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Vol.0097 「NZ・生活編」 〜透明な絹〜

「すご〜い・・」、前を行く人のふくらはぎを見ながら心密かに感心していました。深夜だというのに、香港のチェクラプコック空港は中国正月の休暇から戻った人たちでごったがえしていましたが、前を行く人は間違いなくキウイでした。ショートパンツの下からのぞく右足のふくらはぎにはタイツでもはいたように見事なタットゥーが彫られ、左足は真っ白なままでそのコントラストがなんとも印象的でした。よく見ると、Tシャツからのぞく右腕にも同じ彫り物が・・。どうも右半身だけに精緻なタットゥーを"着込んで"いるようです。ここまでやる白人はキウイくらいなもので、私達と同じ便でやってきたのでしょう。

彼女と手をつないで歩く彼のすぐ後ろを、カートを押しながら出口へと向かっていました。多数の到着便で混雑する中、身の回りを人や荷物にぐるりと囲まれながら外に出かけると、いきなりキウイのカップルが立ち止まりました。もう少しで彼らの足にカートをぶつけてしまうところでしたが、ギリギリ5センチのところで止まりました。彼らは多分、初めてやってきた香港の空港で、出口を確認するために足を止め周りを見渡そうとしたのです。振り向いたとたん私達が真後におり、その後ろにもズラリと人が並んでいるのを見て、驚いた表情を浮かべながらも二人で苦笑して足早に出て行きました。

人口密度が異様に高く、しかもせっかちが多い香港では人でも車でも一定の流れがあり、それに乗って歩き、動かなければなりません。立ち止まることができず、歩きながら、携帯電話で話しながら、考え、判断していかなくてはならないのです。一台の車が右折しそこねて止まったりすれば、後ろから情け容赦なくクラクションを浴びせられます。それも1、2台にではなくもっとたくさんの車から。それはいかに流れを乱したかへの猛烈な叱責なのです。

しかし、空港を出たばかりのキウイにそんなことがわかろうはずがありません。立ち止まった彼らを見つめる多数の瞳に驚くのは当然です。もうじき日付が変わろうという深夜にみなが家路を急いでいても不思議はないのですが、ここで暮らし「時は金なり」が骨の髄まで染みついてしまうと、一刻でも人に無駄にされることがたまらなく嫌で、ややもすればその不満を顕わにしてしまうようになるようです。しかし、私達は本当に四六時中忙しいのでしょうか?他人への叱責を正当化できるほど急がなくてはいけないのでしょうか?

これは単に余裕のなさの裏返しです。時間にも気持ちにも生活そのものにも、ゆとりがないことの投影なのです。ゆとりは金銭や物に代表される豊かさとは別物で、往々に反比例するかもしれません。欲が先行すれば自分にも他人にも余裕をもって接する時間や機会が減っていくことでしょう。慌てて遠ざかっていく彼らの後ろ姿を見ながら、私達が追いたてているのは"とろい誰か"ではなく"切羽詰まった自分"なのではないかと思いました。

ほんの11時間前までそこにいたニュージーランドには圧倒的なゆとりがありました。物質的な豊かさはほどほどかもしれませんが(私には十分ですが)、ゆとりが人にも町にも溢れています。それは暮らしている人には見えない空気のようなものかもしれません。しかし、香港のようなところから行った身には何層にもなった透明なゆとりの薄絹が見えるのです。嘘だと思ったら街角のカフェにしばらく座って辺りを見渡して下さい。

例えばこんな光景。交差点で地図を広げていたアジア人の学生風の女性に、背の高いキウイのビジネスマンが話しかけています。声は聞こえなくても「May I help you?」とか何とか言っているのでしょう。すぐに二人は一定方向を見ながら指を差し合い、建物か道路を確認し始めました。信号が変わって人がざくざく渡り始めても、彼は気に留める様子もなく青信号を見送り、身をかがめるようにして説明しています。そして信号は本当に赤になってしまいました。これが空気のようにそこここに満ちた、ありふれたゆとりなのです。

香港に戻って36時間後。私はとっくに出社していて、ちょうど昼休みの時間でした。外出先からオフィスに戻ろうと急ぎ足で歩いていると、向こうから手をつないだ仲睦まじそうな西洋人のカップルが歩いてきます。ニコニコした二人の表情がいかにも"休暇中"という感じで、「いいなぁ〜」と休暇から戻ったばかりなのを棚に上げて思っていると、とたんに、「あっ!この人たち!」と、びっくり仰天!

そうです。彼らは空港でカートをぶつけそうになったキウイの二人でした。彼の手足からはあの見事なタットゥーがのぞいています。思わず目が合って会釈し合いましたが、彼らは私のことなど万に一つも覚えているはずはなく、目が合った人に習慣的にそうしているだけでしょう。しかし、私の会釈には意味深なものがありました。心の中では「あなたたちを空港で見たわ。ステキなタットゥーね」と、口に出すべき言葉が用意できていながら、実際には黙って通り過ぎてしまったのです。知らない人を呼び止める気恥ずかしさ、めんどうさ、時間のなさが、私の心の余裕を圧倒的に凌駕していました。自分のゆとりのなさを反省していながらこの体たらく。神の御技は時として粋で意地悪です。

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「マヨネーズ」 NZ旅行に行く前、友人から自家製ヨーグルトを分けてもらい、西蘭家でも毎日ヨーグルトを作っていました。「2週間も旅行に出たらヨーグルト菌が死んでしまうのでは?」と思い、出発前に友人宅に里子に出し、「どこかの家で生きながらえていてくれれば・・・」と思っていました。しかし、戻ってきたら菌は冷蔵庫でちゃ〜んと生きていて、牛乳を足しただけでまたせっせとヨーグルトを作り始めました。なんだかとってもいとおしく、その日から菌は"キンちゃん"と命名され、西蘭家のニューペットとなりました。

西蘭みこと