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Vol.0035 「生活編」 〜十年彗星・ネコはかすがい〜

どうも10年に一度、とんでもない贈り物をしてくれそうな女友人がいます。まるで"その時"になると天空を通り過ぎながら、パラシュートにつけた飛びきりの贈り物を空の彼方から落とし、長い尾を引きながらまたどこかへ行ってしまう彗星のようです。普段はどこで何をしているのか・・・。一応、メールか(それもここ数年の話ですが)、いざとなったら電話でも連絡を取る方法はあるのに、日常生活ではお互いほとんど没交渉です。しかし、ある時、ふと高い高い空の雲間から降ってくる私の人生に極めて大切な贈り物・・・。

10年前初めて授かった物はネコでした。今では私たちのかけがえのない家族、子供たちにとっては兄貴でもある、二匹のシンガポール生まれのネコは彼女からの贈り物でした。「会社の敷地内に住んでいるネコが管理人室で子供を産んだの。とにかく、可愛いから見に来て。」そんな電話をもらい、二人ともネコ好きの私たち夫婦は軽い気持ちで出かけていきました。まさか自分たちが飼うことになるなど全く想定していませんでしたから、もちろん手ぶらで・・・。

しかし、見たとたんにもうメロメロ。毛皮をまとったもぞもぞと動く四匹の生まれたてのネコたちはミーミー泣きながら、私たちの掌で指をかじって見せたり、後ろ足で頭をかこうとしながら上手くいかずにコケたり、もう可愛さ全開。夫とかわるがわる掌に乗せて、「かわい〜い、かわい〜い、かわい〜〜い!」とさんざんいじくり回しました。

「一匹じゃ可哀想だから、二匹にした方がいいわよ。二人が昼間いなくても寂しくないでしょう。ウチの二匹もネコ同士で楽しくやってるみたいだから」「世話はとってもカンタン。ネコはきれい好きだからトイレのトレーニングもとってもラク。場所さえ決めておけばもうバッチリ」「餌だって昼間はドライのキャットフードとお水をたくさんあげておけばいいし、夜は缶詰のキャットフードあげたり、好物を手作りしてあげてもいいわね」「爪も研ぐ場所を決めておけば家具とかは大丈夫」云々。友人はまるでこちらの脳裏をかすめる不安が読めるように、一つずつ不安の種を潰していきます。安っぽいセールストークのように畳み掛けるのではなく、優雅に知的に私たちを絡め取っていく魔法のお言葉。

「どれにしよう?」まんまとそれに乗った私たち。問題はとっくに飼うか飼わないかではなく、どのネコにするかにすり替わっていました。「コレとコレにしよう!」最終的に選んだのは二人が気に入ったトラ猫と四匹のうち一番痩せっぽちで、頼りなくて最も引き取り先が見つからなさそうな白に茶のブチが入ったネコでした。「白いネコは大きくなるって言うから、元気に大きく育つわよ・・・」友人のご神託は私たちが段ボールを抱えて車に乗り込むまで続きました。

果たして、白猫ピッピ(夫命名、意味不明)とチャッチャ(私命名、茶色なので)は友人の予言通り、元気に、そして大きく育ちました。窓辺で昼寝する二匹を見たマンションのお隣さんに「お宅、二匹も犬がいるのね!」と言われたほどに・・・。特にピッピは痩せっぽちだった子ネコ時代の片鱗も忍ばせないほどの巨猫になってしまいました。今では好奇心のかけらもなくなり、窓辺に来たハトにガラス+網戸越しの絶対安全な場所から「アァァァァァ」と、ちょっと聞いてもよもやネコとは思われないような腹話術で妙な声を出し、本人たちはそれで十分威嚇し、番猫(?)としての務めを果たしたつもりで、後はひたすら、ひねもすのたりのたりかな状態。

「何かの役に立てよ〜」と、夫は昼寝三昧の二匹に不満を漏らし、誰も見ていないとろではこっそりシッポを踏んだり、突然抱き上げてネコが身をよじって耐えられなくなるほど撫で殺しにしたりと、最近では愛情表現も倒錯してきています。しかし、この二匹は間違いなく西蘭家の長男、次男で、「子はかすがい」の諺通り、「ネコのかすがい」として、その後香港で子供を授かり、たった二人で育て始めることになる私たちへ、忍耐と愛を教えてくれました。

あれから10年。ここ1、2年音信不通だった彗星から突然メールで交信がありました。そして私はまたまた、一生事となるであろう、とんでもない贈り物をしてもらうことになったのです。(つづく)

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「マヨネーズ」  先日大きな飲茶レストラン・チェーンが倒産しました。これで約2,000人が職を失ったそうです。返還以降の景気悪化でこれまでも有名無名の多数の店が潰れ、どこも夜逃げ同然、出勤してみたらもぬけの空、オーナーはとっくに中国や海外にトンズラ・・・などということが繰り返えされてきましたが、「飲茶まで・・・」と、さすがに今回は香港人への衝撃もひとしおのようです。「香港人が飲茶を食べなくなるなんて」とも思いますが、これには@包んで、蒸して、運んで・・・と、人件費がかかる上、基本的に朝昼ごはんで夜は食べない飲茶というものが、作る方にも食べる方に割高に感じられるものになってきた、Aちょっと足を伸ばせば中国の深?でかなり安く食べられる、B食生活の洋風化、個人化で、大勢で2〜3時間はのんびりするようなスタイルが廃れてきた、などいろいろな理由があるでしょう。しかし、景気の悪さが拍車をかけているのは間違いないようです。体育館のような広い場所を12人掛けの円卓が埋め尽くす中、店員やお客が右往左往している活気に満ちた独特の雰囲気は、香港の元気の素を見る思いでしたが、そんな姿が"経済効率"という味気も素っ気もない物の前で膝を屈していかざるを得なくなっているのです。

西蘭みこと