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「西蘭花通信」Vol.0106 「生活編」 〜タイムレバレッジ 二人の私〜  2003年3月19日

そろそろ詳しくお話すべき頃でしょう。
「よくそんなに時間がありますね?」
と、聞かれることがよくあります。仕事をして一応子育てもして、ビーズアクセを作ってメルマガはじめ週3本の連載を続け、あれもして、これもして・・・となると、確かにてんてこ舞いの毎日のようですが、実はそうでもありません。香港在住の方なら、そのからくりがお分かりでしょうから、
「フフ〜ン」
と訳あり顔で笑われてしまうかもしれませんが、日本やニュージーランドの方からすればこの超人的な生活は不思議に見えることでしょう。

こうした生活が可能なのは、私が二人いるからです。二人目の私は背が低く、クリクリした目にクリクリした髪の、私には似ても似つかぬ分身ですが私の手となり、目となって、同じ時間を違う場所で別のことをしながら過ごしています。

二人は毎朝6時前の暗いうちから起き出し、私がパソコンを立ち上げメールを確認したりシャワーを浴びてオフィスへ行く準備をしている間、"もう一人の私"はキッチンで子どものお弁当を作り始め、私のために朝食と新聞を用意します。私は朝食をとりながら、お互いのその日1日のスケジュールを簡単に確認し合って家を出ます。

7時を過ぎてオフィスでパソコンに向かい前夜のニューヨーク市場動向などをチェックしている頃、"もう一人の私"は夫と子どもの朝食を用意し、子どもたちをスクールバスまで送り、夫も送り出します。その後は掃除、洗濯、猫の世話、買い物、子どものお迎えなどをして、1日を過ごします。会社から帰る私に温かい夕食を出し、私がそれを食べている間に子どもをお風呂に入れます。それが済むと今度は私が二人を相手に本を読み、彼らがウトウトして寝付いたところで部屋を出てくると、"もう一人の私"が煎れたての熱いコーヒーを持ってきてくれます。それがだいたい9時半ごろ。私達は「おやすみ」を言い合い、それぞれの部屋に引き取り、お互いが長い一日で初めて自分の時間を過ごすことになります。

"もう一人の私"はフィリピン人から来た、住み込みのお手伝いさんです。長男が生まれるのに合わせて来てもらったので、私たちはこの4月で丸9年一緒に暮らしています。その間、彼女は私の代わりに家事をし、子どもの世話をし、彼らの友だちを何人も家に招待して遊ばせてくれたり、病気になれば付きっきりで看病してくれます。私は自分がしたくてもできないことの限りを、彼女に頼んでしてもらってきました。3人の子どもの母親でもある彼女は私の意向を期待以上に汲んでくれ、骨身を惜しまず分身になりきってくれました。

日本で住み込みの家政婦と言えばお金持ちに限られた特権のようで、何かと誤解を招く恐れがあるため、私は香港在住の人以外には自分から進んで、
「お手伝いさんがいる」
とは言わないようにしてきました。ただし当然のことながら、外国でフルタイムの仕事をしているわけですから、
「お子さんはどうしているの?」
という話になることも多々あり、そういう時は事実をありのままに説明するのですが、だいたいは、
「メードさんがいるの???」
と、びっくりされてなんとなく話がよじれてしまいます。

しかし、ここ香港ではこれは特権でもなんでもない、ごく普通のライフスタイルなのです。現に人口650万人の都市で約25万人の外国人家政婦が働いています。単純に平均3人家族としても約10世帯のうち1世帯には"アマさん"と呼ばれるこうした家政婦がいることになりますが、実際は一人や二人暮らしでは雇っているケースが少ないですから家族持ちの場合は2〜3割の割合でアマさんと暮らしているような感覚です。小さな子どもや老人がいるうちではその比率が更に高くなっていることでしょう。

25万人のうち最も多いのが約15万人にのぼるフィリピン人で、次にインドネシア人の8万人、他にもタイ人やスリランカ人がいます。10年前でもすでに10万人以上の外国人家政婦がいたので、こうした生活習慣は今に始まったことではないのです。

私は15年前に初めて香港で働き始めた時、子どもを持って働いているサラリーママたちの多さに驚きました。そして彼女たちの若いこと、若いこと!とても結婚しているようには見えないイケイケOL風の人が、
「子どもの幼稚園が決まった♪」
と喜んでいて仰天したり、
「さすがにこの人は子持ちだろう。」
と思った人が、
「子ども?いるわよ〜。二人とももう高校生でイギリスの寄宿学校に入ってるけど。」
と、いった感じで日本人の感覚からすると10歳ぐらい年齢がズレて見えるママが、身の回りにゴロゴロしていました。

「ママは若くはつらつとしてて、子供はガンガン育ってて、その上、英語までしゃべれるようになるなんて、フィリピン人のアマさんがいる子育てってなんていいんだろう!」
と、20代半ばのお気楽生活まっしぐらだった私は感心することしきりでした。
「働きながらだったら香港は世界一子育てしやすい場所に違いない。」
と頭から信じ込み、結婚の影もかたちもなかった頃だったにもかかわらず、
「子育ては香港で!」
という私の人生設計がしっかりと固まりました。

して、シンガポールで知り合った夫の香港転勤という天から降ってきたような偶然から、私の夢はあっさり実現したのです。しかし、その9年に及んだ生活が今、終わろうとしています。私は"もう一人の私"に別れを告げることを決めたのです。(つづく)

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「マヨネーズ」 
残業していると5歳の次男から電話がかかってきました。
「ママ〜。ボクたち今、本屋さんしてるんだけど、誰も買いに来てくれないんだよ〜。ねぇ、何してるの?買いに来てくれない?」。
時計を見ると8時近く。帰りのタクシーの中、
「いったい私は何をしているんだろう?」
と思うと、胸が熱くなってきました。後悔し続ける敗北の日々がもうすぐ終わります。

西蘭みこと