「西蘭花通信」Vol.0718 生活編 〜サヨナラ  ベトナムの娘たち〜          2015年8月14日

Dear Mikotoでごく普通に始まった香港からのメールは、意外な内容を伝えるものでした。

過去2年間にわたる、トラン・ティ・ロアンへの支援にお礼申し上げます。ベトナム・オフィスからの連絡によると、ロアンは現時点で仕事に就くことを決めました。スタッフが彼女に会い、勉学を続けるよう勧めてみましたが、決心は固いようです。仕事をして自立したいという彼女の決断を尊重し、彼女への支援は2015年5月末をもって終了しました。

支援はロアン一家の大変な時期に大きな助けとなり、彼女が基本的な教育を受けられる一助になったと、我々は確信しています。CNCFを通じたロアン一家への支援にお礼申し上げます。なお、支援を他の子どもに移行させることをご希望の場合はぜひご連絡ください。

CNCFとはクリスティーナ・ノーブル子供基金(Christina Noble Children's Foundation)の略称で、ベトナムとモンゴルのストリート・チルドレンや、家や親があっても極度の貧困にある子どもたちへの支援団体です。私が彼らの存在を知ったのは、香港で暮らしていた十数年前のことでした。

基金の設立者であるママ・ティナの愛称で親しまれるクリスティーナ・ノーブル氏は、第二次大戦末期にアイルランドで生まれ、貧困、暴力、病、飢え、母親との死別、一家離散という信じがたいほど過酷な環境の中で育ちます。母親の死亡できょうだい別々の孤児院に収容され、「きょうだいはみな死んだ」と告げられます。その後孤児院を脱走し、公園に穴を掘って野良犬のように眠るストリート・チルドレンとして過ごしました。

成長しても矯正施設への収容、輪姦による妊娠と生まれた子どもとの生き別れという、想像を超える苦しみを経て結婚。やっとつかんだはずの家庭も貧困と家庭内暴力で崩壊していきます。そんな中で見た、縁もゆかりもなかったベトナムという国の啓示的な夢を信じ、子どもが成長するまで20年近く待ち続け、とうとうベトナムに降り立ちます。そして今に至る子供の貧困の根絶に向けての活動に、たった1人で立ち上がったのです。

2002年に移住の下見で再訪したNZのオークランド空港で、彼女の著書2冊(「Bridge Across My Sorrows」と「Mama Tina」)を買い求め、基金への支援を始めました。その時点でママ・ティナが活動を始めてから10年以上が経過していた上、ベトナムの経済発展もあり、ストリート・チルドレンはかなり減少していました。しかし、親がいても貧困の度合いは凄まじく、犬小屋を一回り大きくしたようなトタンで囲われたような場所に一家が暮らしていることはごく普通のようでした。

私はCNCFを通じて確か10歳だったトランという、母子家庭に育つ女の子の里親になりました。支援先としては小さい子どもほど人気があるそうで、赤ちゃんには里親がどんどん名乗りを上げるのに、本当に学業が必要な大きな子にはなかなか支援がつかないと聞き、喜んで10歳の子を里子に向かえました。と言っても私がするのは1年分の支援金を毎年1回基金に振り込むだけです。現地のスタッフが実際の面倒を見、香港のスタッフがトランからの手紙や写真を送ってくれ、健康状態や学業成績を知らせてくれました。
(17歳直前のときのトラン→)

支援は丸10年続き、彼女が専門学校を卒業したところで終了しました。卒業後はホスピタリティー関連の仕事に就くことを希望していたので、比較的景気のいい時期だったこともあり、就職して順調にやっていることでしょう。苦手な英語で毎年手紙をくれたものです。

その後はロアンという、次男と同い年の女の子の里親になりました。「大学は無理でもせめて専門学校を出てほしい」と基金も私も望んでいたのですが、メールで知らされたように彼女は学業途中で働き始め、今はレストランで日給5米ドルで働いています。学業に戻らない意思は固いようで、私も彼女の決心を尊重したいと思います。

12年間続いたベトナムへの支援が、まるで子育てが終了するかのようにスーっと終わっていきました。このまま里子を変えて、さらに支援を必要としているモンゴルの子どもたちへと移っていくこともできるのですが、今回はいったんここで仕切り直すことにしました。なぜだかわからないものの漠然と潮時を感じました。

いつかこの分のわずかな余力を傾けるべき何かに出会うのではないか、と思っています。もしも出会うことがなければ、再びCNCFのドアを叩けばいいだけです。香港オフィスは喜んで迎えてくれることでしょう。香港でずっと担当してくれている十年選手のボランティアたちも、腰の据わった貴重なライフワークを続けています。

ママ・ティナが説くように、「どんな子供も愛され、祝福されるべき」だと信じています。例えそれが自分の親からは叶わなかったとしても、他人から愛され、祝福されることは可能なのだということを、支援を通じて里子たちが理解してくれたら本望です。そして彼女たちが大人になったときに、自分の子であれ他人の子であれ子どもを愛し、祝福するということ自体が僥倖なのだと気づいてくれたらと願っています。

1度も会うことのなかった遠い遠いベトナムの娘たち、さようなら、そしてありがとう。どうかそれぞれ元気で幸せに。

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「マヨネーズ」

ママ・ティナの件は11年前にも書いていました。〜5月12日 ママ・ティナ編〜
彼女の偉大な生涯は映画「ノーブル」にもなっています。まさに生き神です。

西蘭みこと 

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