません。多分、伯母は父の帰りを待ち、一緒に食事をして帰っていったのでしょう。私は母の不在が不安ではなく、ただただ伯母の掛けてくれた言葉を反芻しては、心の奥に小さな火が灯るような温かさを感じていました。
「偉いわね」
「お手伝いができて」
「偉いわね」
「お手伝いができて」
「偉いわね」
「お手伝いができて」
「偉いわね」
「お手伝いができて」・・・・・・

この断片的な記憶をよすがに、おぼろげに蘇ってきた50年前の私は、子どもとは何も知らず、常に間違えるものだと思い込んでいたようです。母にたびたび怒られ、トイレや押入れに閉じ込められる仕置きからなんとか逃れようと、知らないなりにも間違えないよう、3歳児なりに真剣でした。子どもは怒られるのが当たり前で、よほどのことでもない限り褒められることなどないと信じ、そんなことはとうに忘れていました。疑心暗鬼の中、伯母の言葉を素直に受け止めるのに時間がかかってしまったのは、仕方ないことでした。

その後、伯母とその夫である今年88歳になる伯父は、私の人生の節目節目に現れては、今でもありありと思い出せる深い印象を残してまた遠のいていきました。私たちはほんの一瞬を共有し合うだけの、同じ星を別々の軌道で回っている惑星同士のようでした。「もっと会いたい」「もっと話したい」と何度も思ったものの、その時々の事情でかなわず、ひと時を共に過ごしてはすれ違っていきました。

伯父伯母は長年、男女差別や女性の地位向上、恵まれない社会的弱者となっている人たちの支援に深く関わり、より良い社会の実現に身を捧げてきました。
「この人たちに子どもが授からなかったのは、全身全霊を賭けて社会に貢献するためだったんだ」
ということが、子どもでも納得できるほど2人は寸暇を惜しんで奔走し、惜しみなく与える人たちでした。

そんな2人の何不自由なく育ったように見える姪が、言葉では言い表せない困難の中におり、まさに2人が支援しようとしてきた人たちとなんら変らないほど袋小路に追い詰められていたとは、なんという矛盾でしょう。しかしながら、私自身、自分が袋小路にいたことをこの歳になって初めて気づいたぐらいですから、他の誰が私の窮状に気づくことができたでしょう。

私はごくたまに会う2人に褒められ、励まされ、何よりも信じて認めてもらえることで、どれだけ慰められたことでしょう。その前向きな評価は両親から受けたものを遥かに凌ぎます。生涯を通じて私を認めてくれた身内は、この2人だけだったと言っても過言ではありません。3歳の時に伯母が灯してくれた小さな明かりは、進むべき道すら見えなかった暗い子ども時代の小さな小さな希望の光でした。

(不定期でつづく)

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「マヨネーズ」

2月7日生まれなので、今日で52歳も折り返しです。最近はすっかり50代の自分に慣れてきました。新しい靴が馴染んでくるように、50代が板についてきたのを感じます。40代までの怒涛の子育てを終え、20年ぶりに自分というものが帰ってきたのが、私にとっての50代でした。

(今や数少ない子どものためにしている事、毎朝のお弁当作り。これもあと2ヶ月ほどで終わります。袋は今年の日本行きの飛騨でのおみやげ→)

還暦までに終えようと思っているこの〜50代の宿題〜、まだまだ先は長いので、やり残しがないようにしっかり終えたいと思う反面、当時を振り返ることは今でも苦しい作業です。三つ子の魂は本当に百までですね。

西蘭みこと 

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