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Vol.0122 「生活編」 〜夢へのドライブ その2〜

1984年。今から約20年前、私は大学時代の女友だちとの旅の途中で、マレーシアの友人とクアラルンプールからマラッカまでのドライブに出かけました。延々と続くゴムのプランテーションの中を、片側一斜線の粗い舗装道路がまっすぐに延びています。ガードレールも何もなく、高速道路とは名ばかりの道でした。

行けども行けどもゴムの木が規則正しく並んでいるばかりで、樹液の採取で傷つけられた幹といい繁らない葉といい、なんとも殺風景な眺めでした。青々とした空以外、無彩色な視界が広がるばかりです。その中で唯一の彩りだったのがプランテーションで働く農民が暮らす、カンポンと言われるマレー式高床式住居でした。どの家も入口までに十段ほどの階段があり、家の下には車が十分停められる高さの空間があります。その階段の一段、一段に繊細で華やかな絵が描かれていました。

マレー人はほとんどがイスラム教徒ですから、生活のさなざまな面で宗教色が色濃く出ますが、階段にさえアラベスク文様を模した細かい図柄の繰り返しが描かれています。華やかな色彩が落ち着いた木目の色に映え、それはそれは美しいもので、手すりやドアも凝った作りでした。強い陽射しとは対照的に家の中は暗くひそやかで、道路から様子をうかがうことはできませんでしたが、小ぶりの窓には決まって真っ白なレースのカーテンが下がり、子供や老人が顔をのぞかせて外を眺めていました。

「なんてきれいなんだろう」。私は手作りの装飾品のように美しいカンポンにすっかり魅せられてしまいました。二つとして同じ物がなく、住む人の意匠をこらした個性的な家は、主の誇りと家族への想いが小さく凝縮された玉手箱のようでした。屋根の形やその先端の彫刻、スカートの裾を引いたように下に下がるに連れて広がる階段、透かしの彫刻や色ガラスがはまったドアなど、家のどの部分にも強いこだわりが見え、その色遣いと配色の妙は本当にエキゾチックで洗練されたものでした。「いつか免許をとってここに戻り、一軒ずつ写真に収めよう」と、その時初めて、「自分で運転したい・・・」と思いました。

6年経った1990年。私は相変わらず免許がないまま、再びマラッカを訪れました。市内の開発の進み具合は驚くほどで、それにも増して沿道の変化には目を剥きました。高く細いゴムの木は、太く短い幹から大きな葉を均等に広げたパームにとって代わられていました。パームはゴムよりはるかに商品価値が高いため、効率の悪いゴムは大部分が淘汰されてしまっていたのです。同時に、高速道路と言われても信じられなかった田舎道は片側が何車線にもなった、インターチェンジもあるアジア有数の近代的なハイウェーに姿を変えていました。マハティール首相の開発独裁が破竹の勢いで進んでいるところでした。

ゴム園がなくなり、その中に点在していたカンポンもすっかり姿を消していました。パームはゴムのように抽出のために多大な労力を必要とする労働集約型作物ではないため、多数の農民がプランテーション内に住む必要がなくなったのでしょう。手遅れでした。けっきょく、私の夢はかなうことのなかった思い出として、淡い記憶となりました。それでも「せめて免許をとろう」と、私は当時住んでいたシンガポールで教習所に通い始めました。しかし、カンポンの写真をとるため以外には取り立てて運転したいとは思わず、動機が不明瞭な分、教習にも身が入らないまま夫の香港転勤を機に途中で投げ出してしまいました。

2001年。ニュージーランド北島の小さな町、テムズ。私はこの忘れ去られたような、かつての繁栄の片鱗ばかりが目立つ町で、さかんに写真を撮っていました。特にフォトジェニックなものがあるわけでも、名所旧跡があるわけでもありません。ただただ普通の、しかもごくありふれた住宅の写真を撮っていました。なぜこの町の家にここまで心を惹かれたのかは分かりませんが、時たま車が通る以外、人っ子ひとり通らない通りを歩きながら、沿道の家を次々とフィルムに収めていきました。

古い家が多いせいか一軒、一軒がそれぞれまったく異なっており、工場生産の新建材を使った共通する部分がないことも、各家の個性を際立てていました。柱を立て、窓をはめ、床板を張り、屋根を葺き、ブロック塀を造り・・・と、どの家も人の手の跡が感じられるもので、家そのものが精巧な作品のように思えたのです。「これはいつかのカンポンと同じでは?」そう思うと、急に色鮮やかな文様のある美しい階段が頭の中に蘇ってきました。それと同時に、目の前の手造りの家も「いつかは消えてなくなってしまう」という思いにかられました。

以来、免許をとり自分で運転し、NZの家々の写真を撮って回るということが、私の中の一つの長期計画として、しっかりと将来の予定表に書き込まれました。「カンポンの二の舞だけは・・・」と、自分に言い聞かせるように計画を心に刻みました。車を走らせ、気に入った家を見つけたら呼び鈴を鳴らして挨拶し、写真を撮らせてもらっては主と二言三言言葉を交わし、また次の家へ。誰のためでも何のためでもなく、ただただ温かいぬくもりのあるNZの家々への愛着と、失われたカンポンへの愛惜をこめて、そんなことをしてみようと思っています。(またまた、つづく)

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「マヨネーズ」 自分の中の"建物好き"に気がついたのは大学生の時でした。磯崎新の"つくばセンタービル"の写真を見て鳥肌が立ちました。それから、なけなしのお金をはたいては建築関連の写真集を買い集めました。しかし、建築士を目指すにはあまりにも遅いと判断し、「この仕事は来世に譲ろう」と思い直して、卒業後は予定通り台湾に留学しました。

西蘭みこと