「西蘭花通信」Vol.0716 生活編 〜イングリッシュ・レッスン〜           2015年6月11日

「20年前に日本に住んでいた時、本当に安全なんで驚いたわ。NZだったら夜なんて怖くて歩けないけど、日本って歩けるじゃない?」
日本贔屓の友人ジェシーにとり、若くて青くて感度抜群だった頃に出会ったニッポンは、今でも甘い思い出として心のアルバムにひっそりと収まっているようです。彼女の真綿のような思い出を汚さぬよう、この手の話に及んだときには聞き手に徹するようにしています(笑)

「でも1回、いや2回かな?ちょっと怖い、嫌な思いをしたの。」
「へー。」
彼女は2年住んでいたので2回が多いのか少ないのか。さすがに興味を持って聞きました。
「1回は朝の混んだ電車に、ギリギリで乗り込んだときだったわ。」
と言いながら、彼女は駅員を真似て両手で人を押し込む仕草をしました。
「乗ってすぐに身体を触られてるってわかったの。初めてだったから驚いたし、どの男かもすぐわかったわ。」

「その後、何が起きたと思う?私の様子がヘンだってわかったんじゃない?すぐ隣にいたOBASANが、『アンタ、ガイジンさんにナニやってんのよー!!!』って男に怒鳴ったの。」
「で、どうなったの?」
「触るのがピタっと止まって、電車中がシーーーーーーンとなったわ!スゴいわよ、OBASAN!!」
次の駅まで電車は静まり返ったままだったそうで、これには大笑い。

私もかつて「ナニやってんのよー!!!」の一言で、大学生だか浪人生だかの若い男が次の駅でそそくさと降りて行った経験がありました。朝のラッシュをもしのぐほど混み合った中、私はドアから離れた中の方に立っていたので、彼はその駅で降りるつもりではなかったと思います。そのつもりなら、もっとドアの近くに移動していたはずです。電車は東海道線の終電。とんでもない駅で降りてしまい、さぞや痛い思いをしたことでしょう。

「もう1回は夜、仕事が終わって駅から家まで歩いている時だったの。すぐ隣にクルマが寄ってきて、カーリーヘアー(多分、パンチパーマ)の男が窓越しに何か言うのよ。しかも、マスターベーションしながら運転してるのよ!"ルック・アット・マイ・ビッグ・ディック!"とか言ってたんでしょうけど、日本語はわからないし、見えないし(笑)で笑い飛ばしたんだけど、それでも着いてきて、とうとう家の前まで来ちゃったの!」

「えー!!家を知られるってやばくない?」
と思ったら、
「同じ敷地内に大家さんが住んでいたから、『山田サン、タダイマ。タスケテー』って叫んだの。そうしたら山田サンが飛び出してきて、『アンタ、ガイジンさんにナニやってんのよー!!!』って怒鳴って、男は猛スピードで逃げていったの。ホントにスゴいわ、OBASAN!!」
「Well done, Japanese OBASANs!」(でかした!日本のオバサン)
「でしょ?でしょ?でしょ?」

20年前の日本の地方都市。どうしても目立ってしまう金髪の若い白人女性にちょっかいを出す姑息な男たちを、そこらのOBASANが蹴散らしたという事実に、ジェシーは深く感動していました。
「日本にはbenevolence(ベネボレンス)がある!」
と。さらに彼女が注目したのが、どうしようもない男どもが、OBASANの一喝で尻尾を巻いて逃げていったことです。彼女はそこに、年配者への尊厳と女性だからといって見下さない社会(そうだっけ?)を見出し、腕力だったら到底かなわないOBASANのKO勝ちに、今にも続く感動を覚えたようです。
  (今はこんなことになっていると知ったら、なんと言うかしら?→)

なかなかいい話ですが、私は私でこういう状況での、benevolence(徳や善行)、righteousness(義や公正)、compassion(慈善や思いやり)といったニュアンスの違いがはっきりわからず、意味がわかっても自分で使い分けができない認識の甘さにガックリ。ジェシーはジェシーで、思い出すたびに遠く懐かしくなっていく思い出の甘さにホッコリ。これで話が合っているというのか、いえないのか?

ともあれ、これが私たちのイングリッシュ・レッスンです。テキストもなく、メモ用の廃紙とペンを挟んでの女同士の気軽なおしゃべり。お互い海外経験も長く、あちこちさすらってきたジプシーで話題は尽きません。
「インドには『象の語学学校』があるの。北インドから売られてきた象は南インドの方言がわからないから、しばらく学校に通って、「お座り」とか「止まれ」とかの指示を勉強するの。象は頭がいいからちゃんとコマンドを聞き分けているのよ。」
という話にはびっくりさせられました。

こっちはこっちで知識階級として中国の文化大革命で迫害され、命からがら香港に逃亡してきた友人一家の話をし、
「下放運動って英語でなんて言うんだろう?」
と思いつつも、
「一度地方に送られて強制労働させられた海外帰りの大学教授なんて、まず生きて帰って来れなかったのよ。」
と言うと、若いジェシーもわかってくれました。こんな話題ばかりでは、日常会話が上達するまでには相当時間がかかりそうです。六十頃には英語が自由自在になっているのを目指し、ジャパニーズOBASANの五十の手習い、ぼちぼちがんばっています。

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「マヨネーズ」

調べてみたら下放運動の英訳はsent-down movementでした。中国事情に詳しい人ならxiafang(下放) movementでも通じるのでしょう。guanxi(グワンシ:関係、コネ)同様に英語化した中国語のようです。

思えば25年も直接間接に金融や政治の翻訳業務を仕事の一部としていたのに、すっかり辞めてしまった今になってイングリッシュ・レッスン(笑) これって工事現場でクレーンなら操作できるけど、普通乗用車では公道に出られないみたいな話。ドボジョか私は?

西蘭みこと 

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