「西蘭花通信」Vol.0743  経済編  〜あれから10年〜       2018年9月16日

『いやぁ〜、すんごーい1日でした〜! 仕事もろくに手につかないまま、新聞やネットのニュースを読み、為替や株価チャートを見、なんだかんだと1日が終わってしまいました。温にも経済面の一面を全部読ませました。歴史的な事になるかもしれませんからね〜。』 とブログに記したのは10年前の今日、2008年9月16日。日本では「リーマンショック」という和製英語で定着することになった、米名門投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破たんが起きた日でした。

歴史上15日とされる出来事は、NZでは時差の関係で16日となり、「歴史的な事になる」と直感できるほど、金融市場は荒れに荒れました。経済面の一面を全部読んだ当時の長男・温は14歳でした。漢字のない英語の便利さで、その年齢であれば新聞記事でも十分に理解でき、経済や政治の話が絶えない我が家では、子どもたちなりに「為替」だの「金利」だの「格付け」だのがどういうものなのか、メカニズムとして理解していたと思います。

興味深いのは「リーマンショック」という名称です。英語のように聞こえますが、実際の英語での会話ではまず通じないでしょう。「リーマン・ブラザーズ・ショック」とでも言えば、なんのことかはわかってもらえるでしょうが、英語では通常、GFC(Global Financial Crisis、世界金融危機)といいます。GFCはリーマンの破たんだけでなく、2007年からのサブプライム問題やその後の欧州債務危機までを含めた一連の世界的経済危機を指すことが多く、話の脈略によってはリーマンショックそのものを指すこともあります。

サブプライム問題とは、アメリカでサブプライムローンと呼ばれた信用力の低い人々への住宅ローンを証券化した不動産担保証券、いわゆるローン証券の問題です。証券化の妙味による利益追求のあまり、銀行など金融機関が返済能力のない人々にまで融資を行った結果、サブプライムローン証券そのものが崩壊してしまったことを指します。2007年に問題が表面化したとき、世界中の人々が、金融関係者でさえ「サブプライム」という聞き慣れない言葉に戸惑い、慌ててググったことでしょう。私ももちろんそうでした。「サブプライムローンとは」というメディアの解説を何度目にしたことでしょう。

証券化は銀行にとって甘い蜜のようなもので、そのための過剰融資ぶりは1回目の返済からつまずいてしまう借り手が続出するほどだったといわれました。アメリカの住宅相場は2006年にピークアウトしており、融資の焦げ付きで金融機関が差し押さえた住宅を売却しても損失が出てしまい、不良債権が雪だるま式に増えていきました。こうした中、リーマンは負債総額6,000億ドル(当時の為替で63兆円)を抱えて破たんし、アメリカ史上最大の企業倒産となり、今でもその記録は破られていません。

欧州の金融機関は、崩壊するまで高格付けを誇
ったサブプライムローン証券にこぞって投資していたため、問題はたちまち欧州にも飛び火しました。しかし、日本はこうした証券化商品への投資に出遅れていたことが幸いし、金融機関の痛手が限られたため、当事者意識が薄かったのではないでしょうか。ゆえに歴史的な金融危機の出発点が、欧米で認識されている2007年ではなくリーマンが破たんした2008年にズレ込み、「リーマンショック」という名称が定着したのではないかと個人的には勘ぐっています。

豪銀にほぼ丸投げのNZの金融業界にも、サブプライムのサの字もありませんでした。しかし、NZ自体が加熱した住宅ブームのただなかにあり、「午前中に買って午後に売る」というような話がまことしやかに語られていた時期でした。その上、NZもオーストラリアも国内の旺盛な資金需要の相当部分を海外での調達に頼っていたため、海外での信用収縮は調達金利の上昇として即座に顕在化し、資産バブルという上昇気流に乗って大変な高度にあった景気はきりもみ状態の緊急着陸を余儀なくされました。

住宅価格が下がるとみた気の早い私は、「条件さえ合えば」と投資物件の購入を検討し始め、2007年12月初旬には目に止まった物件の下見に行き、オファーまで入れていました。リーマンショックが起きる10ヵ月も前のことでした(爆)リーマンショック後の大幅利下げを考えると、あの時のオファーが受け入れられず購入できなかったのは運が良かったのか、現在の価格がオファーの3倍以上になっているので、運が悪かったのか。いずれにせよご縁はありませんでした。当時のことはメルマガにしていたので、よろしかったらご覧ください。
〜眺めのいい部屋〜 
〜眺めのいい部屋U〜

(その後、長男が「日本の高校に行きたい」と言い出し投資どころではなくなり、2012年に高校ではなく国立大学への進学が決まってやっと投資物件取得。私立に行っていたら、もっと後回しだったことでしょう→)

さすがに10年も前なので詳しい事は覚えていませんが、当時の私はその後の経済や社会、果ては世界がどうなっていく可能性があるのかを、子どもたちが理解できるよう、できるだけ細かくわかりやすく説明し続けました。人生に幾度とはない経済危機というものを、少しでも鮮明に記憶し、金融システムがマヒしたときにどういうことが起き、誰が、どこで、どんな影響を被るのかを報道を通して見聞し、子どもたちなりに「経済危機の防災マニュアル」が確立できるようになってほしいと願っていました。その思いが少しは通じたかどうかは、いつか来るべき新たな危機の中で明らかになるかもしれません。

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「マヨネーズ」
メディアがこぞって取り上げる、リーマンショックの10周年。そう何回もある経験ではないので、自分なりに振り返ってみました。10年の節目で再び危機?!というのはよく言われることですが、「警戒を強めているときに限って危機は起きない」と思うのですが、どうでしょう?後ズレすればするほど、とんでもないことになる(汗)???

西蘭みこと 

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